請求書に書かれた金額より誰かの一言が欲しかった

請求書に書かれた金額より誰かの一言が欲しかった

数字は合ってるのに心が満たされない日もある

司法書士として仕事をしていると、どうしても「金額」でやりとりを完結してしまう場面が多くなります。請求書を出して、振り込みを確認して、完了。形式的にはそれで十分なのでしょう。でも、心のどこかで「お世話になりました」や「本当に助かりました」といった一言が欲しくなる時があります。特に忙しくて心が擦り減っているとき、その一言があるだけで救われた気持ちになるものです。

支払いはされたでも気持ちは届かない

先日、会社設立登記の依頼を受けたクライアントがいました。時間に追われながらも急ぎ対応し、期限内にきっちり終わらせたつもりです。請求書を送り、無事に振込も確認。でもその後、何の連絡もなし。メールの返信もなし。完了報告に対しても無反応。仕事としては終わっているのに、何か置いてきぼりにされたような気分になりました。数字は合っていても、心のやりとりが抜け落ちると、どこか虚しいのです。

報酬よりも欲しかった言葉があった

僕は決して「ありがとう」と言われたくてこの仕事をしているわけじゃありません。もちろん生活のためですし、報酬も大切。でも、人として関わっている以上、「感謝」や「労い」の言葉が一切ないと、やっぱり心が削れていく気がします。特に地方の個人事務所では、対面で話すことも少なく、メールや電話で淡々と進む分、言葉の重みが違うんです。報酬だけでは埋まらないものがある。それを実感する日々です。

一通のLINEでも良かったと思う夜

ある夜、ふとスマホを見ながら思ったんです。「LINEでもいいから、“助かりました”って一言あればよかったのにな」って。その日は他にも依頼が詰まっていて、昼ご飯も食べずに対応していたせいか、いつもより心が弱っていたのかもしれません。たった一文で、救われる夜もあるのになぁと、画面越しにため息をついていました。

請求書の金額に迷いを覚えるとき

金額設定って、今でも悩みます。適正価格であることは当然として、相手の状況や規模、作業の大変さなどを加味すると、「このくらいでいいかな」と自分を下げてしまうことが多々あります。その結果、「この額でいいのだろうか」と自問する時間が増えるのです。

この額で本当に妥当なのかと考えてしまう

たとえば遺産分割協議書の作成と相続登記を同時に依頼されたケース。見積書を作る際、「これを東京の事務所だったらいくら取るんだろう」と考えてしまったんです。地方価格という空気の中で、相場を自分の中で下げてしまっていた。でも、作業量は変わらないし、責任も大きい。なのに自分で自分の価値を下げてしまったような感覚が残りました。

安くしすぎたかもしれないと後悔する瞬間

結局その案件、いつもの7割くらいの報酬で請けてしまいました。そして終わってみると、特に感謝の言葉もなく、こちらの努力が相手に伝わった気もしない。そうすると、「なんであの時、強気に出られなかったんだろう」とモヤモヤが残るんです。お金が欲しいわけじゃなく、ちゃんと自分の価値を伝えたかっただけなのに。

でも高くする勇気も持てないまま

「次からはきちんと請求しよう」と決めたはずなのに、いざ金額を書く段になると、また手が止まる。相手に高いと思われないか、不満に思われないか、そんなことを気にしてしまうんです。結局、自分を安く見積もってしまうのは、他ならぬ自分自身なのかもしれません。

一言の重みを思い知らされる瞬間

結局、人と人との関係で一番心に残るのは「言葉」だと思います。どれだけ仕事を完璧にこなしても、相手の心に響くのは、最後の「ありがとう」や「助かりました」のひと言。それがあるだけで、次も頑張ろうという気持ちになれるんです。

「助かったよ」のひと言で報われる

以前、急ぎの会社設立案件を対応したとき、代表者の方から「本当に助かりました。迅速で安心できました」と言われたことがありました。たったそれだけの言葉でしたが、あの日の疲れが一気に吹き飛んだ気がしました。報酬以上に、その言葉が心に残っている自分に気づきました。

逆に無言で終わると虚しさが残る

それに対して、何のリアクションもなく、淡々と終わる依頼も少なくありません。もちろんそれが悪いわけじゃない。だけど、心のどこかに虚しさが残るのは否定できません。事務的であっても、せめて「完了の確認ありがとうございました」くらい言ってくれればいいのにな、と思ってしまうんです。

言葉がないと仕事だけが残る

結局、仕事が終わっても、心に残るのは「何も言われなかったな」という感覚。それが積み重なると、「自分はただの書類処理機なんじゃないか」と思ってしまう日もあります。そんなときに限って、心も体も疲れていて、どんどん気持ちが沈んでいくんです。

地方の事務所という孤独な戦場

地方で司法書士をしていると、都市部とは違って、顔の見えない依頼も多くなります。郵送やメール、電話だけで完結する案件も多く、会って話す機会は限られます。その分、言葉の一つひとつが重く響くんです。

顔も見えない依頼主とのやりとり

最近はLINEやチャットだけで完結する依頼も増えてきました。便利ではあるけれど、どこか味気ない。相手の表情も温度も感じられないまま、こちらだけが時間に追われて動いていると、ただの作業ロボットになったような気分になります。顔が見えないからこそ、言葉のやりとりが大事になるんだと実感します。

事務員の一言が救いになることもある

そんな中、うちの事務員がたまに「先生、これすごく丁寧に対応してましたね」と声をかけてくれることがあります。たったそれだけの一言で、どれだけ救われるか分かりません。自分の努力を誰かが見ていてくれた。それだけで、その日は少し前向きになれるんです。

でもそれを求めるのも申し訳なくなる

ただ、そういう言葉を求めすぎる自分にも気づいて、なんだか恥ずかしくなってしまう。仕事なんだから、やって当たり前。それなのに「よくやった」と言われたいなんて、甘えてるのかもしれないと。でもやっぱり、人間ですから。たまには、報われたいと思ってしまうんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓