今日も忙しそうですねって言われたけど本当に忙しいのは心のほうだった

今日も忙しそうですねって言われたけど本当に忙しいのは心のほうだった

忙しそうですねって言われるたびに思うこと

「忙しそうですね」——今日もまた言われた。もう何百回目かもわからない。気遣いの言葉なのか、それとも牽制か、はたまた単なる挨拶か。そう言われるたび、なぜか胸の奥がザラつく。自分でも忙しさに追われていることはわかっているけれど、それをわざわざ口に出されると、余裕がないことを突きつけられた気がしてしまうのだ。

挨拶のつもりだろうけど心に刺さる

たぶん相手は、悪気なんてこれっぽっちもない。ただの世間話、ただの感想。でも、そういう言葉が地味に効いてくることがある。たとえば、風邪をひいて「顔色悪いですね」と言われると、本当に体調が悪く感じてくるのと似ている。言葉は、思っている以上に人の心に作用する。

忙しそうに見える顔ってそんなに分かりやすいのか

自分では鏡を見ても普通の顔をしているつもりだった。だけど、他人には「追い詰められてる顔」に見えていたのかもしれない。元野球部時代、監督から「表情がすべてを語る」と言われていたのを思い出す。あの頃は無意識に隠していたものが、今はもう隠しきれていないのだ。

他人の一言で自分の疲れを自覚してしまう瞬間

「疲れてますね」とか「顔色悪いですね」といった一言。こちらが気づかないうちに、他人の目にはバレバレだったことを知ると、恥ずかしさと同時に、認めざるを得ない気持ちになる。自分は大丈夫だと思っていたのに、そうじゃなかったのかと。

それでも笑って返してしまう自分が情けない

「いやいや、そんなことないですよ」と笑って返す。いつものパターン。内心は「頼むからそっとしておいてくれ」と叫んでいるのに、相手の空気を壊したくなくて、無理して笑う。気遣いのつもりが、かえって自分を削っていっていることに、最近ようやく気づいてきた。

本当に忙しいのは業務じゃなくて気疲れだった

毎日、朝から晩まで目の前の書類と格闘している。確かに業務は多い。けれど、それ以上に疲れるのは、人との関わり、気遣い、空気を読むこと、そして一人で抱えるプレッシャーだ。業務量ではなく「感じている負荷」が重いのだと、ようやく気がついた。

電話に書類にお客様対応に予定調整

一日中、電話が鳴る。書類が山積みで、期限も次々に迫る。お客様対応もある。予定調整では他人のスケジュールとにらめっこ。それを一人で回す日も多い。事務員さんがいても、すべて任せきれないのが司法書士という仕事。心がちょっとでも乱れると、全体が崩れる。

事務員さんがいても全部を任せきれない現実

うちは事務員さんが一人だけ。とても助かっているけれど、それでも最終判断は自分だし、責任も自分に返ってくる。何かあればこちらが謝る。だから「任せる」のにも限界がある。口では「ありがとう」と言ってるけれど、心では常に気を張っている。

自分しかできない作業の重さと孤独

登記申請のチェックや依頼者対応など、結局のところ「ここは自分がやらなきゃ」という場面が山ほどある。仕事を一緒に進める人が少ないというのは、業務量の多さ以上に、精神的に堪える。誰とも共有できない緊張が、常に背中にのしかかってくる。

手が空いても心は休まらない

たまにぽっかりと時間が空く日もある。けれど、その時間すら気が抜けない。次に来る忙しさを考えてしまうからだ。まるで試合のない日に練習メニューを勝手に増やしてしまう元野球部の性分が抜けきらない。心がずっと緊張状態のまま、回復する間もない。

忙しさの裏にある人間関係の疲労

業務そのものよりも、関係性のストレスが溜まることが多い。依頼者、同業者、他士業、そして地域の人たちとの距離感。どこにも本音が出せないまま、ニコニコしてやり過ごす毎日が、静かに心を蝕んでいく。

依頼者の言葉に振り回される日々

「すぐ終わりますよね?」「ちょっとだけ確認したいんですけど」そんな言葉に何度も裏切られてきた。こちらの事情などお構いなしで、「今、時間あります?」と平気で聞かれる。言われるたびに、自分の価値が軽んじられているような気がしてしまう。

士業同士の距離感に悩むとき

行政書士、税理士、弁護士との連携は必要不可欠だけど、信頼関係の構築には時間も気も使う。こちらの都合に合わせてもらえないこともあるし、逆に迷惑をかけてしまうこともある。気を遣いすぎて、自分を見失うような日もある。

同業者の成功話に焦りだけが募る

知り合いの司法書士が、テレビに出たり、本を出したり、SNSで人気になったりしていると、正直焦る。「あの人はすごいな」と思う反面、「自分には何もない」と劣等感に苛まれる。頑張っても報われない気がしてしまう。

本音を言える相手が誰もいない

弱音を吐ける相手がいないというのは、地味にきつい。家族もおらず、恋人もおらず、相談相手は皆無。事務員さんに全部を話すわけにもいかず、ひとりでモヤモヤを抱え続けてしまう。「話せば楽になるよ」とは言うけど、話す相手がいないのだから、どうしようもない。

忙しそうな顔をやめたいのにやめられない

本当は、余裕のある人に見られたい。笑顔で軽やかに仕事をこなす司法書士に。でも現実は、眉間にシワ寄せてキーボードを叩いている自分。その姿が「忙しそう」と思わせるのだろう。自分自身がそういう表情しかできなくなっていることが、一番悲しい。

頑張ってるように見られることでしか自分を保てない

「忙しそう」「頼りにしてる」「すごいですね」そんな言葉で、ようやく自己肯定感を保っている自分がいる。逆に、暇そうに見られると、自分の存在が否定されたような気分になる。だからこそ、無意識に「忙しいふり」をしてしまうのかもしれない。

暇そうと思われるのが怖い自意識

「あの人、暇そうだな」そう思われるのが、とてつもなく怖い。だから常に予定を詰め込み、手帳は真っ黒。でもその実、自分の中身はボロボロ。外側を飾ることで中身の空虚さを隠そうとしている。誰の目を気にしてるのか、もう自分でも分からなくなっている。

誰に向けて働いてるのか分からなくなる

お客様のため?世間体のため?自分の生活のため?どれも正しいようで、どれもしっくりこない。ただひたすらに仕事をこなす毎日。立ち止まって「何のためにやってるんだっけ」と考えると、答えが出ない。それが一番怖い。

気づけば働くことが生きることになっていた

趣味も減った。恋愛も遠ざかった。友人とも疎遠になった。気づけば、働くことが「生きる理由」になってしまっていた。元野球部のころ、打席に立つ理由は「勝つため」だった。今は…何のためにバットを振っているのかすら、分からなくなっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。