紙に埋もれて心も沈む毎日

紙に埋もれて心も沈む毎日

朝の机に積もる紙とため息の始まり

朝出勤してまず目に入るのは、昨日の処理が終わらなかった登記申請書類の山。書類トレイという名の「紙の山岳地帯」がそこにある。片付けるべき順番や期限のリストは頭に入っているのに、手が止まる。理由は簡単、気持ちがついてこないのだ。「この書類が減ったところで、誰が喜ぶんだろう?」そんな問いが浮かんでしまうと、ため息が漏れる。そのため息がまた、空気を重くする。仕事は山ほどあるのに、自分の存在感はどんどん薄くなる。そんな朝が、最近ずっと続いている。

片付かないのは机だけじゃない

机の上は、言ってしまえば自分の頭の中の写し鏡かもしれない。乱雑に積み上げられた契約書、修正待ちの印鑑証明、役所から戻ってきた補正通知。どれも手をつけなければと思いながら、「あとで」で片付けたフリをしている。そして気づけば、それは「心の中の処理待ち」にもなっている。昔の恋愛、辞めていった同業者のSNS投稿、寂しさを隠して笑ってくれた事務員さんの顔——あらゆる記憶もまた、整理されないまま堆積していく。紙と心、両方が積もっていくのだ。

出社しても誰もいない空気

朝一番に事務所に入ると、パソコンの起動音とプリンターのウォームアップだけが聞こえる。無音に近い空間。そんな中にいると、自分が透明人間になったような感覚に陥る。事務員さんは10時からの出勤。たった2時間弱でも、その静けさに心が凍えることがある。昔はバットを握りしめて「さあ行くぞ」と気合を入れていたのに、今ではコピー用紙を握る手にも力が入らない。人がいない空気というのは、想像以上に人の精神を削るものだ。

書類よりも心の整理が先だった

ふと、「俺、こんなに毎日忙しいのに、なんでこんなに孤独なんだろう」と思うことがある。紙を一枚一枚処理するスピードは上がった。でも、心の中に溜まっていく孤独感や焦燥感は、処理速度が追いつかない。むしろ、処理すればするほど「誰とも関われていない」事実が浮き彫りになっていく。たぶん必要だったのは、紙を片付ける技術じゃなくて、誰かに「今日も大変だったね」と言ってもらえる時間だったんじゃないか。そう気づいた頃には、もう今日も夕方だった。

一人事務所の静けさが時に痛い

静かすぎるのは、ありがたいことのはずだった。集中できるし、クレームの電話も少ない。だけど、それが毎日となると話は別だ。誰とも言葉を交わさずに1日を終えることが、週に2回はある。昔は「煩わしい人間関係がないのはラクだ」と思っていた。でも今は、「煩わしさがないぶん、ぬくもりもない」のだと気づく。事務所の時計の針が進む音すら耳につく静けさ。それは、孤独という名のBGMである。

事務員さんの気配が救いになる

この静けさをほんの少しだけ和らげてくれるのが、事務員さんの存在だ。といっても、特別な会話があるわけじゃない。郵便物の受け取り、来客対応、書類チェック——すべて業務的。でもその「気配」がありがたい。コピー機の音、電話応対の声、デスクを立つ音、それらが確かに「自分は一人じゃない」と教えてくれる。まるで灯台の明かりのように、小さな安心感をもたらしてくれる存在だ。

でも会話はほぼ業務連絡だけ

昼休み、ふと「何か話そうかな」と思っても、何を話せばいいか分からない。業務のことは伝えた。雑談は……あまりにブランクがある。気づけば俺の口は、冗談すらうまく言えなくなっていた。昔はもう少し軽口を叩いていたはずだ。野球部の後輩といじり合って笑っていたのに、今は違う。真面目な司法書士の仮面を被り続けすぎて、自分の素顔の出し方を忘れた。会話はある、でも心の触れ合いはない。それが何よりの孤独だ。

沈黙が日常になると笑うタイミングを忘れる

ある日、テレビから流れてきたバラエティ番組で芸人が大声で笑っていた。そのときふと、「自分、最後に声出して笑ったのっていつだろう?」と考えた。笑うタイミングが分からなくなっていたのだ。笑っても誰にも伝わらない。伝えたい相手もいない。そうなると、笑いの意味すら消えてしまう。沈黙が続くと、感情も少しずつ鈍っていく。その沈黙は、紙の山よりも重たくて、厄介だ。

元野球部の俺が今戦ってるのは紙の束

青春時代、土にまみれて白球を追っていた頃。あのときの汗と泥の重さは、今の書類の重さとは全く違っていた。身体は疲れても心は躍っていた。今、目の前にあるのは厚さ3cmの相続資料。誤字脱字を恐れて何度も読み返す。相手は紙、だけど戦いは本気だ。ただ違うのは、そこに歓声も、握手も、勝利の実感もないということ。俺の闘いは、黙々と進み、誰にも気づかれず終わっていく。

試合より長い戦いが毎日続く

野球の試合はせいぜい2〜3時間だが、司法書士の「試合」は朝から夜まで続く。しかも延長戦は日常茶飯事。クライアントの都合に合わせて夜中に登記チェック、休日も電話での確認。体力勝負だった野球の試合とは違い、今は精神と気力の勝負だ。どちらも緊張感はある。でも、グラウンドには仲間がいた。今の俺には、応援席が見当たらない。ひとりでバッターボックスに立って、ひとりで守備して、ひとりで片付けているような感覚だ。

達成感より疲労感が勝ってしまう夜

一日の業務を終えた帰り道、ふと「今日の仕事、誰かに褒められたい」と思う。でもそんな相手はいない。自己完結型の仕事だから、成果を誰かに伝えることも少ない。だからこそ、疲れだけが身体に残る。達成感よりも、「これ、明日も続くのか……」という憂鬱が勝ってしまう。自宅の鍵を開ける手が、重い。晩ごはんはコンビニのおにぎり。孤独の山は、今日も一枚、静かに積み重なった。

恋より登記が優先される人生

恋をしている時間があったら、補正書類を出しに法務局へ行かねばならない。デートの予定を立てるより、決済日の調整が先。そんな生活をもう何年続けているだろう。ふとした瞬間に、「このまま一人で終わるのかな」という不安が首をもたげる。でも、行動に移す気力が湧かない。司法書士という肩書が、恋愛のスイッチを鈍らせてしまったのかもしれない。

女性と話すより法務局と話す時間の方が長い

一日に話す女性の声といえば、法務局の担当者か、郵便局の窓口の方か、あとは電話越しの依頼者。自分でもびっくりするくらい、「会話」と呼べるような会話がない。たまに異性と話しても、緊張してうまく喋れない。昔はもっと自然に話していた気がする。でも今は、話し方すら忘れてしまったようだ。女性より登記、恋より決済。そう言い聞かせて過ごしてきた結果が、今のこの静かな部屋だ。

結婚ってどこの書式で申請できますか

もし結婚にも申請書が必要で、どこかの法務局で受付してくれるなら、きっと僕はその窓口に並びに行くだろう。「結婚希望届」とかあれば、誤字脱字なく書く自信はある。でも現実には、気持ちを伝える勇気や関係を築く努力が必要で、そっちの方がよほど難しい。だからこそ、書類に向き合っている方が楽なのかもしれない。書類は裏切らない。でも、温かくもしてくれないのだ。

司法書士という肩書に隠された孤独

司法書士と聞けば「しっかりした職業」というイメージを持たれる。でも、その肩書の内側には、多くの孤独が潜んでいる。誰かの大切な財産や人生の節目を支える仕事。だからこそ、失敗できない。緊張感が続き、気が休まる時間が少ない。そしてそれを理解してくれる人は、決して多くはない。だから、肩書が立派であればあるほど、自分の本音は言いづらくなっていく。

信用はされても、共感はされにくい

「司法書士さんなら安心ですね」と言われることはある。でも、その言葉の裏には「しっかりしてるから心配いらない」という期待がある。だから弱音は吐けない。「辛いです」「孤独です」とはなかなか言えない。結果として、自分の中にどんどん本音が沈んでいく。信用はされても、共感はされにくい職業。だからこそ、こうして文字にして吐き出すことで、自分の心をなんとか保っているのかもしれない。

悩みを話す場所が見つからない

友人に話せるほど気軽な悩みじゃない。同業者に話せば、弱さを見せたくないというプライドが邪魔する。家族には心配をかけたくない。じゃあ、誰に話す?——その答えが見つからないまま、今日も書類を眺めている。話す場所がないなら、せめて書こう。誰かがこの文章を読んで、「あ、自分もそうかも」と思ってくれたら、それだけで少しだけ、孤独の山が崩れていく気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓