先方が印鑑証明期限切れだった日常と非日常
朝9時、いつものようにサトウさんが玄関のカギを開け、電気をつけ、コーヒーの香りを漂わせながら「おはようございます」と言ってくる。
「おはよう、、、って、なんか嫌な予感がするんだけど」
パソコンの前に座るなり、サトウさんが顔も上げずに言った。
「さっきのお客さん、印鑑証明が……ちょっと怪しい気がします」
彼女が“怪しい”と言ったら、だいたい当たってる。サザエさんで言えば波平が「カツオォ!」と叫ぶ直前の“あの空気”に似ている。
期限切れの正体
書類に目を通した瞬間、嫌な汗が背中を伝った。
「サトウさん、、、これ、3ヶ月超えてるよ」
「ですよね。見た瞬間、そんな気がしてました」
さらっと言うが、重大なことだ。登記が止まる。印鑑証明の有効期限、たった3ヶ月。それを過ぎると、ただの紙切れだ。
小さなミスが招く大きな混乱
すぐさま先方に電話する。男性の声。「え、切れてました?昨日も使ったんだけどなあ」と言われた。
“昨日使った”というその感覚が、まるで未来日付で年賀状を出すような軽さに思えた。
サトウさんの推理
「これ、たぶん前に取り寄せたやつをまた提出したんですよ」
「探偵か君は」
「まぁ、書類って前のが手元にあるとつい……って人多いですから」
その“つい”で、僕らの半日が吹き飛ぶのだ。
対応と決断
「急ぎで取り直してもらってください。こっちも今日中の登記なので」
「言っときますけど、たぶん“郵送でもいいですか”って返ってきますよ」
「いやダメだ。直接持ってきてもらう」
と、言ったものの電話口では結局、「明日の午前なら…」と調整になり、登記は延期。
司法書士の現場は日常と非日常の境界
不思議なことだ。ほんの1日のズレで、取引は停滞し、契約者の顔が曇り、金融機関の担当者が苦笑いする。
「司法書士って、日常の裏側を必死に支えてるような仕事ですね」
「サトウさん、それ探偵漫画のナレーションみたいで気に入らないな」
そして午後もやってくる
電話が鳴る。また新規の登記依頼。
「あの、印鑑証明なんですけど、今月取り寄せたものが……」
“今月”のあとに続く言葉で、世界が明るくなるか、暗くなるかが決まる。
「発行日は何日ですか?」と聞く自分の声に、心なしか祈りがこもる。
「えっと……去年の11月です」
……やれやれ、、、。
エピローグ
今日もまた、期限と戦い、書類と格闘し、人の“うっかり”と正面から向き合う。
サトウさんが帰り際に笑った。
「明日は期限内の書類が届きますように、って七夕でもないのに願いたくなりますね」
「むしろ短冊より、印鑑証明のほうが切実だよ……」