孤独に勝ったつもりで負けていた日

孤独に勝ったつもりで負けていた日

孤独に勝ったつもりで負けていた日

勝ったつもりの夜

その夜、俺は久々に事務所にひとり残っていた。特に理由はなかった。ただサトウさんが「先に失礼します」と言って帰ったのを見送って、机の上をぼんやり眺めていただけだった。
時計の針が19時を少し過ぎていたが、依頼もなければ電話も鳴らない。まるでサザエさんが終わった日曜の夕方のような、取り残されたような空気が流れていた。

ひとりの晩酌に慣れすぎた自分

コンビニで買ってきた缶ビールとパックのおでん。湯煎しないままそのままつまんで、ビールを飲んだ。味も何も感じなかったが、「これは勝利の味だ」と自分に言い聞かせていた。
誰にも頼らず、誰にも依存せず、今日もやりきった自分を褒めようと。

「自由」と「孤独」の境界線

だけどその“勝利”は、なんだか妙に薄っぺらい気がしていた。
テレビでは再放送の探偵アニメが流れていて、あの名探偵が「あれれ〜おかしいぞ〜」と呟く。俺も心の中で呟いた。
「おかしいのは、たぶん俺だよ」

ラジオとテレビが埋める静寂

静かな夜は嫌いじゃない。むしろ好きなほうだ。けれど今日の静けさは、ただ“無”だった。
FMラジオのパーソナリティが「今夜はあなたの声を聞かせてください」と言った時、思わず笑った。
“聞かせる声”がない男に、それは無理な注文だった。

勝利宣言が早すぎた

俺は、孤独に勝ったと信じていた。誰かといることで得られる温もりより、自分で保つペースを優先してきた。だが——

仕事があるから孤独じゃない?

司法書士の仕事は忙しい。日中は電話対応と相談でいっぱいだし、登記も山のようにある。
「誰かに頼られている」「必要とされている」と思えば、孤独なんて感じる暇もない。そう思っていた。

案件に追われる日々がくれる麻痺

でも、実はそれは“ごまかし”だった。仕事に追われることで、感じなくなっていただけ。
サザエさんでいうところの、波平が「バカモン!」と叫ぶことで家庭内の空気を動かすような、そんな役割すら自分にはない。

「ありがとう」の重みを見失う

依頼者に言われる「助かりました」の一言も、最近では響かない。
それどころか、誰にも「ありがとう」と言われない日もある。それに気づかないふりをしてきた。

誰にも見られていない正義感

元野球部の頃、チームのために泥まみれになったことがあった。今思えば、誰かのために頑張ることに意味があったんだな。
今は誰のため? 自分のため? 誰も見ていないなら、正義感なんてただの独りよがりだ。

勝利とは誰かに届くことなのか

怪盗ルパンが華麗に盗みを働くのは、見ている誰かがいるからこそだ。
誰も見ていないところで“勝つ”ことに、どれだけの意味があるのか。
勝ったと思っていたが、それはただの空振りだったのかもしれない。

負けを認めた朝

翌朝、出勤した事務所はひんやりとしていて、机の上にはサトウさんが置いたと思われるふせんがあった。

郵便受けのチラシだけが話し相手

「飲みすぎ注意」と書かれたふせんに、クスリと笑った。
帰宅途中に見たポストには、ピザのチラシと回覧板。俺に用があるのはチラシくらいだ。
やれやれ、、、そんなことに気づいてしまった。

「やれやれ、、、今日も無事に誰とも話さなかったな」

その呟きが、自分の“負け”を証明していた。
孤独に勝ったつもりだったけど、本当は負けていた。ただ負けを認めたくなかっただけ。

サトウさんの何気ない一言が刺さる

「先生、最近ちょっと顔こわいですよ?」
そう言われたとき、なんとも言えない敗北感があった。
優しくあろうとするほど、孤独が顔に出ていたのだと。

笑顔が乾いていた理由

強がることも、黙っていることも、勝利のポーズにはならなかった。
乾いた笑顔では、誰も癒されない。俺が孤独に“勝った”なんて、やっぱり勘違いだったのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓