境界線の悲鳴
仮換地の現場に届いた奇妙な相談
その朝、事務所に届いた封筒には、簡素な地図と「助けてください」という走り書きが添えられていた。差出人は不明。地図は地元の再開発エリアにある仮換地の一画を示していたが、なにかが妙だった。赤ペンで囲まれた区画が、どう見ても隣の土地と重なっているのだ。
「サトウさん、これ見てくれ。なんか、見れば見るほど気持ち悪いんだが…」
事務所の空気が一気に重くなった。仮換地といえば揉めごとの宝庫だ。だが、今回はそれだけではなさそうだった。
消えた杭と隣人の怒声
現場に向かうと、すでに一触即発の様相を呈していた。仮換地の境界杭が一本、跡形もなく消えていたのだ。その杭の位置を巡って、地権者同士が激しく言い争っている。
「ここはウチの土地だ!杭があったのを見たんだ!」
「ふざけるな、仮換地の位置指定図をよく見ろ!こっちにズレてるだろ!」
この手の口論には慣れているが、今回はやけに執着が強い。何か裏がある。俺の勘がそう言っていた。
シンドウの胃に刺さる不動産屋の苦笑い
間に入った地元の不動産屋が、薄く笑いながら言った。
「まぁまぁ、どうせ最終換地で戻るんですから。今は仮の話ですよ」
やれやれ、、、俺の胃がきしむ音がした。仮だろうが現実はここにある。杭がないことで損をするのは、書類ではなく人間だ。不動産屋の曖昧な態度が、火に油を注いでいた。
サトウさんの冷静な分析
登記簿の裏に隠された一行
事務所に戻ると、サトウさんがすでに登記簿の調査を進めていた。彼女が見つけたのは、数年前の地役権設定登記。だが妙なのは、その目的欄にうっすらと修正の跡があることだった。
「シンドウさん、ここ。不自然な修正ですよ。誰か、地役権の範囲を変えてます」
それが杭の移動と関係あるとすれば、ただの境界争いじゃ済まない。
地番の罠と整理番号の罠
さらに地番図と照合していくと、地権者の一人が「地番と整理番号の違い」を逆手に取り、自分の土地が拡張されるような主張をしていた形跡が出てきた。意図的なものだとしたら…。
「これは仮換地に便乗した占有の拡大工作ですね」とサトウさんは淡々と呟いた。
彼女の口調は静かだったが、その一言で背筋が寒くなった。
やれやれ、、、整理してみるか
俺は全ての資料を並べて、ノートに書き出し始めた。昭和の換地処分、平成の地番整理、そして今回の再開発。すべては一本の線で繋がっていた。見えてきたのは、たった一本の杭を巡る、三十年越しの策略だった。
「やれやれ、、、結局、登記より人の欲のほうがややこしい」
俺はため息をつきながら、最後の書類に印をつけた。
崩れた仮換地図の先に
昭和の測量と平成のミス
昭和時代に作られた測量図には、明らかな誤差があった。それを基にした平成の仮換地指定が、結果的にズレを生んでいた。しかし、それを利用して得をしていたのは、ある地権者一人だけだった。
「図面を読める者だけが土地を動かせるって、皮肉ですよね」
サトウさんの言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
赤線が動いた日
その赤線は、再開発組合が作った最新の換地案にだけ存在していた。旧来の地図にはなかった。その線を根拠に杭を動かしていたのだ。まるで赤い糸で人を操る怪盗のように。
「これは、、、名探偵コナンもびっくりだな」
俺は頭をかきながら、古びた地図を折りたたんだ。
聞き取り調査は饅頭と共に
地権者の一人に話を聞くため訪れた古民家。出てきた老婆は、昔話のように語った。
「杭が動いたのは五年前。あのときは、地面が崩れて埋まったって言ってたよ」
テーブルに出された饅頭をかじりながら、俺はメモを取った。真実は、いつも饅頭の向こうにある。
暴かれる地権者の嘘
立ち会いでの沈黙と動揺
再度の立ち会い。俺が杭の元の位置を図面と写真で突きつけると、一人の地権者が急に口を閉じた。周囲の視線が集まり、空気が凍る。
「仮換地なんて、、、最終的には一緒になるんだから!」
その言葉に含まれる焦りが、すべてを物語っていた。
真犯人は記憶の中にいた
昔からこの土地に住む人々の話を丁寧に繋げていくと、一つの仮説が確信に変わった。杭は自然に動いたのではない。ある夜、誰かが明確な意図をもって動かしたのだ。
その誰かは、今もこの土地で暮らしている。そして何食わぬ顔で「境界など気にしていない」と言い張っていた。
俺はその人物の顔を見ながら、静かに言った。
決着と登記の結末
均衡の中でこそ叫ぶ土地の声
最終的に、登記は訂正されることとなった。杭は元の場所に戻され、換地案も見直しに入った。誰もが納得したわけではないが、それでも声を上げた土地の訴えは届いた。
「土地は動かない。でも人が動く。それが怖いんです」
俺は報告書を出し終え、机に身を預けた。
土地家屋調査士の涙と笑い
後日、協力してくれた土地家屋調査士が事務所にやってきた。彼は照れ笑いしながら言った。
「いやー、僕の測量図、使ってくれてありがとう。間違いもあったけど、こうして役に立ててよかったです」
彼の目にはうっすら涙が浮かんでいた。
シンドウとサトウの帰路
冷めたコーヒーと塩対応
「温め直します?」と聞くサトウさんの声は、少しだけ優しかった気がした。俺はうなずき、冷めたコーヒーを両手で包んだ。
「サトウさん。お前がいなかったら俺、いまごろ赤線の迷路で行方不明だったぞ」
「それはもともとじゃないですか」
境界線は人の心にもある
俺たちが歩いた帰り道。空には仮換地のように薄曇りの雲が広がっていた。
「土地の線は引き直せても、人の線は難しいですね」
サトウさんのその言葉が、なぜか胸に残った。俺は空を見上げて、深く息を吐いた。