登記相談に訪れた男
夏の午後、事務所のドアが軋んで開いた。日焼けした中年の男が、古びた封筒を手に持って立っていた。涼しい室内と彼の姿のギャップが妙に不自然に映る。
「相続による所有権移転をお願いしたい」と、彼はぶっきらぼうに切り出した。だがその目はどこか泳いでおり、まるで誰かに後ろから見られているような不安をにじませていた。
不自然な委任状
封筒から出された委任状は、印鑑が妙にかすれていた。しかも印影の大きさが他の書類と微妙に違う。「コピーの上から押した…?」そんな疑問が脳裏をよぎる。
名前は「鈴木一朗」。よくある名前だが、どこか聞き覚えがある。しかも委任したという「母親」の住所が空き家リストにあった記憶がある。
サトウさんの違和感
その日の午後、書類を見ていたサトウさんがぽつりとつぶやいた。「この委任状、去年の相続のときのと似てますね、筆跡が」。
冷静かつ的確な分析力に、思わず舌を巻いた。だがそれと同時に嫌な予感が胸をよぎった。前にも似たような事件があったような――。
相続による所有権移転の申請
形式上の不備はない。登記原因証明情報もそれらしく整っている。法務局に持っていけば普通に通るだろう。
だが、司法書士の勘というやつは、こういうときに限って働く。「何か、ある」。妙に書類が整いすぎているのだ。
提出された書類一式
戸籍、印鑑証明、評価証明書。どれも日付は新しい。しかし、印鑑証明の日付だけが他より2ヶ月古い。しかも役所の受付番号が連番になっていない。
「この印鑑証明、別の登記にも使われてた可能性があるな」。サトウさんがつぶやいた。資料の中に不自然な既視感があったのだ。
旧所有者の死亡時期
戸籍には「令和五年五月十日死亡」とあるが、調べてみるとご近所の方によると「去年の秋までは見かけた」との証言があった。
死亡届が偽造された可能性が浮上した。これはただの相続登記では済まされない――背後にもっと深い影が潜んでいる。
空き家と謎の住民票
登記簿上の住所を訪れると、そこは朽ち果てた空き家だった。郵便受けには「管理不動産会社」と書かれた名刺が何枚も投げ込まれていた。
家の中に人が住んでいた気配はなく、庭には雑草がぼうぼうに生えていた。誰も、そこに「最近まで住んでいた」ようには見えなかった。
現地調査で見たもの
玄関のガラス越しに、表彰状の額縁が見えた。「○○町自治会 功労賞 鈴木一朗殿」。依頼人と同姓同名だが、年齢が合わない。
「もしかして、成りすまし…?」背中に冷たい汗が流れる。表面上は整った相続登記、その実、被相続人すら実在していないかもしれない。
ご近所の証言
近隣の住民は「1年以上誰も住んでいない」「たまに知らない男が庭に入ってた」と口をそろえた。その男の特徴は、依頼人と一致する。
これで確信した。依頼人は空き家を不正に利用し、虚偽の相続を装って登記を行おうとしていたのだ。
別人の名前が浮かび上がる
住民票を閲覧すると、依頼人の本名が「高田次郎」であることがわかった。まったく別の戸籍から養子縁組を経て鈴木姓を名乗っていた。
だがその鈴木姓も偽装だった。養子縁組は偽造されており、戸籍の印影も偽造されていた。ここまで手の込んだ詐欺に、さすがの私も舌を巻いた。
筆跡と印鑑証明の違和感
書類の筆跡を比較してみると、すべて同一人物が書いたように見える。しかも、押印の強さと角度がすべて一致していた。
「コピーして押してるだけですね、これ」とサトウさんが即断した。やれやれ、、、やっぱり君はすごいよ。
法務局の記録照会
法務局で過去の登記履歴を確認すると、3件の相続登記が同じ名義人で申請されていた。すべて高田次郎名義、偽装された死亡届。
同一の手口で複数の物件を奪い、売却して利益を得ていたのだ。名義貸しの業者とつながっている可能性も高い。
過去の所有権移転とのつながり
3年前に処理した別の相続登記で、不自然な住所の移動があった。記録をたどると、同じく「高田次郎」が登場していた。
過去から続く犯罪の糸が、静かに今へとつながっていた。私のうっかり癖が、逆にその手がかりを引き寄せたのかもしれない。
三年前の類似事件
そのときも、書類は完璧だった。だが一つだけ、登記原因証明書に日付のズレがあった。そのときは気づけなかった。
今回、そのときの教訓が生かされた。司法書士という立場が、この手の詐欺を見抜く最後の防波堤なのだ。
偽造された死亡届の真実
役所の担当者に問い合わせたところ、死亡届は持参ではなく郵送だったことが判明した。しかも記載者の筆跡が依頼人のものと酷似していた。
ついに高田次郎が逮捕され、犯行は全国ネットで報道された。田舎の司法書士事務所が大手柄を上げたのだ。
やれやれ、、、またこのパターンか
「ま、また僕の勘が当たっちゃいましたね…」と謙遜しつつ、少し得意げに言うと、サトウさんはいつもの無表情で「うっかりじゃなく、ちゃんと勘です」とだけ答えた。
やれやれ、、、結局、サトウさんが一番の名探偵かもしれない。私はその助手ってとこかな。まるで、波平のいないサザエさん一家みたいに、妙に頼もしい。
決定的証拠となった登記原因証明情報
最後の決め手となったのは、死亡届と登記原因証明書の日付の齟齬だった。わずか3日のズレ。それが全てをひっくり返した。
登記は事実を映す鏡――だが、その鏡に嘘を映す者がいれば、私たちがそれを拭い落とす。今日もまた、静かに戦いは続く。
犯人の意外な動機
高田次郎は「母の名を汚したくなかった」と供述した。だが、嘘で塗り固めた登記に、正義はない。
影に書かれた登記簿――その裏に潜む悪意は、今日も誰かの家に忍び寄っているかもしれない。