登記申請の朝はいつもどおりに始まった
サトウさんが黙々と書類を仕分けしている横で、私は朝のコーヒーに口をつけた。
この時点では、今日が特別な一日になるとは露ほども思っていなかった。
ただ、申請書類の山を見た瞬間、私の胃がきゅっと小さくなる音が聞こえた気がした。
サトウさんの目に止まった一点の違和感
「これ、ちょっとおかしくないですか？」サトウさんが眉間にしわを寄せた。
申請書には確かに委任状が添付されていたが、何かが引っかかる。
それは、名前が「印刷」されていたことだった。筆跡が、ない。
委任状の署名に滲む偽り
「印鑑証明書とも微妙にズレてるように見えますね」とサトウさん。
顧客からの説明では「本人が記入した」とのことだったが、証拠が弱い。
ルパン三世の偽造パスポートばりの雑な細工に、苦笑が漏れた。
登記申請人の存在が消えている
申請人の名前を法務局のシステムで検索してみると、奇妙なことがわかった。
過去に同姓同名の登記記録はあるが、現在は行方不明扱いになっている。
連絡先として書かれていた電話番号は、プリペイド携帯のものだった。
記録された連絡先に電話は繋がらない
何度かけても「おかけになった番号は現在使われておりません」。
まるで名探偵コナンの黒ずくめの組織が使ってそうな番号だ。
しかも、郵送物も「宛所に尋ねあたりません」で返送された。
管轄法務局から届いた謎の照会
数日後、法務局から補正照会が届いた。内容はこうだ。
「申請人が本人であることを示す書類が不足している」
つまり、我々の疑念は間違っていなかったのだ。
登記済証に残されたもう一人の名前
過去の登記記録を掘り起こしていると、委任状と似た署名があった。
それは三年前に失踪扱いになった資産家の登記記録だった。
なんというか、サザエさんで波平が宝くじを買って当たったのに紛失した回を思い出した。
「やれやれ、、、」とシンドウはため息をつく
疲れた目をこすりながら、私は椅子にもたれた。
「どうせまた、どっかの身内が勝手にやったんだろうな……」
事務所には、いつものようにコピー機の音だけが鳴っていた。
サザエさん的ご近所トラブルがヒントに
翌日、近所の不動産業者が「ちょっと見覚えのある顔が」と言い出した。
その顔は、実は申請人の兄だったが、弟の名義で登記を進めていたのだった。
理由は「弟が海外に行ったまま音信不通で、相続を急いでいたから」だった。
元野球部のカンが光る一球
「つまり、委任状も偽造ってことですか？」と私。
一瞬の沈黙のあと、不動産屋は「あー、そこは……グレーです」と濁した。
カーブボールのような返答に、元野球部の勘がピンときた。
サトウさんの冷静な推理が決め手に
「申請人の筆跡と、兄の筆跡が完全一致してます」
サトウさんが冷静に分析した資料を差し出してくる。
この一手で、真相はほぼ固まった。
本物の依頼人はすぐそばにいた
兄はついに観念し、「弟の許可はもらっていた」と供述した。
だが、その証拠は何一つなく、結局申請は却下された。
それでも、嘘が明るみに出たことで、遺産分割協議が正式に始まることになった。
なぜ他人名義で登記が出されたのか
結局のところ、兄は「急いでいた」だけだったらしい。
裁判沙汰になる前に片をつけたかったのだという。
だが、登記というのは一筆一筆が重い。その重さを知らなすぎた。
犯人は善意の第三者か策略家か
嘘の委任状を書いた兄が、どこまで悪意を持っていたのか。
その線引きは難しい。だが、法は常に「証拠」で裁く。
正義感よりも、証明責任がものをいう世界。それが登記の現場だ。
結末は静かに幕を閉じた登記簿の中に
申請書は却下され、封筒に入れて保管された。
登記簿には何も変化がなかったが、そこには小さな正義が残った。
私はもう一度、深いため息をついた。「やれやれ、、、」
日常は続く司法書士事務所の午後
「次の案件はこちらです」サトウさんが無感情に書類を差し出す。
私はコーヒーを飲み干し、机に向き直った。
ミステリーは終わった。でも、日常は続く。司法書士に休みはない。
