朝のコーヒーと一本の電話
事務所のカーテンを開けると、曇天の空が広がっていた。そんな朝は決まってロクなことが起きない。案の定、電話のベルが不機嫌そうに鳴り響いた。
受話器の向こうからは、焦った声で「代表社員の名前が勝手に変えられている」と叫ぶ男の声。登記簿の内容が実態と違うというのだ。
やれやれ、、、まだコーヒーも飲んでないってのに、これじゃ朝食の味もわからなくなる。
サトウさんの冷たい指摘
電話を切ると、すぐに後ろから刺すような声。「だから前も言ったじゃないですか、合同会社って変なケース多いって」。
サトウさんの鋭い指摘に、返す言葉が見つからない。うっかりもここまでくると才能かもしれない。
彼女の言葉通り、この一件、ただの登記ミスではなさそうだった。
依頼人は小さな合同会社の代表社員
事務所にやって来たのは、いかにも経営に疲れている風の男。名刺には「代表社員」とだけ書かれている。
「私はずっとこの会社の代表です。でも登記簿には違う人間の名前が載ってるんです」と彼は言う。
その書類を見せてもらうと、確かに現在の代表者欄には別の名前があった。登記簿には変更登記がされていたのだ。
曖昧すぎる議事録と不自然な依頼内容
さらに見せられたのは変更登記の際に使われた議事録のコピー。日付はあるが、出席者の署名欄が空白になっている。
「これ、私のサインじゃないです」と依頼人が言うが、筆跡は酷似していた。もし偽造なら、かなり巧妙だ。
うまくすれば代表権を奪われていたかもしれない。合同会社とはいえ、これは事件の匂いがする。
もう一人の代表社員の存在
登記簿上で新しい代表となっていたのは、元社員の男だった。依頼人が「奴とはとっくに縁を切った」と語るその人物。
だが、登記変更日と同じ日に「社員総会議事録」が法務局に提出されている。妙に出来過ぎたタイミングだった。
過去のメールログを見ると、件の男は会社のシステムに未だアクセス可能だったことも発覚する。
登記簿に載っていない名前
さらに調査を進めると、議事録には“議長代理”として別の名が書かれていた。ところがその人物は登記上には一切現れない。
まるで幽霊社員のように、名前だけが会議の場に存在している。これは何かを隠すためのカモフラージュか。
「こんなの、キャッツアイの幻の名画みたいですね」と呟くと、サトウさんは冷めた目で「読者に伝わらない例えですね」と言い放った。
定款に書かれた不気味な一文
社内資料を読み進める中、定款に妙な文言を見つけた。「業務執行は内部会議に基づくものとする」。
つまり、この会社は形式上の会議で物事が決まる。だが、議事録が偽装されていたら、すべての決定が虚構になる。
これは司法書士としても看過できない。まるで探偵漫画の犯人がアリバイをでっちあげているような構図だ。
「業務執行は内部会議に基づくものとする」
その会議体に出席したはずの人物に連絡を取ると、「そんな会議、出た記憶はない」という返答。
証言が正しければ、会議そのものが虚構である可能性が高い。だとすれば、提出された議事録はすべて虚偽だ。
「やれやれ、、、合同会社って、ほんとサザエさんの三河屋さん並みに突然登場して混乱起こすよな」と思わず本音が漏れた。
深夜の事務所に届いた封筒
その夜、事務所のポストに差出人不明の茶封筒が投函されていた。中身は破られた議事録の原本らしき紙片だった。
筆跡は依頼人のものと一致せず、しかもページの構成から見て、削除された情報があるのは明白だった。
「これは、、、誰かが真実を暴いてほしいと思ってるってことかもね」とサトウさんが呟いた。
中にあったのは破られた議事録の一部
断片をスキャンして、文脈をつなぎ合わせる。そこには、「代表社員変更は〇〇氏の指示により」と書かれていた。
〇〇氏とは、例の“幽霊社員”だった人物だ。すべての筋が繋がった瞬間だった。
つまりこの事件は、合同会社の構造と曖昧な登記運用を利用した、冷静かつ巧妙な権限簒奪だったのだ。
影の会議と沈黙の社員たち
調査の末、我々は非公式に行われた“影の会議”の存在を突き止めた。場所はコワーキングスペース、出席者は全員無言で署名だけ。
その場で議事録は作成され、偽装サインが施され、法務局へ提出された。まるでミステリ映画の中の出来事のようだった。
社員たちは誰も証言をしない。「会社のためだ」と口をつぐんでいた。
録音データに残された「偽装の証拠」
唯一残されたのは、会議室の環境音。そこに小さく「お前の署名はこっちで書いとくから」と誰かが囁く声が入っていた。
録音データは決定的な証拠となった。依頼人の潔白も証明された。
合同会社の実態とその脆さを改めて思い知る瞬間だった。
すれ違う記憶と改ざんされた書面
こうして整理してみると、あまりに多くの人が“記憶”に頼っていた。だが書面はそれを裏切っていた。
登記という制度がいかに形式を重んじるか。逆に言えば、形式さえ整えれば事実でないことすら通ってしまう。
シンドウとしては、改めてこの職業の重さを噛みしめることになった。
真犯人は誰なのか
最終的にすべてを仕組んでいたのは、かつての経理担当だった男だった。彼は全ての登記書類を自在に操れる立場にいた。
司法書士も油断すれば、簡単に騙される。「反省しなきゃですね」とサトウさんに言われて、苦笑いするしかなかった。
それでも、今回は最後にギリギリ活躍できた。それがせめてもの救いだった。
サトウさんの推理と決定打
サトウさんが録音データに気づき、分析を進めたことで事件は動いた。彼女の頭のキレには脱帽するしかない。
「司法書士ってより、あなたもう助手の域超えてません?」と軽口を叩くと、「給料上げてもらえれば考えます」と返された。
やれやれ、、、また事務所の財布が軽くなりそうだ。
司法書士の立会が導く真実
結局、我々がその場にいれば、事件は起きなかったかもしれない。司法書士の立会には、意味がある。
たとえ形骸化しがちでも、そこには「真実を写す」という覚悟が要る。
今回はその役目を、ぎりぎり果たせたと信じたい。
解決の朝と一枚の訂正登記申請書
事件の翌朝、法務局に提出された訂正登記申請書には、新たな代表社員の名が正しく記されていた。
封筒に入っていた一筆には、元依頼人からの感謝の言葉と、謝罪の言葉が添えられていた。
「あんた、やるときゃやるんですね」とサトウさんがポツリ。そうだ、俺は元野球部。最後に打てばいい。
会社にとっての「正しさ」とは何か
合同会社という仕組みは、柔軟だが脆い。制度に頼るなら、信頼を築く努力を怠ってはいけない。
その正しさを支えるのが、登記であり、我々司法書士の役割だ。
そう自分に言い聞かせ、冷めたコーヒーを口にした。