恋文は執行される夜に

恋文は執行される夜に

不意に届いた恋の書類

「執行文付与申請書」の文字に引っかかる

朝、事務所のポストに差し込まれていた一通の封筒。差出人は見知らぬ女性名、宛先は「司法書士シンドウ様」。茶封筒の角には「執行文付与申請書」と朱字で書かれていた。恋文にしては、ずいぶん堅いタイトルだ。

机の上に広げて目を通すと、民事訴訟法上の執行文の申請に見せかけた、ややこしい内容証明が同封されていた。「愛の証明を、あなたに裁いてほしいのです」──そんな一文に、少しだけ鳥肌が立った。

「これは、、、恋の未練が法的手続きに変化した珍例かもしれん」思わずため息をつきながら、僕は封筒をサトウさんの机にそっと滑らせた。

内容証明に綴られた過去の約束

書面にはかつて交わされた約束が並び、最後には「慰謝料として約○○万円を支払う」とあった。だが、それは公的な約束ではなかった。ただのLINEのやり取りのプリントアウト。裁判所に持っていけば、鼻で笑われるレベルのものだった。

「まるでサザエさんでマスオさんが書いたラブレターをカツオに見られて、波平に怒られてるようなレベルですね」サトウさんがポツリと呟いた。

しかし、それが逆に引っかかった。こんな拙い証拠を、なぜこの女性はわざわざ司法書士に依頼して送ってきたのか。真意は、別の場所にある──。

依頼人は恋に破れた女性

静かな口調と妙な執念

ようやく連絡がついた沢口さんは、どこか諦めを帯びた口調で話し始めた。「彼に、自分の愛が本物だったことを伝えたくて……でも、もう方法がわからなかったんです」

その声に怒気も涙もなかった。ただ静かな執念だけが残されていた。何をもって「執行」したいのか。その言葉の裏には、「証拠がないからこそ、書類に残したい」という気持ちが滲んでいた。

その情念が、結果的に偽装という手段を選ばせたのだろう。

事務所に走る一抹の違和感

その日、事務所には妙な空気が流れていた。サトウさんは何度も書類を読み返し、「これ、名前のフリガナが一箇所だけ違います」と指摘した。

本来「まり」と読む名前が「まさと」とルビが振られていた。もしかして、これは女性名に偽装された男性の申請書だったのでは──。謎は二転三転する。

そして、その推理は的中する。差出人は実は男性、つまり「彼」の方だった。

サトウさんの冷静な指摘

文書に潜む不自然な時系列

交際期間とされる日付の前に、すでに「別れた」と書かれたLINEが存在していた。つまり、その証拠も自作だった可能性が高い。提出されたプリントにはPDFの編集痕も見つかった。

「なまじ司法書士に送ってこなければ、誰も気づかなかったかもしれませんね」そう言いながら、サトウさんは紅茶を一口飲んだ。

僕の胃が、少し痛くなっていた。

差出人の署名に潜む矛盾

最後に気づいたのは、署名部分の筆跡だった。登記簿にある本物の沢口さんの筆跡と、今回の申請書のそれとはまったく違っていた。

そこまでくれば確定だった。これは、男性が偽名を用いて作った「捏造恋文」だったのだ。恋を諦めきれない執念が、法に触れる行動に変わってしまった。

「やっぱり恋は、証明できないものなんですね」と僕はポツリと呟いた。

真相は遺言にあった

恋ではなく財産目当ての罠

調べると、対象女性は実家の相続人。つまり、彼はその女性が受け取る予定の不動産を狙っていた疑惑も浮上した。恋のようで、実は資産の執行に関する策略だったのかもしれない。

「人間関係って、、、書類より複雑ですね」サトウさんの目が一瞬、遠くを見つめたように感じた。

サトウさん、恋してるんじゃないよね? そんな妄想が頭をかすめて、僕は自分をぶん殴りたくなった。

一通のFAXが示した隠された登記

最後の決め手は、匿名FAXで届いた古い土地の仮登記。そこには女性の名前があった。しかし、男が書類を差し替え、全てを自分の手柄にしようとしていた証拠も同封されていた。

「やれやれ、、、この仕事、恋の裁判官じゃないんだけどな」僕は鼻の頭を掻きながら、もう一度お茶を淹れた。

サザエさんの波平みたいに怒鳴りたい気持ちを抑え、そっと電話機に手を伸ばした。

やれやれ、、、また妙な依頼だった

夜の帰り道に見た残された封筒

こうしてまたひとつ、「恋」という名の書類事件は幕を閉じた。静かな夜に、事務所の灯りがポツンとひとつ。

事務所のドアを閉めた瞬間、足元に何かが落ちていた。白い封筒、手書きの宛名。中身は何も書かれていなかった。

けれどそれは、あの日の「執行文」の封筒とまったく同じものだった。風に舞うように、静かに僕の足元を転がっていった。

恋と書いて金と読む哀しき執行文

最後に、今日の書類一式をファイルしながら思った。結局この事件は「恋の書類」ではなく、「金の執行文」だったのだ。

それでも、そこに込められた想いは本物だったのかもしれない。たとえ手段が偽りでも、人が人を想う気持ちは、たぶん消せない。

明日は、もう少し平和な登記でありますように。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓