付き合う時間ないよねと言われた記憶が今もチクチクする

付き合う時間ないよねと言われた記憶が今もチクチクする

あの一言が刺さったのは暇だったからじゃない

「付き合う時間ないよね」と言われたのは、もう何年も前のことだ。あの頃は、まだ少し自分に余裕があると思っていた。司法書士として事務所を回し始めて数年、仕事も覚えて、なんとか一人前としてやっていけてる気がしていた。だからこそ、その一言がやけに胸に刺さった。仕事が忙しいことは言い訳にならないんだな、と思い知らされた瞬間だった。

忙しいくせに傷つく時間だけはしっかりある

普段は「忙しい」が口癖になっているのに、そう言われたときだけ、心がぽっかり空いたように痛む。仕事のミスで怒られても、登記で手戻りが出ても、そこまで動揺しない。だけど、たった一言「付き合う時間ないよね」と言われただけで、なぜこんなにも長く引きずるのか。たぶん、自分でも心のどこかで「それ、本当のことだよな」と認めてしまっているからだと思う。

なぜか言い返せないまま口ごもってしまった

「いや、そんなことない」とか、「頑張って時間つくるよ」とか、言えたらよかった。けれどそのときの俺は、ただ「……そうか」と曖昧に笑ってごまかすことしかできなかった。言い返すには、あまりにも図星だった。忙しさのなかで恋愛を二の次にしていたこと、ちゃんと向き合えていなかったこと、それら全部が一気に浮かんで、反論する資格なんてなかった。

本当に時間がなかったのは自分だったのかも

振り返ってみれば、彼女の方がよほど忙しかったはずだ。正社員で働きながら実家の家事も手伝っていたし、土日だってゆっくりできる時間は少なかった。でも、彼女はちゃんと「誰かのための時間」を確保していた。俺はというと、土曜も日曜も登記の確認やらお客さんの相談やらで時間が過ぎて、誰かと向き合う余裕なんてなかった。いや、作る努力すらしていなかった。

仕事優先の毎日に染まりすぎていた

司法書士の仕事って、時間の境目が曖昧だ。電話は夜でも鳴るし、土日にしか時間が取れないお客さんも多い。最初は「仕方ないよな」と自分に言い聞かせていたけれど、いつの間にかその状態が「普通」になってしまっていた。恋愛どころか、友人と会う機会すら減っていた。仕事がすべてだと思い込むことで、自分の人生のバランスが崩れていたことに気づかなかった。

恋愛は後回しと思っていたら何も始まらなかった

「今は仕事が大事だから」と自分に言い聞かせていた頃、実はそれが言い訳でしかなかったことを後から思い知る。恋愛は確かにタイミングも必要だけど、結局は自分の優先順位の問題だ。仕事ばかり優先していたら、何も始まらない。誰かと過ごす時間って、意識して作らないと永遠に訪れない。俺が後回しにしたのは、恋愛じゃなくて、自分の人生だったのかもしれない。

相手の時間ないには二つの意味がある

「時間がない」って、本当に物理的な忙しさのこともあるけど、「あなたに時間を使う気がない」という遠回しな拒絶のこともある。後者は辛いけど、気づかないフリをする方がもっと苦しい。俺が言われた「時間ないよね」は、前者だったのか後者だったのか…。考えれば考えるほど、答えが出ない。だけど、当時の自分が何も行動を変えなかったことだけは、明白だ。

都合のいい人止まりになっていなかったか

相手にとって、自分は「いつも忙しそうで、会いたいときには会えない、でも愚痴を聞いてくれる便利な人」だったのかもしれない。都合のいい人止まり。それは自分が望んだ関係ではないのに、結果的にそうなってしまったのは、自分の態度のせいだと思う。相手の立場に立って考える余裕もなかった。いや、考えようともしなかった。それが一番悔しい。

誰かのための時間を作るって覚悟がいる

今でも思う。「誰かとちゃんと付き合う」って、覚悟がいる。スケジュールを空けるとかじゃなくて、心にスペースを作るってこと。一緒にいられる時間を確保するだけじゃなくて、相手の言葉に耳を傾けたり、自分の弱さも見せたり、そういうこと全部が「覚悟」なんだと思う。司法書士としての覚悟ばかり鍛えられてきたけど、人としての覚悟は、まだまだ足りてなかった。

スケジュールに人間関係は書き込めない

予定表はぎっしり埋まってるけど、そこに「人と向き合う時間」はほとんどない。打ち合わせ、登記、相談、会議。全部大事だけど、それだけじゃ生きてる実感が持てない。仕事の合間にふとスマホを見て、誰からもメッセージが来ていないことにホッとする自分がいる。でも、どこかで寂しさも感じている。矛盾してるけど、それが今の自分の現実だ。

結局一人で事務所を回すとこうなる

事務員さんは一人いてくれて助かってるけど、基本的には全部自分でやってるから、毎日があっという間に終わる。気づけば昼飯を抜いてる日もあるし、夕方に飲む缶コーヒーが唯一の休憩だったりする。そんな日々が続くと、「人と付き合う」なんて想像もつかなくなる。一人で回すことに慣れすぎて、誰かが入ってくる余地を作れなくなっているのかもしれない。

朝から晩まで追われるのが当たり前になっていた

朝イチで役所に走って、そのまま顧客訪問、戻ってくれば相談対応と書類作成。気づけばもう夜。そんな毎日が当たり前になっていた。体力的にはなんとかなる。でも、心の余裕は確実に減っていた。そういう状態の自分では、誰かとちゃんと関係を築くのは難しい。わかっていても変えられなかった。

事務員さんが帰った後の静けさがつらい

夕方、事務員さんが「お先に失礼します」と言って帰っていく。そのあと事務所に残るのは、俺一人。パソコンの音とエアコンの音しか聞こえない。静けさがつらい。でも、誰かと話す気力もない。そんな自分に嫌気がさす夜が何度もあった。

それでも誰かと向き合える日が来ると信じたい

今の生活は、決して理想じゃないけれど、過去の自分に比べればほんの少し変わった気もする。完璧じゃなくても、少しずつでも「人とちゃんと向き合いたい」という気持ちが戻ってきている。それだけでも、前に進んでると思いたい。あのとき言われた「付き合う時間ないよね」が、ただの過去の出来事になる日を目指して、少しずつ進んでいこうと思う。

今の毎日は未来を変えるためにある

この忙しさがいつか報われるのか、それはわからない。でも、何もしなければ何も変わらないのは確かだ。だからせめて、未来の自分が少しでも笑っていられるように、今できることをやっておく。それが人と向き合う準備なのかもしれない。

少しずつ時間をつくる訓練を始めている

最近は意識して予定を詰めすぎないようにしている。無理やりでも「空白」を作る。最初は不安だったけど、意外と何とかなる。そしてその時間にちょっとだけ人と話す勇気を持ってみる。そんな小さな積み重ねが、昔の自分を超えていく第一歩なんだと思う。

予定表に自分の時間を入れる勇気

今まで空いてる時間は全部「仕事に使える」と思ってた。でも、最近は「この時間は何もしない」と決めるようにしている。それだけで心が少し軽くなる。予定表に自分のための時間を入れるのは、甘えじゃない。必要な習慣だ。

仕事ばかりじゃないと知るのもまた勉強

司法書士としての勉強は今も続いている。でも、人間としての学びも大切だと気づいた。誰かと過ごす時間も、心を育てる勉強のひとつ。そう思えるようになってきた今、ようやく「付き合う時間ないよね」と言われたあの日に、少しだけ優しくなれそうだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓