金を置いて消えた依頼人

金を置いて消えた依頼人

はじまりは封筒一枚

朝イチで届いた茶封筒。中には簡素な委任状と、振込の控えのコピーが入っていた。名義変更の登記依頼とだけ書かれたメモは、あまりにも乱雑で、まるでワカメちゃんの作文のように要点がなかった。

手数料はすでに支払われていたらしい。振込先は確かにウチの事務所。だが差出人はどこの誰なのか、署名の筆跡も頼りなく、まるでゴルゴ13が左手で書いたかのようだった。

「こりゃあまた妙な仕事が来たもんだな」と、ひとまず書類を机に置いた。コーヒーを飲む手が、なんとなく重たかった。

見慣れない名前と雑な委任状

依頼人の名は「山之内拓海」。どこかで聞いたような名前だが、思い出せない。委任状には押印もあるが、印影がにじんでいて怪しさ満点だ。

しかも、依頼内容の欄には「登記お願い」とだけ。せめて何の登記かぐらい書いてくれればいいものを、まるでバカボンのパパが書いたような曖昧さだ。

手数料が入っていなければ、即ゴミ箱行きだったかもしれない。それほど内容はいい加減だった。

登記原因証明情報の空白

重要な登記原因証明情報が見当たらない。売買か贈与か、何の取引かすらわからない。これはもう、事件と言って差し支えないレベルだ。

「こんなもんで登記が通るわけないじゃないですか」と、サトウさんの声が冷たく響いた。目はすでにPCの登記簿検索画面を開いている。

やれやれ、、、今日も彼女に先を越された。なんだか最近、彼女のほうが主役なんじゃないかと思うことすらある。

依頼人は何者なのか

私は一応、電話番号にかけてみた。しかし「おかけになった電話番号は現在使われておりません」。当然か。メールアドレスもフリーメール、返信はなし。

「偽名の線が濃厚ですね」とサトウさん。まるでルパン三世が化けていたかのような不自然な人物像に、私は首をかしげた。

振込名義と委任状の氏名が微妙に違っていたことにも気づき、違和感は深まるばかりだった。

名刺も電話番号も嘘くさい

封筒に入っていた名刺。プリンターで印刷しただけの簡素なもので、会社名も聞いたことがない。住所も番地が曖昧だった。

試しにグーグルマップで検索してみたが、表示されたのは空き地。かつて建物があった形跡もない。まるで幽霊会社だ。

「サザエさんで言うと、アナゴさんが“この名刺拾ったんスよ”って言い訳する回みたいですね」と私が呟くと、サトウさんは無言で頷いた。

手数料だけは振り込まれていた

不思議なことに、手数料三万円だけはしっかり振り込まれていた。証拠もばっちり。でも登記資料としては成立していない。

「これは……偽装目的の可能性があります」とサトウさん。口数が少ない彼女がはっきり言い切った。嫌な予感が背筋を這う。

私の頭の中に、かつて資格停止処分を受けた司法書士の名がふとよぎった。

サトウさんの鋭い指摘

彼女は黙って登記簿をチェックしていた。そして突然、マウスを止めた。「この不動産、売主の登記が半年遅れてますね」

私は画面を覗き込み、登記簿の履歴に目をやった。確かに、買主が変わってから登記がなされるまで、妙に間が空いていた。

「これ、前の所有者とグルかも」と言った彼女の目は鋭く、まるでコナンくんのようだった。

物件所在地の登記簿に違和感

登記簿を何度見返しても、登記原因が変だった。「平成二十八年一月一日 売買」となっているが、実際の売買契約書は平成二十九年の日付だった。

ズレている。意図的に。これは書類を使い回している証拠だ。悪質な手口だ。

「登記の世界にも詐欺師はいるんですね」と、私は苦笑した。できれば登場してほしくなかったが。

以前の所有者の住所にヒントが

所有者履歴から、以前の持ち主の住所を洗い出し、現地に赴いてみることにした。そこには、まだ名前の表札が残っていた。

ピンポンを押しても反応はない。だが、ポストに入っていた郵便物から、まだ誰かが住んでいる可能性があった。

サトウさんは家の裏手を回り、メーターの動きを確認していた。「使ってます。ここ、誰かいますね」

訪れた現地と開かない扉

私はもう一度インターホンを鳴らし、声をかけた。だが、反応はなかった。しかたなく帰ることにしたが、その足で近所の不動産業者に寄ってみた。

そこの老店主は首を傾げ、「最近、あそこには変な人が出入りしてるって話ですよ」と言った。

「やっぱり臭いますね。サトウさん、これは――事件ですね」私はわざと声を低くして言ったが、彼女はスルーした。

ポストの中の書きかけの売買契約書

翌朝、再び現地に向かい、そっとポストを覗いてみると、中には書きかけの売買契約書があった。「買主 山之内拓海」……!

「やっぱりな……これはダミーだ」私はそう呟いた。名前だけ使い、実体のない契約を偽装しようとしていたのだ。

法務局に提出する直前だったのか、それとも提出した後に差し戻されたのか。いずれにせよ、何かを隠すための登記だった。

やれやれの一服と推理の糸口

私は事務所に戻り、コンビニで買った缶コーヒーを開けた。タバコはやめたが、この一服の代わりだけは手放せない。

振込の際の名義。委任状の筆跡。宛名の書体。そしてプリンタのフォント。全てが一人の人間によるものだということに気づいた。

「こいつ、名前だけ変えて何人分もの依頼人を装ってたな……」私は確信した。これは多重名義偽装の典型だ。

封筒の書体と郵便番号が鍵

すべての封筒に共通していたフォント、そして同じ誤った郵便番号。ここまで来れば決まりだ。

私は過去の似た案件を洗い出し、同様のフォントを使った依頼人をチェックした。案の定、同じ形式の委任状が3件見つかった。

「司法書士資格を停止された“あの人”が、裏で動いてますね」サトウさんの声が冷え切っていた。

手数料は偽装のための撒き餌

依頼が成立しているように見せかけ、登録免許税や手数料を先に支払って信用させる。偽装工作の典型パターンだ。

しかもこちらは、報酬を受け取ってしまっている。つまり、通報が遅れればこちらにも火の粉が飛ぶ。

「間に合いますよ、今すぐやれば」とサトウさんが言った。いつの間にか法務局と警察への連絡書類を準備していた。

サトウさんの仮説と一致する痕跡

その後、調査と証拠提出により、資格停止中の司法書士が名義を変え、複数の登記依頼を装っていたことが発覚した。

彼は自分の復帰のための実績づくりを、不正な方法でやろうとしていた。悪質で愚かな試みだった。

「登記の世界も、油断ならないですね」私は苦笑した。だがこの苦笑、少し誇らしい。

登記完了目前の阻止劇

登記申請寸前で差し止めに成功。法務局も協力的だった。結果的に事なきを得たが、ひとつ間違えば自分の資格まで危うかった。

やれやれ、、、こういうトリックは推理漫画だけで十分だ。現実には勘弁してもらいたい。

私は大きく背伸びをし、今日もまた無事に日常が戻ることを祈った。

事件の幕引きと平常運転の午後

一件落着。警察も動き、書類はすべて回収された。だが、私の机には相変わらず未処理の登記申請書が山のように積まれていた。

「じゃあ、午後の分いきましょうか」とサトウさん。私に選択肢はない。

やれやれ、、、事件が終わっても、事務処理という名の終わらない戦いが待っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓