遺留分が語る嘘

遺留分が語る嘘

朝の郵便物と一通の封書

いつものように、サトウさんが無言で郵便物の束をデスクに置いた。書類の山に埋もれていた俺は、半ば惰性でその中から白い封筒を取り出す。差出人の記載がなく、手触りがどこか湿っぽい。

開封してすぐ、鼻の奥に鉄のようなにおいが立ち上る錯覚に襲われた。便箋に記された文字は、筆圧が強すぎて破れそうだった。何か、ただならぬものが始まろうとしていた。

無記名の封筒に震える文字

「これは…誰からだ?」つぶやいても、返事があるわけじゃない。便箋にはこう書かれていた。「遺留分を侵害されたので、法的措置を検討しています。ただ、それには伝えなければならないことがあります」

まるで懺悔のようで、告発のようでもあった。文末には名前も連絡先もなく、ただ「すべてはあの家にあります」とだけ。

差出人の名前に覚えがない

念のため、サトウさんに見せてみた。彼女は一瞥しただけで「差出人、これ女の字ですよ。たぶん50代後半くらい」と断言した。どこからそんな自信が湧くのか知らないが、逆らう気にはなれなかった。

やれやれ、、、何なんだこの手紙は。今週は既に三件の相続登記が詰まっているというのに、また妙な依頼が舞い込んできた。

遺言書と遺留分の境界線

俺は重い腰を上げて、過去の記録を洗い始めた。「あの家」とは、たぶん駅裏の小田切邸のことだ。数年前に遺産整理を手伝った記憶がある。確か、長女と次男の間で揉めていたはずだ。

その時に扱った遺言書には、長女にすべてを相続させる旨が記されていた。だが次男には遺留分があった。請求はしなかったが、最後まで目が笑っていなかったのを覚えている。

相談者が語る三年前の死

俺は住所録を探し、当時の相談者である長女の連絡先に電話をかけた。すると、まったく違う人物が出た。「妹はもういません」と言われたのだ。じゃあ、誰がこの手紙を?

しばらく沈黙が続き、「実は、私がその手紙を書きました」と相手が続けた。声は震えていた。まるで何かをやり直したいかのように。

内容証明が呼び起こす記憶

後日、事務所に届いた内容証明郵便には、遺留分侵害額請求書が添付されていた。しかも、手書きで。法的な体裁は整っていたが、添えられた一枚の手紙が全てを壊していた。

「母の意思ではない。あの遺言は偽物だ」──そんな文言が綴られていたのだ。ここからが俺たちの出番だった。

依頼人の不自然な言動

請求者として現れたのは、かつての次男ではなく、その妻だった。夫はすでに他界し、彼女が代理人として立っていた。彼女は俺をまっすぐ見て、こう言った。

「私は夫の無念を晴らしたい。だから先生、お願いします」──その目は確かに本気だった。ただ、何かが引っかかる。こんなにも整然としすぎている。

書類よりも心が重い

俺は戸籍と登記簿を確認し、手続きに問題がないことを確認した。しかしその過程で、小さな違和感を見つけた。あるはずのない住所変更が、数年前に一度だけ行われていたのだ。

それは、依頼人のものだった。なぜ、今になって名義の動きを隠そうとしていたのか。

サトウさんの冷静な違和感

「これ、偽装ですね」サトウさんは淡々と言った。「たぶん、誰かの名義を一時的に使ったんじゃないですか?たとえば……亡くなったご主人の名前とか」

俺は凍りついた。そんなことが本当に?──だが、調べるうちにそれが事実だとわかってしまった。

昔の登記簿が開く真実

古い登記簿謄本には、たった一週間だけ、ご主人の名義になっていた痕跡があった。その後、即座に長女に移転されていた。しかも、贈与という形で。

贈与契約書は残っていなかった。誰かがこの記録を利用して、過去を塗り替えようとしていたのだ。

見慣れた筆跡に潜む闇

ある日、古い書類から見覚えのある筆跡が出てきた。依頼人の妻が持ってきた「告白の手紙」と、筆跡が一致していたのだ。すなわち、内容証明は本人のものではなかった。

誰が何のためにこんなことを?その裏にあったのは、家族の中でしか共有されなかった秘密だった。

やれやれ、、、また厄介な話だ

結局、遺留分侵害請求は受理されなかった。証拠が偽造だったからだ。俺は報告書を閉じ、サトウさんに視線を送った。「お疲れさまでした」と一言。あいかわらず、塩対応だ。

やれやれ、、、本当に、司法書士ってのは探偵まがいの仕事だと思う。

家族写真と一筆のメモ

帰り際、机の上に一枚の古びた写真が置かれていた。依頼人の妻がそっと差し出したものだった。「夫が生前、大事にしてたんです」

写真の裏にはこう書かれていた。「すまない、すべては俺の判断だった」──たったそれだけの言葉が、全てを語っていた。

相続人になれなかった者

彼女は静かに帰っていった。法的には何も得られなかったが、きっと何かを手放せたのだろう。人は、時に裁判所ではなく、思い出で救われる。

俺は椅子に沈み込みながら、もう一度封筒の感触を思い出していた。

侵害請求の裏に潜む狙い

結局、彼女の狙いは金でも名誉でもなかった。ただ、過去の罪と向き合うために、あの手紙を書いたのだ。夫を裏切っていたのは、たぶん自分自身だった。

それを誰かに認めてほしかっただけなのかもしれない。俺がその相手でよかったかどうかは、今もわからない。

弁護士ではなく私を選んだ理由

「あなたは法だけで動かないから」──そう言っていた。褒め言葉か皮肉かはわからない。でもまあ、たまには役に立ったってことでいいだろう。

また誰かが、俺を巻き込もうとしているかもしれないけど。

すれ違う兄妹の遺志

遺産とは、不思議なもので。相続されるのはお金や土地だけじゃない。怒りや嫉妬、未練まで、そっくりそのまま残されてしまう。

そしてそれを誰かが整理しなければならない。俺みたいな司法書士が、だ。

沈黙が語るもの

もう何年も話していない兄弟が、相続をきっかけに顔を合わせる。だが、言葉は出てこない。出てくるのは、遺言書と通帳と、そして恨みだ。

その沈黙こそが、最も重い言葉なのだろう。

真実の告白とその代償

偽造された内容証明、すり替えられた名義、すべてが暴かれた。だが、それで誰かが救われたのかといえば、わからない。

告白とは時に、ただの自己満足でしかない。けれど、それでも人は語らずにはいられないのだ。

最後の面談で明かされた秘密

彼女は帰り際、ふとこう言った。「本当は、私が母を介護していたんです。義姉じゃなくて」

だから、財産が全て義姉に渡ったとき、自分の人生が否定されたように感じたのだと。

相続手続きという名の復讐

法律の裏で、人は人を裁いている。遺言書の一文に、何年もの想いが乗ってしまう。

それを「手続き」として処理するのが俺たちの仕事だ。でも、ときどき、それ以上の何かを求められる。

法では裁けぬ想いの行方

どんなに制度が整っていても、誰かの心までは救えない。それでも、俺たちは書類を書き、登記をし、嘆きを受け止める。

なぜって?それが、司法書士という仕事だからだ。

封書の中の救いと罪

最初の手紙を、俺はまだ引き出しに入れている。証拠としてはもう不要だが、たまに読み返したくなる。

そこには、罪と同じくらいの救いがあった。嘘のようで、本当のような、ひとつの人生が閉じ込められていた。

遺された者としてのけじめ

俺たちにできるのは、事実を淡々と処理すること。そして、ときに誰かの「けじめ」に立ち会うことだ。

封筒をそっと戻して、俺は椅子にもたれかかった。次の依頼が、また静かに届くのを待ちながら。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓