あたたかいごはんに救われた

あたたかいごはんに救われた

心が荒んだ日々に差し込んだ一筋の湯気

毎日のように書類に追われ、電話に振り回され、気づけば夜。そんな生活が当たり前になっていた頃、心がどんどん荒んでいくのがわかった。司法書士として仕事をこなすのは当然の責任だと思っていたが、気持ちの余裕がまったくなかった。そんな中、ある日ふと炊きたてのごはんの香りに包まれた瞬間、涙が出そうになった。あの一杯のごはんが、どれほど心に染みたか、言葉では言い表せない。

忙しさに追われて、食事を忘れていた

登記申請の期日に追われ、クレーム処理や打ち合わせで昼も夜も潰れていく。朝からまともに座って食事をした記憶がない日々が続いた。気づけば栄養ドリンクとカロリーメイト、コンビニのおにぎりで済ませるのが常だった。司法書士という仕事は、誰かに見られる仕事じゃない分、どんなに乱れていても外からは見えにくい。だけど、体と心は正直だ。食べないことの代償は、疲労感や不安感となって、ジワジワと押し寄せてくる。

気づけばコンビニのおにぎりばかり

最初は「手軽でいいや」と思っていたコンビニ飯。でもそれが何日、何週間と続くと、何かが欠けていく感覚に気づく。味がどうこうではなく、機械的にパッケージを開けて、無言で胃に流し込むだけの行為に、なんの感情もない。どこかで「これでいいのか?」という思いが頭をよぎるけど、その問いすら面倒になってしまう。仕事を理由に自分を放ったらかしにするのが、習慣になっていた。

「あたたかい」って、こんなにも違うのか

ある夜、珍しく自炊をした。といっても、炊飯器でごはんを炊いて、冷蔵庫の残り物で味噌汁を作っただけ。でも、その「湯気」が立ちのぼるごはんを目にした瞬間、胸の奥がじんわりあたたかくなった。コンビニのおにぎりとの違いは、物理的な温度だけじゃなかった。人間らしい営みを、ちゃんとやれてるという感覚。あたたかいごはんは、胃袋だけじゃなく、心を満たしてくれる。

あの夜の茶碗一杯に救われた

それは特別な日ではなかった。たまたま予定がキャンセルになり、少しだけ時間ができた日。何気なく炊いた白米が、こんなにも自分を癒してくれるなんて思わなかった。茶碗を持ったときの温もり、ふっくらとした米粒の甘さ、口の中に広がる柔らかい幸福感。それは誰かに相談するでもなく、何か問題が解決したわけでもない。ただ、「ああ、生きててよかった」と思えた、ほんのひとときだった。

疲れて帰宅した僕を迎えた湯気

深夜、クタクタになって帰宅した日。事務員も帰って事務所は真っ暗。自宅も誰もいない。そんな中、炊飯器を開けた瞬間に立ちのぼる湯気。それだけで心がほどけていく感覚があった。ごはんが炊けているという当たり前の事実が、妙にありがたく感じたのを覚えている。「ちゃんと食べる」ことの大切さを、身をもって思い知らされた瞬間だった。

炊きたての香りに泣きそうになった

香りというのは不思議なもので、過去の記憶を呼び起こす力がある。炊きたてのごはんの匂いに包まれたとき、小さい頃に母が炊いてくれた白米の味を思い出した。あのときも、何気なく食べていたけれど、今になってその温かさに涙が出そうになった。誰かが手間をかけて用意してくれたごはんの価値を、大人になってようやく理解した気がした。

食べ物というより、ぬくもりだった

茶碗に盛られたごはんは、ただの栄養源ではなかった。その場に誰もいなかったけれど、何かに抱きしめられているような感覚。湯気の中に、自分を気遣う何かの気配を感じた。自分を蔑ろにしてきた日々に、ようやくブレーキがかかった。心が満たされる瞬間は、こういう小さな場面にこそ潜んでいるのだと思った。

誰かがいてくれることの大きさ

独身で一人暮らし、仕事場でも孤独な時間が多い。それが普通だと思っていた。でも、ふとした瞬間に誰かの言葉や行動が心に染みることがある。とくに身近にいる事務員さんの何気ない言葉が、自分にとって大きな意味を持つようになった。仕事に追われて孤独に陥っていた僕にとって、人とのつながりは、まさに救いだった。

事務員さんの何気ない一言が沁みた

「先生、ちゃんと食べてます?」と聞かれたのは、ある月曜日の朝だった。疲れた顔を見られたのだろうか。たったその一言で、ぐっと胸が熱くなった。気遣いの言葉なんて、普段あまり受け取らないからこそ、その破壊力はすごい。いつもはただの事務連絡しかしない関係なのに、そのときだけは「見ていてくれてる人がいる」と思えた。

「先生、今日はちゃんと食べました?」

事務所に戻ると、テーブルにおにぎりとインスタント味噌汁が置いてあった。「余ったのでどうぞ」なんて、何気ないふりをしながらも、それがどれだけありがたかったか。仕事のスキルや効率も大事だけど、結局のところ、人間は人間に救われる。気遣いという名のぬくもりが、ギスギスした心を和らげてくれる。

ただの雑談が心の支えになる

日々の何気ない会話が、こんなにも心を支えるなんて思わなかった。休憩時間に交わすたわいない話が、孤独に沈みそうな自分を引き上げてくれる。仕事の合間に笑ったり、ちょっとした愚痴を聞いてもらうだけで、精神的なバランスが保たれる。あたたかいごはんと、あたたかい言葉。その両方が、僕を何度も救ってくれている。

一人じゃない、と思えた瞬間

普段は「どうせ俺なんか…」が口癖の僕だけど、それでも人とのつながりに救われた経験は確かにある。一人で背負ってるつもりでも、見えないところで支えてくれてる人がいる。その存在を忘れずにいたいと思うようになった。司法書士という職業は孤独との戦いでもあるけれど、だからこそ、小さな「ぬくもり」に気づける力が必要なのかもしれない。

独身だし、人に甘えるのも苦手だけど

「男なんだから」「士業なんだから」と、つい肩に力が入る。でも、そんな意地が逆に自分を苦しめていた。誰かに頼ることを恥ずかしいと思っていたけれど、今では素直に「ありがとう」と言えるようになってきた。人に甘えるのが苦手でも、少しずつでも、感謝の気持ちを伝えていければ、それでいいと思えるようになった。

それでも「気にかけられる」ことが救い

気にかけてくれる人がいる。それだけで、仕事の重みが少しだけ軽くなる。司法書士という仕事は、正解がなく、責任が重い。そのぶん孤独も深くなりがちだけど、そんな時こそ、あたたかいごはんと、人の優しさが心の支えになる。誰かが見ていてくれる、気にかけてくれる。それがあるだけで、人はまた頑張れる。

日常に潜む小さな幸せを見落とさないように

司法書士の仕事は、派手さはないが、細かくて終わりが見えない。そんな日常の中で、見落としがちな小さな幸せを、ちゃんと拾い上げることが、生き延びるためには必要なんだと思う。あたたかいごはんは、その象徴のような存在だ。忙しくても、イライラしていても、「うまいな」と思える時間を大切にしたい。

温かいごはんは、ただのエネルギーじゃない

食べることは生きること。そんな当たり前を、つい忘れてしまいがちになる日々。だけど、炊きたてのごはんを口にしたとき、「自分は生きてる」と実感できた。それは単なるカロリー摂取じゃなく、心に火をともすような体験だった。日々に追われていると、そういう瞬間すら遠のいてしまう。でも、たまには立ち止まって、あたたかいごはんを味わってみてほしい。

心のざらつきを溶かす存在

仕事でうまくいかない日、理不尽なクレームを受けた日、誰とも話さずに終わった日。そんな日の終わりに、お茶碗一杯のごはんがあれば、それだけで心が少し柔らかくなる。何も解決はしていない。でも、前を向ける気がする。ごはんの力は、ただ「満腹」にするだけじゃない。心のざらつきを、じんわりと溶かしてくれる。

人間らしさを思い出させてくれる時間

忙しさに飲まれていると、人間らしさを失っていく。笑わなくなり、味を感じなくなり、ただ機械のように動くだけの存在になる。そんなとき、あたたかいごはんを前にしたときの安堵感は、人間らしさを取り戻す大切な時間だ。たったそれだけのことが、生きる力になる。司法書士も、ただの一人の人間なのだと、あらためて思う。

司法書士という職業の孤独と戦うために

誰にも頼れない、相談できない、そんな場面が多いこの仕事。だからこそ、自分を支える習慣が必要だ。あたたかいごはんは、もっとも手軽で、もっとも効果的な自己ケアかもしれない。自分を大事にしないと、人のためにも動けない。そんな当たり前のことに、ようやく気づけた。

頑張ることも大事、でも休むことも大事

「頑張る」が口癖になっていた。だけど、無理を続けると、やがて何も感じなくなる。燃え尽きる前に、休む勇気を持とう。その一歩として、ちゃんとしたごはんを食べることから始めてもいい。頑張る自分への、ご褒美ではなく、必要なメンテナンス。それが、あたたかいごはんなのだ。

食卓をちゃんと守る。それも立派な戦略

食事を軽んじてはいけない。どんなに忙しくても、1日1回はあたたかいごはんを食べるようにしている。それが心と身体の安定剤。司法書士としての仕事を長く続けるためにも、自分の「生活」を守ることが必要だ。食卓を守ることは、仕事を守ることにもつながっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。