依頼人が持ち込んだ一枚の測量図
事務所のドアがきしみながら開き、地味なスーツ姿の中年男性が姿を見せた。彼は一枚の地積測量図を差し出し、これに「奇妙な線」があるのだと言った。最初は、ただの筆界の記載ミスだと思ったが、図面に引かれた赤い破線は、明らかに通常の図面とは異なる様子だった。
測量士の記名も、どこか薄く滲んでいる。不動産の相続登記を頼みに来たと言うが、その図面に描かれた線が気になって仕方ないらしい。僕は依頼人をいったん帰し、コピーした図面をサトウさんのデスクにそっと置いた。
彼女が何か気づいてくれることを願っていた。
見慣れぬ赤い線にサトウさんが気付いた
「これ、赤線、ですよね。昔の都市計画で地下通路用に使われてたやつ」 サトウさんが目も合わせず、淡々と言った。 「昔、キャッツアイが逃げる時に使ってたみたいなやつですね」
「いや、それマンガでしょ…」と思いつつ、僕は赤線の位置に指を置いた。確かに、民家の下を横切る形で、私有地と公道を結んでいる。測量図上では「地下」の表記はない。つまり、本来は存在してはいけない通路だ。
それでも何かがある。そんな確信があった。
謎の地下通路が示された境界線
登記簿を確認すると、その土地は昭和の終わり頃に一度だけ名義変更が行われていた。名義人はすでに死亡している。にもかかわらず、固定資産税の納付記録は継続されていたのだ。
相続人が現れず、放置された空間。地図上では存在するが、誰のものとも言えない、そんな宙ぶらりんな区画だった。僕はその赤線が示すものを、登記上の「空白地帯」と呼んだ。
その言葉にサトウさんが微かにうなずいた。
所有者不明の空間と不動産登記の死角
このような空白地は、過去の測量ミス、あるいは公共事業の名残として存在することがある。そして往々にして、何か隠したいものがある時に使われる。地下通路。倉庫。あるいは、もっと危険なもの。
僕は過去の測量士の記録を探すため、法務局に電話をかけた。しかし担当者は要領を得ず、「今は保管されていない可能性が高い」とのことだった。
「やれやれ、、、」とつぶやきながら受話器を置いた僕を、サトウさんが一瞬だけちらりと見た。
かつての測量士の影を追って
名前が読み取れたのは「三谷」とだけ。調べてみると、同名の測量士が30年前に亡くなっていた。だが、その息子が今も測量事務所を継いでいるという。
僕はスーツに着替え、その事務所を訪ねた。小さなプレハブのような建物で、埃っぽい地積図が山積みになっていた。対応に出たのは、無精ひげをたくわえた男だった。
「父が書いた図面に地下通路?……ああ、あれ、まだ残ってたんですか」
三十年前の図面と一致しない現在の土地
彼は静かに語り始めた。かつて、その土地には防空壕の跡があり、戦後は物資の貯蔵庫として使われていたらしい。赤線はその通路を示していたという。
だが、その存在は表向きには抹消され、測量図からも削除された——はずだった。 「父は、誰かが使うかもしれないからって、勝手に残しておいたんですよ」 「まるでルパン三世の隠れ家みたいだな」と僕は内心思った。
それでも、真実に少しだけ近づいた気がした。
地下に通じる古井戸の存在
依頼された土地の裏手には、使われていない古井戸があった。コンクリートで固められていたが、サトウさんが持ち込んだ磁気スキャナで、下に空洞があることが分かった。
「地面が浮いてる。通路、ありますね」 彼女はつぶやきながらも、淡々としていた。
僕は懐中電灯を手にし、地下通路を掘り返すための許可申請を進めることにした。
誰も気づかなかった出入口の痕跡
通路の出入口は、隣地の廃屋の床下にあった。小さな鉄の扉で、鍵はかかっていなかった。 開けると、古びたコンクリートの階段が続いていた。足元にはネズミの足跡と、時折聞こえる水の音。
その奥に、古びた金庫のような扉があった。
依頼人の嘘ともう一人の登場人物
依頼人は最初からすべてを知っていた。父がその地下通路を使って何かを保管していたことも。測量図を持ち込んだのは、ただの確認にすぎなかったのだ。
本当の目的は、相続登記を装って地下金庫の所在を掴むこと。その証拠は、通路の中で見つけた古い写真と、彼の筆跡が残されたメモが語っていた。
サトウさんは冷たく「自己証明乙ですね」と吐き捨てた。
亡き父と共有名義の謎
金庫の中には、現金とともに一通の遺言書があった。そこには、土地と地下通路の共有名義人として、意外な名前が記されていた。
依頼人の父とともに、その名義を持っていたのは、現在の所有者とは別の女性だった。彼女はかつて父の愛人であり、そして彼の死後、土地の権利を静かに放棄していたのだ。
つまり、この土地には二重の秘密があった。
サザエさんの裏の顔という話題で一息
「サザエさんって、家の中に謎の階段ありますよね。あれ絶対どこか通じてますよ」 帰り道、サトウさんが言った。 「地下通路?あの家で?」 「意外とカツオがスパイかも」
……もう何がなんだかわからない。
やれやれ、、、こんな時に何を言ってるんだか
でもその冗談が、少しだけ気持ちを軽くしてくれた。
測量図に隠された暗号と法務局の記録
通路のルートは、地番の数字と一致していた。ただ一桁、誤って記されている場所があり、それが金庫の場所を指していた。三谷測量士のささやかな暗号だったのかもしれない。
すべての証拠を添えて、登記の是正申請を行った。法務局の担当者は目を丸くしながらも、手続きを進めてくれた。
長かった地下の調査は、ようやく終わりを迎えた。
夜の調査と崩れかけた階段
調査の最後の日、通路の奥で崩れかけた階段に足を取られ、転びそうになった。その瞬間、背後からサトウさんの声が飛んだ。
「踏み外さないでくださいよ、現場検証が面倒ですから」 彼女の言葉は冷たいが、妙に安心した。
僕は転ばずに済んだが、靴は泥だらけになった。
地下通路の先にあった古い金庫
金庫は錆びついていたが、鍵は簡単に開いた。中には古い現金と、未使用の登記識別情報通知書が束になって入っていた。誰も知らない財産。だが、それはもう歴史の一部となるだろう。
僕はそのまま、遺言とともに法務局へ届けた。もう、この地下通路を使う者はいない。
真犯人が現れたのは登記完了の直後だった
翌日、依頼人が再び事務所を訪ねてきた。 「どうでしたか?」と白々しく尋ねる声に、僕は静かに登記完了証を差し出した。
彼はそれを見て、黙った。 サトウさんが言った。「これ、警察にも情報共有済みです」 彼の表情が凍った。
結末と正しい所有者の証明
金庫の財産は、遺言に基づき正式に相続人に渡された。誰も知らなかった地下通路の存在が、ひとつの家族の物語を明らかにしたのだ。
そして地積測量図は、再び訂正され、赤線は消された。
サトウさんのひとことと僕の愚痴
「地下通路も、司法書士も、あまり人に知られちゃいけないものなんですよ」 サトウさんは淡々と言って、事務所のコーヒーメーカーに向かった。
やれやれ、、、ほんと、こっちの人生こそ通路みたいに先が見えないよ。