名義の奥に眠る嘘

名義の奥に眠る嘘

はじまりは奇妙な委任状だった

梅雨の湿気に包まれた朝、いつものように机に向かっていたところに、分厚い封筒が届いた。差出人の名義は「タカヤマアキラ」。どこかで聞いたような、しかしはっきりとしない名前だった。

中には不動産の所有権移転登記の依頼書と、委任状、印鑑証明書の写しが入っていた。だが、どれもどこかが微妙に浮いていた。とくにその名義。全部カタカナ。違和感が肌にじわじわと滲む。

「やけに丁寧すぎるな…」思わず呟いてから、サトウさんの冷たい視線に気づいて口を閉じた。

カタカナ名義の違和感

名前がすべてカタカナで書かれていることは法律上問題ではない。ただ、実務上ほとんど見ない。特に戸籍や住民票上での記載が漢字であるにもかかわらず、委任状だけがカタカナ表記なのは珍妙だ。

加えて、印鑑証明書も写しでしか提出されておらず、原本がない。いくら何でも慎重すぎる。依頼人は顔を見せるつもりがないのだろうか。

サザエさんの登場人物なら、ここで波平が「こら、あきら!ちゃんと会って説明せんか!」と怒鳴るだろうな、とぼんやり考えた。

依頼人は現れない

三度、来所を促す連絡をしたが、返ってくるのは「多忙のため無理です」「必要書類はすべて送付済です」といった、テンプレートのような返答ばかり。

だが、慎重さの裏に何かをごまかしている気配が拭えない。経験則からして、こういう場合は何かが潜んでいる。

「…面倒なやつだな」カップ麺の湯切りをしながら、そうぼやく。やれやれ、、、この時点で関わったのが間違いだったかもしれない。

午後三時のサトウさん

「所長、これ、固定資産課税台帳と評価証明です。やっぱりおかしいですよ」

サトウさんは淡々とファイルを広げ、異常点を指摘した。確かに、登記されているはずの名義人と、実際の納税義務者の氏名が一致していない。

さらに、過去数年間の課税情報もブランクが多い。まるで人が住んでいた気配がない。

塩対応から生まれる鋭い指摘

「そもそも、名義人が実在するかどうかも怪しいですね」とサトウさん。

彼女はパタパタと書類を並べながら、Googleマップで現地住所を確認していた。「この建物、取り壊されてます。去年の夏に」

「え?登記は…」私は思わず声を上げたが、サトウさんの無表情がすべてを物語っていた。

一枚の登記簿からの違和感

登記簿の所有者欄には、確かに「タカヤマアキラ」の名前があった。だが、その取得日は平成18年。今は令和7年だ。

そして抵当権の抹消も未了。もしこの人物が健在なら、こんなにずさんな状態で放置するだろうか?

私は再び資料に目を戻し、頭の片隅で赤木探偵事務所のように軽快な音楽が流れる気がした。

司法書士の地味な捜査

登記上は確かに名義がある。しかし実在性に疑問が残る。となれば、戸籍を追うしかない。

本籍地の役場に職務上請求を出す。手間はかかるが、こういうのは地味な積み重ねが物を言う。

「あー、やっぱり俺、探偵じゃなくて地味職だわ…」そんな冗談を誰にも聞かれずに呟いた。

市役所で見つけた書類の矛盾

出てきた戸籍は驚くほど古かった。そして、肝心の「タカヤマアキラ」は平成22年に死亡していたことが記されていた。

つまり、この依頼は「故人名義を使った何か」である可能性が高まった。登記を通して資産を動かそうとする偽装の線が濃厚だ。

「ダミー法人じゃなく、ダミー個人か…」額の汗を拭いながら、そう呟いた。

「それ、ダミー法人かも」の一言

「それ、法人じゃないですけど、登記を偽装する意図は法人ダミーと似てますよ」

サトウさんがメモ書き片手にそう言った。まるでシャーロック・ホームズのワトソンだ。

「名義人はとっくに死んでる。あとは、誰がそれを利用してるかですね」

夕暮れの聞き込み調査

現地に足を運んだ。夕暮れの空は鈍く灰色に濁っていた。住所には更地が広がり、そこに掲げられた開発予定地の看板が風に揺れていた。

近隣の不動産屋に話を聞くと、数ヶ月前に「妹」を名乗る人物が来て、土地の売却について相談していたという。

しかしその際の名前も「カタカナ」だった。偶然とは思えない。

元野球部の勘が働く

「カタカナの名義人、カタカナの妹、そして書類だけのやりとり…」

長年キャッチャーをやっていたからか、相手の意図が匂いでわかる。これは罠だ。司法書士を使って書類を正規化しようとする巧妙な手口だ。

「よく考えたな…だが、三振は取らせてもらうぜ」私は口元を吊り上げた。

近所の不動産屋の証言

不動産屋は言った。「ああ、確かに美人でしたよ。どことなく冷たい感じでしたけど…」

冷たい感じ、と聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは事務所で氷の視線を向けてくるサトウさんの顔だった。

だが、彼女ほど理性的ではなさそうだ。この女が依頼人に違いない。

カタカナの意味

戸籍に残された記録を精査していくうちに、「タカヤマアキラ」には妹がいたことがわかった。

そしてその妹は、兄が亡くなった後、資産をどうしても手放したくなかったようだ。

遺産分割協議もされないまま、無断で兄の名義を装い続けていたのである。

名義人は既に故人

この事実を突きつけると、郵送でのやり取りは急に途絶えた。やはり図星だったようだ。

不審な依頼に応じて登記していたら、私は間違いなく責任を問われていた。

「司法書士も命がけだな…」溜息をつきながらも、どこか胸の中に誇りがあった。

偽装相続と預金凍結回避

妹は、兄の死亡を公にせず、不動産だけでなく預金も動かしていたらしい。

相続発生を金融機関に知られると凍結されるため、名義を変えずに偽装していた。

事件性が高いため、最終的には警察に引き継ぐこととなった。

やれやれ司法書士の逆転劇

「カタカナで偽装なんて、昭和のドラマかっての…」

法務局への報告と所内の記録整理を終えた私は、腰を伸ばして椅子にもたれた。

サトウさんは無言でアイスコーヒーを置いてくれた。その温度が、何よりのねぎらいだった。

法務局とのやり取りで明らかに

正式に法務局を通じて確認された結果、死亡後の不正登記申請未遂として記録されることになった。

万が一こちらが登記を通していたら、不正の片棒を担がされるところだった。

「やれやれ、、、今日もギリギリで踏みとどまったか」私は自分の凡ミスに怯えながらも、胸をなでおろした。

真犯人は依頼人の妹だった

後日、警察からの連絡で、例の「妹」が任意同行に応じたことを知らされた。

その後、詐欺未遂と有印私文書偽造の容疑で送検される運びとなった。

カタカナの名義が、最後には全てを暴いたというわけだ。

ラストファイルとサトウのひとこと

「所長、今日はうっかりせずに済みましたね」

「まあな…明日はきっとやらかすが」

「うっかりも、たまには役に立ちますね」サトウさんの言葉に、私はアイスコーヒーを一口すする。やれやれ、、、明日も頑張るか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓