ボーナスって制度が羨ましくなる

ボーナスって制度が羨ましくなる

ボーナスの話になると急に黙ってしまう

この時期になると、どこからともなく聞こえてくる「ボーナス入ったから◯◯買ったよ」という話。正直、聞くだけで胸がチクチクする。司法書士という仕事は、独立してしまえば、ボーナスどころか固定給さえも存在しない。成果報酬で成り立つ世界にいると、そういう“節目のご褒美”があまりにも遠い存在に感じられてしまう。

司法書士には「ボーナス」なんて概念がない

企業に勤めていた頃の友人たちと飲みに行くと、必ずと言っていいほどボーナスの話になる。「支給額は減ったけどまあまあだったよ」とか、「評価が上がって増えた」など。私はといえば、心の中で「その制度、こっちには無いんだよ」とつぶやきながら、焼き鳥の串を黙々と口に運ぶだけ。羨ましい気持ちを隠すのに必死になる。

固定報酬じゃないから年末年始が怖い

年末年始は案件も減って、収入が一気に落ちる。企業なら冬のボーナスで乗り切れるかもしれないが、こちらはひたすら蓄えでやりくりするしかない。年末調整や確定申告の準備が始まる時期に、残高とにらめっこして冷や汗をかく。そんな現実の中で、ボーナスの話題が耳に入ると、なんとも言えない虚しさに襲われる。

「今年も頑張ったな」と思える何かがほしい

ボーナスがすべてとは思わない。でも、目に見えるご褒美があるのはやっぱりうらやましい。年末に自分で「よくやった」と声をかけてみても、心のどこかが空っぽのまま。頑張った実感はあっても、それを称えてくれる存在がいないと、どうしても物足りなさが残ってしまう。

テレビCMで流れるボーナス商戦に違和感

12月になると、どのテレビも「ボーナスセール」一色になる。家電、車、旅行…まるでボーナスが全員に支給される前提で話が進んでいる。でも現実には、フリーランスや個人事業主、非正規で働く人たちにとって、その恩恵はほとんどない。そんな“当たり前”の世界に取り残されたような感覚になる。

どの層をターゲットにしてるのか不思議

「ボーナスで旅行を!」なんてキャッチコピーを見るたび、誰に向けて言ってるんだろうと首をかしげる。購買意欲を煽るにはわかりやすい言葉だが、実際にはその恩恵を受け取れない人がこんなにも多いのに。ボーナスがあることが“勝ち組”の証みたいに扱われると、自分の立ち位置がますます分からなくなる。

そもそも賞与前提の社会設計に乗れてない

日本社会は、ボーナスがあることを前提に設計されている部分が多い。住宅ローンもそうだし、家族旅行の提案なんかもそうだ。でも我々のような個人事業主には、そんな設計図はない。制度そのものが“向こう側”のものとして存在していて、最初からその列車に乗る選択肢を持てなかったような気さえしてくる。

事務員さんにボーナスを出す立場だけど

私自身はボーナスをもらったことがないが、雇っている事務員さんには一応、年末にささやかなボーナスを渡している。額はほんの気持ち程度。それでも、渡す瞬間に「ありがとうございます!」と喜んでもらえると、こちらまで救われたような気持ちになる。でもその裏で、自分自身には何も無いという現実を突きつけられる。

出す側のプレッシャーと罪悪感

正直、ボーナスを出すのはプレッシャーがある。事務員さんの貴重な労働への感謝の気持ちを込めたいが、事務所の経営が苦しい年もある。そんなときは「本当に出していいんだろうか」と悩む。額が少ないことへの罪悪感と、自分の生活との板挟みになる気持ちで、何とも言えない思いが交錯する。

少額でも喜んでくれるのが救い

そんな中でも「ありがとうございます!助かります!」と言って笑顔を見せてくれると、こちらの心も少しだけほぐれる。自分の苦労が誰かの生活に役立っている実感は、ボーナスという形を通してようやく芽生えるものかもしれない。たとえ少額でも、感謝が循環する構造には救われている。

でも自分の財布はスカスカで矛盾だらけ

とはいえ、自分の通帳を見るとため息が出る。年末の出費がかさんでいくなかで、ボーナスを渡すと自分の生活がさらにカツカツになる。それでも出さないという選択肢は無い。この矛盾を抱えながら、なんとか年を越すのが、独立開業してからの年末恒例行事だ。

もしもボーナス制度があったら

もし司法書士にもボーナス制度があったら、どんな気持ちで年を越せるだろう。仕事の成果がちゃんと評価され、一定の報酬として還元される仕組みがあれば、もう少し前向きに頑張れる気がする。たまには「がんばったご褒美」があってもいいじゃないか、なんて思ってしまう。

モチベーションの波がもう少し安定したかも

今の働き方は、どうしてもモチベーションに波が出やすい。忙しい時期と暇な時期が極端で、気持ちの維持が難しい。そんな中でボーナスという節目があれば、「この月までは頑張ろう」という目標にもなるだろうし、張り合いも出る。目に見えるインセンティブは、やっぱり強い。

節目に見直すきっかけがあったかもしれない

ボーナスがあれば、自分の働き方を振り返るきっかけにもなっただろう。「今年の成果はどうだったか」と評価するタイミングを持つことで、仕事の質を意識するようになるかもしれない。年に一度でも、立ち止まって自分を客観視する機会は必要だと感じる。

誰かに認めてもらえる実感がほしい

結局のところ、人は誰かに「よくやった」と言ってもらいたい生き物なんだと思う。ボーナスというのは、金額以上に「あなたの働きに価値がある」というメッセージが込められている。だからこそ、それがないと感じる寂しさが、年末になると心に広がっていくのだ。

結局、自分で自分にご褒美を与えるしかない

だから私は、少しでも自分にご褒美を与えるようにしている。年末にちょっといいお酒を買ったり、コンビニでケーキを買ったり。そんな小さなことでも、「今年も生き延びたな」と感じられる時間になる。でも、それが下手なのも自分だと、毎年痛感する。

でもそれが下手だから疲れてしまう

本当はもっと上手に息抜きすればいい。でも気づけば無理してしまい、自分への労いを忘れている。自分を喜ばせる方法を知らないまま、また年を越す。そんな自分に対して「お前、もっと自分に優しくしろよ」と心の中で突っ込みを入れるのが、毎年の恒例行事みたいになっている。

他人に評価されることが欲しくなる時もある

「他人に評価されなくても、自分が納得していればいい」と思っていた時期もある。でも、年を重ねるにつれて、それだけではやっていけないと感じるようになった。誰かに見てもらっている、認められているという感覚は、人を生かす栄養みたいなものだ。

孤独な仕事には孤独な節目しかない

司法書士という仕事は、孤独で静かな仕事だ。そしてその節目もまた、静かで地味だ。華やかなセールやご褒美の代わりに、静かに年末を迎え、静かにまた新しい年が始まる。そんな生活の中でも、せめて「お疲れ様」と自分に言える心を持っていたいと願っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。