朝の電話と不審な依頼
「登記をお願いしたいんですが……」と、しわがれた声が受話器の向こうから聞こえたのは、朝のコーヒーを一口飲もうとした矢先だった。サトウさんは眉一つ動かさず、受話器を僕の机に置いた。「変な依頼ですね。相続登記が済んでるはずの土地です」と、彼女は淡々と言う。
書類の束に挟まれていたのは、見覚えのある古い申請書。15年前、まだ僕が見習いだった頃に扱った案件だ。やれやれ、、、朝から気が重い。
サトウさんの冷たい視線とコーヒーの香り
「コーヒー冷めますよ」と、サトウさんは僕のマグカップを机の端に押しやった。まるで、これ以上無駄なことはやめてくれという無言の圧力だ。僕は仕方なく申請書に目を落とす。
用紙の端に薄く残るスタンプの跡。「登録免許税 一五万円」。だが、記憶にあるのは確かに三万円。何かがおかしい。
差出人不明の封筒に記された登記番号
その書類と一緒に届いた茶封筒には、旧字体の文字で登記番号だけが書かれていた。差出人はなし。まるで、名探偵コナンで見るような、事件の始まりを告げる挑戦状のようだった。
僕は思わず背筋を伸ばした。「これは……、やるしかないか」
忘れ去られたはずの登記申請
その登記番号を使って法務局で調査を始めた。電子化される前の登記簿は、まだ紙のままで保存されていた。ホコリをかぶった台帳を開くと、そこには確かに「相続人〇〇」と記された変更履歴が残っていた。
しかし、税額欄の記載は「一五万円」。おかしい、当時の登録免許税法からすれば、相続でその土地なら三万円が妥当だ。誰かが数字を上乗せしている。
15年前の名義変更と一致する謎
当時の担当司法書士は……僕だ。だが僕の控えには「三万円」と記録されている。申請書も、収入印紙も、全て正規の額だった。改ざんされたのは登記簿だけか?
誰かが、あとから税額欄だけを書き換えた?その目的は?
土地の価格に見合わぬ登録免許税の額
土地の評価額を確認してみると、到底十五万円の税額が発生するような金額ではない。やはり、何かが操作されている。だが、なぜわざわざそんなことを?
まさか、登録免許税を利用して、資金を洗浄するためか……?
登記簿の中の小さな違和感
じっくり見ていくと、他にも不審な登記が見つかる。いずれも同じ頃、同じ法務局で申請されたものばかりだ。そして、すべて税額欄にだけ手書きの修正が入っている。
「これ、全部誰かがやってるとしたら、結構な金額になりますね」とサトウさんがつぶやく。
受領印のない納付書控え
その中の一件には、収入印紙の貼付欄に受領印が押されていなかった。「それってあり得る?」と僕が聞くと、サトウさんは無言で首を振る。完全にルール違反だ。
「これ、登記官と組んでやってる可能性ありますよ」と彼女は言った。
数字を読み解くサトウさんの分析
彼女はPCを立ち上げ、過去十年分の類似登記を洗い出していく。その集中力たるや、キャッツアイの美術品泥棒が防犯システムをくぐり抜けるような精密さだった。
「やっぱり、ある一定の範囲で、金額が上乗せされてる記録があります」
やれやれという癖が出る瞬間
ここで僕は思わず頭をかいた。「やれやれ、、、」口に出してしまったのは反射だ。サザエさんの波平のように、こうなるともう止まらない。
「あれって確か、僕が修行してたときの所長が担当だったな……」
かつての先輩司法書士の名が浮上
先輩は数年前に急に廃業していた。「あの人、当時、登記官と仲良かったって噂ありましたよね?」サトウさんの一言に、背筋が寒くなる。
もしや、当時からグルだったのか?
退官した登記官の不自然な動き
調べると、その登記官も退官後に突然豪邸を建てていた。「偶然ってレベルじゃないですね」とサトウさん。証拠はまだないが、疑惑は深まる。
鍵は、税額欄の手書き修正と、印紙番号だ。
偽造された登録免許税領収書
印紙番号を精査すると、実際に発行されたものとは違っていた。つまり、使われた印紙自体が偽物の可能性がある。これは偽造だ。
「偽造印紙使って、申請通して、浮いた差額を……」サトウさんが静かに言う。
二重に請求された税額とその行方
さらに調査すると、依頼人にも十五万円を請求し、司法書士として三万円分しか実際には支払っていなかった事例が発覚。差額十二万円がどこに行ったのか。
それが毎月十件あれば、年間で……想像するのも恐ろしい。
元依頼人の悲鳴と沈黙
何人かの元依頼人に連絡を取ると、「確かに多く払った気がしますが……」と声を濁した。既に故人になっているケースもあり、もはや完全な証拠は得られない。
過去が静かに沈んでいく音が聞こえるようだった。
サトウさんの決断と突撃
「やりましょう。残された記録で、税務署と警察に資料出します」サトウさんは書類をまとめ、封筒に収めた。静かに燃えるような表情で。
僕はただ、彼女の後ろ姿を見ていた。
登記所の地下資料庫への潜入
その夜、閉庁後の登記所。元職員の協力で、古い登記原本を確認する。封印された帳簿の中に、明らかに異なる筆跡の修正跡があった。
「これで決まりですね」サトウさんがぽつりと言った。
書き換えられた登記記録の痕跡
修正は、公式記録に反する違法なもの。登記官と司法書士、二人の関与は明らかだった。僕らはそれを写真に収め、すべての記録を保全した。
これで、封印は解かれた。
真相にたどり着いた夜
事件はメディアにも報じられ、税の不正流用として大きな波紋を呼んだ。先輩司法書士は逮捕され、退官した登記官も任意同行となった。
僕らは小さな事務所に戻って、コーヒーを飲み干した。
印紙の番号が語った事実
事件を決定づけたのは、実はサトウさんが調べた印紙の番号だった。彼女はその一桁の違いに気づいていた。「まるでルパンの次元ばりのスナイパーね」と冗談を言うと、彼女は冷たく言った。
「ルパンは盗む人。私は守る人です」
犯人が語った動機と告白
取り調べで犯人は語った。「誰も気づかないと思ってた。税金の数字なんて、誰も覚えてない」――それが慢心だった。サトウさんがいなければ、僕も気づかなかっただろう。
やれやれ、、、まったく、恐ろしい世界だ。
結末と後味の悪さ
事件は解決したが、後味は悪かった。多くの依頼人が損をしていたし、戻る金もなかった。ただ、これから同じ過ちを防ぐことはできるかもしれない。
僕の机の上には、また新しい依頼の書類が届いていた。
帳簿と金庫に残されたもの
事務所の帳簿には、今もその事件の記録がファイルされている。鍵のかかった金庫の中には、あの偽造印紙が一枚、証拠として保管されている。
いつかそれを、若い司法書士に見せる時が来るのだろう。
「それでも仕事は続くんですね」
「はい」と、サトウさんが書類を差し出した。「次の登記は、離婚後の持分移転です」
やれやれ、、、また胃が痛くなりそうだ。