古びたアパートに届いた一通の依頼
その朝は、やけに蝉の声が騒がしかった。僕は汗だくのシャツを引っ張りながら、いつものように開店準備をしていた。そんな時、事務所のポストに一通の封筒が投げ込まれていた。
差出人の名前はなかったが、封筒の中には相続登記の相談書と、古い地番が書かれたメモが入っていた。特に変わった点はないように思えたが、どこか引っかかる内容だった。
「また田舎の空き家処理か」と、僕はため息をついた。だが、この依頼が、ある“証言”を呼び起こすとは思ってもいなかった。
午前九時のサトウさんの塩対応
「この地番、何か引っかかるんですけど」封筒を片手に僕がつぶやくと、隣のデスクから無言のサトウさんがチラリとこちらを見た。そして一言。「で?」
これが彼女なりの「どういう意味ですか?」という問いかけなのは、もう慣れている。まるでサザエさんの波平に小言を言うカツオのような感覚だ。僕は説明を続けた。
「いや、空き家のはずなんだけど、去年に所有者が変わってるんだ。登記簿見るとね」僕の言葉に、彼女は小さく鼻を鳴らした。
書類の山と無言の依頼者
依頼者はその日の午後に現れた。細身で神経質そうな中年男性で、名乗りもしなければ椅子にも座ろうとしなかった。ただ「これ、登記、お願いします」とだけ言い残し、書類を置いて去っていった。
その様子が、妙にひっかかった。まるで“登記”という単語だけを言うように仕向けられているような感じがしてならなかった。僕は封筒に入っていた地番を再び見直した。
そこには、別の登記簿が存在していた可能性を感じさせる違和感があった。やれやれ、、、また一筋縄じゃいかなそうだ。
不可解な土地の相続登記
登記情報を電子申請で引っ張ってみると、所有者の名義が去年変更されていた。ところが、その相続人の名前は戸籍上では数年前に死亡していたはずの人物だった。
「これは、、、ゴースト相続か?」そんな言葉が口をついて出た。だが、現実には亡くなった人が登記できるはずがない。何か裏がある。
そして気づく。この相続登記、どこかで見たパターンに似ている。まるで探偵漫画に出てくる“死者の遺言”のようだ。
誰も住んでいないはずの家
現地を見に行ってみた。予想どおり、誰も住んでいない。雑草が膝丈まで伸びていて、郵便受けには何年分ものチラシが詰まっていた。
だが、門にはつい最近変えたばかりの南京錠がかかっている。そして玄関のインターホンには、テプラで貼られた新しい名前。「タカハシ」と読めたが、そんな名前の登記はどこにもない。
違法占有か、それとも何かの偽装か。ますます状況は怪しい方向へと進んでいった。
見落とされていた隅の一行
登記簿の備考欄の最後に、小さく「地目変更申請中」との記載があった。普通の人間なら見落とす場所だが、ここにこそ鍵があった。
その変更申請がなされた日付は、依頼者が持参した資料の日付とまったく同じだった。つまり、彼は“登記が変わる前”に資料を入手していたことになる。
それは、法務局からの正規な手段ではあり得ない。誰かが内部情報を流していたのだろうか?
地番の数字が導く先
サトウさんが言った。「この地番の末尾、前の住所の筆界に当たりますね」僕はそこで初めて気づいた。この土地、もともとは隣の土地と一体だったものを無理やり分筆していた。
つまり、誰かが登記を使って土地の境界を“加工”していたのだ。まるで怪盗キッドが幻の宝石を奪う前に照明を変えるような、そんな見事な仕掛けだった。
でも僕らは司法書士だ。宝石を奪いはしない。真実を突き止めるだけだ。
サトウさんの舌打ちと電卓の音
サトウさんは、机に置かれた旧謄本と戸籍の束を眺めながら、電卓を叩いていた。「この相続、法定相続分でいくと誰かが余ってますね」とボソリ。
「つまり?」と尋ねると、「一人、架空の相続人が作られてますね。それも、今は誰にも確認できない“遠縁の親族”として」彼女の視線は鋭い。
僕は苦笑するしかなかった。「やれやれ、、、うちの事務所、いつからこんなサスペンス対応してたっけ」
消えたはずの相続人の存在
その“遠縁の親族”を調べてみると、確かに戸籍上は存在していた。だが、それは二十年以上前に失踪宣告を受けた人物で、もう法律上は“死亡”扱いのはずだった。
では、なぜ彼の名義で土地が登記されているのか? 誰かが戸籍を偽造したのか? それとも、司法書士がグルになっていたのか?
疑いの矛先が、静かに、しかし確実に一人の人物へと向かっていく。
登記簿に現れた故人の名前
その人物とは、依頼に来た中年男性だった。彼は失踪者の兄を名乗っていたが、調査の結果、まったく無関係の他人だったことが判明した。
つまり彼は、失踪者の戸籍と過去の登記簿をもとに“架空の相続人”を演じて登記を取得し、不動産を現金化しようとしていたのだ。
まるで黒ずくめの組織が細工を仕掛けたような詐欺劇。だがその幕は、司法書士の事務所で静かに閉じられた。
裏通りの弁護士と古い取引
不審な点を警察に通報すると、裏で動いていた弁護士の存在が浮かび上がった。どうやら、相続登記を通じて複数の不動産を横流ししていたらしい。
その弁護士の名前に、僕は見覚えがあった。新人時代、法務局で一度だけ書類不備でケンカした相手だった。やっぱり人相は信用しないとダメだ。
僕の中で、過去の小さなモヤモヤが一つ解けていく気がした。
やれやれと言いたくなる午後
全てが片付き、午後三時。僕はようやく椅子にもたれた。「今日はカレーにしようかな」そんなことをつぶやいていると、サトウさんが一言。
「それ、三日前も言ってましたけど」さすが記憶力が異常にいい。
やれやれ、、、俺の生活は、登記簿とカレーの繰り返しだ。
真実を語る最後の証言
後日、警察から連絡があった。中年男性は逮捕され、自供によって過去三件の詐欺登記も発覚したという。すべて、誰にも気づかれないよう、司法書士事務所を経由していた。
だが、今回は違った。僕らは見抜いた。いや、サトウさんが見抜いた。僕はただ、最後の確認印を押しただけだ。
けれどもそれが、司法書士という職業の大切な役割なのだと、自分に言い聞かせた。
隠された地目変更と遺言の行方
最後にわかったのは、この土地には実は古い遺言書があったことだ。相続人が偽造される前に、本当の所有者が密かに残したもので、地目変更を経て売却し、寄付されるはずだった。
その遺志は、今回の事件によって表に出たことで、別の団体に引き継がれることになった。
正しい手続きを経て、土地は本来の役割を取り戻すことになったのだ。
そして登記簿が静かに閉じる
夕方、事務所には心地よい風が入ってきた。サトウさんは黙ってパソコンを閉じ、僕は登記簿のコピーをファイルにしまった。
「終わりましたね」そうつぶやいた僕に、彼女は「はい」とだけ返した。まるで『こち亀』の両さんが最後のページで寝ているような、そんな安心感があった。
今日も一日、なんとか乗り切った。司法書士の仕事は地味だけど、時々こうして誰かの“真実”を見つけることがある。それが、僕のやる理由なのかもしれない。