雨音と依頼人の影
古びた事務所に現れた初老の男
雨の昼下がり、玄関の引き戸がぎぃと音を立てて開いた。湿った空気と共に、ボサボサの髪を撫でつけた初老の男が入ってくる。どこか落ち着かない様子で、手に封筒を握っていた。
「相続のことで……」と口を開いたその声は震えており、なぜか緊張感を帯びていた。俺は椅子から立ち上がり、湿ったコートの雫を受けながら、男を応接に案内した。
手にしていた一枚の登記簿謄本
男が差し出した封筒には、一枚の登記簿謄本と数枚の固定資産税の通知書が入っていた。そこには、今は存在しない地番とともに、”木村タカ”という見慣れぬ名前が記されていた。
「この土地、父が言ってたんです。『戦後すぐに手放した』と。でもこの登記、まだ名義は祖父のままなんですよ」……怪しい話だが、こういう話、地方ではたまにある。
謎めいた旧家の相続登記
存在しないはずの不動産
依頼された土地を調べると、現地の地番は再編され、今ではまったく違う住所になっていた。Googleマップで調べても一致せず、まるで消えた土地のようだった。
「サトウさん、これ、どう思う?」と俺が尋ねると、彼女は鼻で笑って「時代劇じゃあるまいし、土地が消えるなんてありえません」と言いながらキーボードを叩き始めた。
不一致な筆界と所有者名義
筆界確認図を調べると、確かに周囲の地番とは不自然なズレがある。しかも登記簿の所有者名義は、既に死亡している人物だったはずなのに、現在も有効になっていた。
「これは……法務局の更新漏れ?」とつぶやく俺に、サトウさんは「それにしては放置が長すぎます」と即答した。いや、本当に彼女は探偵か何かなのかもしれない。
消えた遺産と名義人の行方
誰も知らない被相続人の過去
戸籍をたどると、木村タカなる人物は昭和40年代に失踪届が出されていた。しかし失踪宣告はなされておらず、法的には「生きている」ことになっていた。
さらに驚いたことに、固定資産税の支払いは10年前まで継続していたという。誰が? 何のために? その答えを求めて、俺たちは更なる資料を集め始めた。
戸籍に刻まれた不自然な転籍
戸籍の附票を見ると、木村タカは数年おきに転籍していた。まるで、誰かが意図的に”動かしていた”ような記録だった。しかも、最後の転籍先には古い郵便局が残るのみ。
この転籍の裏に、何か大きな意図がある――俺の中で、野球のサインプレーのような緻密な操作が頭をよぎった。まるで相続逃れのホームスチールだ。
サトウさんの冷静な分析
一枚の固定資産税通知書の矛盾
資料の山から、サトウさんが一枚の封筒を取り出した。「これ、差出人が違います」それは市役所からの通知書なのに、差出元の担当課名が存在しないものだった。
つまり、偽造――いや、それに近い操作がされていた証拠だった。通知を偽装して税を払い続ければ、登記名義は疑われずに済む。古典的だが、有効な手段だ。
紙の裏に記された旧地番
封筒の裏面には、ボールペンで走り書きされた数字があった。昭和期の地番台帳と照合した結果、それが旧地番であることが判明した。
そこからは早かった。地番を元に、現地調査。市の資料室で昔の土地利用図を掘り起こす。昔の推理漫画よろしく、ひとつずつピースが埋まっていく。
法務局での意外な一言
職員が漏らした心当たり
登記簿の補正申請について尋ねた際、法務局の職員がポツリとこぼした。「ああ、この名前、数年前にも似た案件がありましたよ。妙に急いでいた人が……」
やはり何かある。この登記に関わった”誰か”が、意図的に情報を操作していた可能性が強まった。つまり、まだ物語は終わっていないということだ。
数年前の同一人物による名義変更
古い登記申請書を閲覧すると、確かに申請人の筆跡と印鑑が一致していた。しかも、同一人物による複数の土地への変更申請が存在した。
これはまるで、ルパン三世が変装して他人の財産を手に入れるような巧妙なやり口だ。だが、俺たちはすでにルパンのマントのほつれを掴んでいた。
かすれる筆跡と過去の委任状
偽造された署名と真正な印鑑証明
筆跡鑑定の協力を得て、委任状の署名が木村タカ本人のものではない可能性が高いとされた。一方で、印鑑証明書は市役所で正規に発行されたものだった。
つまり、誰かが本人になりすまし、市役所で印鑑登録をしていたということになる。手口は大胆だが、紙の証拠は嘘をつかない。
元野球部の意地と推理
一球入魂で掴んだ一枚の地図
図書館で見つけた郷土誌の中に、昭和の土地配分図が小さく載っていた。そこに「木村家旧宅地」と書かれている。間違いない。これが失われた地の証拠だった。
やれやれ、、、まさか地元の郷土史にまで手を出すことになるとはな。まるで野球部時代、最後の延長戦で打順が回ってきたような感覚だ。
旧町名と現在地の驚くべき一致
新旧の町名を照合し、地図を重ね合わせると、消えたはずの土地は現役の駐車場となっていた。その所有者名は、依頼人の父の旧友だった男の名――全てが繋がった。
その男は既に亡くなっており、遺言書も残っていなかった。だが、その名義を元に、不正取得された登記が複数あった。芋づる式に過去の登記が疑問視され始める。
やれやれそんな仕掛けか
所有者の生死に関わる真実
最終的に、木村タカは昭和48年に病院で亡くなっていたことが判明した。ただし、死亡届が正式に提出されていなかったため、失踪扱いになっていたのだ。
それを逆手に取って、”存在する幽霊”のまま名義を維持したまま登記操作をしていた。やれやれ、、、サザエさんなら「バッカモーン!」と波平が怒鳴っていただろうな。
遺産隠しに使われた盲点
法的な死と事実上の死、その隙間を突かれた今回の事件。サトウさんは、「でも、法の目をかいくぐるだけじゃ、最後は逃げきれませんよ」と言い放った。
確かにその通りだ。たとえ巧妙でも、司法の手は、登記簿の中で全てを見ている。俺たちの仕事は、そこに眠る真実を引きずり出すことだ。
結末と依頼人の涙
偽装された登記と本当の相続人
土地の名義は最終的に、正当な相続人である依頼人に移された。数十年ぶりに祖父の土地が戻った瞬間、依頼人は黙って手を合わせていた。
「本当に、ありがとうございました」と何度も頭を下げる男に、俺は「いえ、俺たちは書類と戦っただけです」とだけ返した。泥臭く、でも確かな勝利だった。
司法書士が遺した一言
事務所に戻った後、サトウさんが淹れたコーヒーを手に、俺はつぶやいた。「やれやれ、、、結局、こういう仕事の方が疲れるんだよな」
サトウさんはいつものように無表情で「でも、やりがいはあるんじゃないですか?」とだけ言った。それが彼女なりの励ましなのかもしれない。
サトウさんの無言と珈琲の香り
塩対応の奥にある信頼
帰り際、サトウさんが「次は定型の抵当権抹消登記があります」と言った。その声には、どこかいつもより柔らかさがあった気がする……気のせいだろうか。
俺は頷いて、疲れた体を椅子に沈めた。机の上には、解決したばかりの事件ファイル。そして珈琲の香りが、静かに事務所を包んでいた。