鍵を握るのは不動産屋

鍵を握るのは不動産屋

司法書士事務所に届いた不可解な相談

朝、雨が降りそうな曇り空のもと、一通の封書が事務所のポストに差し込まれていた。中には、印刷された一枚の簡素な手紙と、築50年を越える一軒家の登記事項証明書が入っていた。手紙には「この家は、もう私のものではないはずですが、なぜかまだ名義が私のままです」とだけ書かれていた。

依頼人の名前は伏せられていた。差出人欄すらない。差し出された証明書の日付は、3年前。にもかかわらず登記名義はその人物のままで、新たな移転記録は見当たらなかった。

古びた一軒家と奇妙な来訪者

ちょうど昼休みに差しかかったころ、ドアベルが鳴った。入ってきたのはスーツ姿の初老の男性。不動産屋と名乗るその男は、手紙の件をなぜか知っていた。「あの物件は、あまり深く関わらないほうがいいですよ」とだけ告げて、名刺を一枚置いて帰っていった。

サトウさんがすぐに名刺の住所を調べると、記載されている店舗はすでに閉業済み。電話番号も使われていなかった。やれやれ、、、また厄介な話に首を突っ込んでしまったようだ。

登記簿に映らない持ち主の影

その家の登記簿を精査すると、確かに移転登記の痕跡は一切ない。だが、地元の固定資産課に問い合わせたところ、税の納付はここ数年、別人の名前でされていた。登記上の所有者は現役で存在しているにもかかわらず、実際の所有者は別人物らしい。

「名義は幽霊、所有者は生身」という、よくあるようで面倒なパターン。売買契約が未登記だった可能性が高い。だが、それだけでは説明できない空気がこの一件にはあった。

物件周辺に漂う違和感

実際に現地へ足を運んでみると、外観はかなり老朽化しており、空き家同然。だがポストにはチラシが入っておらず、庭先には新しい足跡が残っていた。近所の主婦が、「時々知らない男の人が中に入っていくのよ」と、まるで波平の浮気を暴露するカツオのように言った。

鍵は変えられていた。だがシリンダーの痕跡を見る限り、素人仕事ではない。侵入者ではなく、関係者。だが登記にも住民票にも、その人物は一切登場しない。

不動産屋の口が重い理由

改めて、最初に来た不動産屋の情報を掘り起こす。名刺の会社名は、実在したが10年以上前に閉業したと記録されていた。だが、元従業員の証言から、かつてその会社が当該物件を扱っていたことが判明。

どうやら数年前の売買時、買主側の事情で登記を一時保留にしたらしい。それがそのまま放置されたようだ。だがその理由は「金の動きが不自然だった」とだけ言われ、詳細は語られなかった。

過去の取引記録にある小さな不一致

司法書士会のデータベースに残る売買記録と、法務局の登記記録に齟齬があった。通常であれば契約と同時に登記申請が行われるはずだが、その物件については登記が飛ばされていた。しかも、名義が変わらなかったにもかかわらず、銀行融資は実行されていたらしい。

つまり、虚偽の登記状況を前提に金が動き、誰かがそれを利用した。そう考えると、最初の匿名の手紙は、告発だったのかもしれない。

売買契約書に潜む時限装置

その後、地元の法務事務所に保管されていた旧い売買契約書の写しを手に入れた。そこには「登記は買主の都合により遅延しても構わない」との異例の文言があり、しかも実印の印影が歪んでいた。印鑑証明のコピーと照合してみると、かすかにだが偽造の痕跡が見て取れた。

つまり、買主は別人。登記を遅らせることで本当の買主の存在を隠していたのだ。それが表に出ることを避けたくて、不動産屋の男は「関わらない方がいい」と忠告したのだろう。

実印の位置が語る別の真実

さらに驚いたのは、契約書に貼付された収入印紙の剥がし痕。契約が表向き取り交わされながら、税務署には未提出だった。つまり、紙の上でだけ契約が成立し、実際には裏の取引があったことを示している。

これはもはやただの登記漏れではない。不正な資金洗浄、あるいは譲渡税の逃れのためのダミー契約。それを知る人間が黙っていれば、永遠に埋もれるはずだった。

サトウの推理と静かな核心

「この契約、最初から登記する気なかったんですね」とサトウさんはぽつりと言った。彼女の目は冷ややかだった。やたら安かった売買価格、登記義務のない文言、偽造印影、すべてが仕組まれていた。

「この物件は、所有者を表に出せない誰かの隠れ家だったんでしょう。表沙汰にならないよう、何重にもカモフラージュされた仕掛けがあった」と。

火曜サスペンスのような証拠発見

その後、廃屋の床下から見つかった古い金庫。中には空の通帳と複数の印鑑、そして顔写真入りのパスポートが揃っていた。サトウが一言、「出たわね、火曜サスペンス展開」とつぶやく。

それらは、表に出られない誰かの別名義人生の名残だった。正規の登記をしないことで、財産も、名前も、すべてを別人として生きていたのだ。

不動産屋の知っていたこと

不動産屋の男は、すべてを知っていた。そしてそれを黙っていた。登記を遅らせたのも、偽造を見て見ぬふりをしたのも、たぶん自分の保身のためだろう。裏取引の片棒を担いでいた証拠が揃えば、逃げ場はない。

結局、その男は行方をくらまし、警察が出動する事態にまで発展した。私は書類一式を提出し、調査協力を要請されたが、「やれやれ、、、」という思いは拭えなかった。

最後に登記をするのは誰か

空き家となった物件は、今もなお法務局に名義変更されていないままだ。だが、近々、差し押さえが入り競売にかけられることになった。つまり、強制的に名義は動く。

それでも、そこに眠っていた真実を掘り起こしたことで、私の仕事はひとつ終わった。登記簿に記された名前以上に、そこにある“事情”を知るのが、司法書士の役割なのだと、改めて思い知らされた事件だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓