登記簿に眠る契約

登記簿に眠る契約

登記に潜む違和感

午前九時を少し回ったころ、事務所の扉が静かに開いた。中年の男性が一通の封筒を手に、戸惑いながらこちらに歩いてくる。

「この土地の名義のことでちょっと……」と、彼は言った。封筒の中には登記簿謄本の写しと、売買契約書らしきコピーが入っていた。

それらを一瞥しただけで、胸の奥に小さな棘のような違和感が残った。何かがおかしい。だが、何がおかしいのか、すぐには言葉にできなかった。

朝の依頼人

男の話を聞くと、数年前に叔父から土地を譲り受けたという。しかし、登記簿上では今も叔父の名義のままだった。

「登記は済んでるはずなんですけど……」と依頼人は繰り返す。だが、その目は不安と疑念に濁っていた。

念のため、原本還付や登記識別情報の有無を確認するも、返ってくるのは曖昧な記憶ばかりだった。

不自然な権利関係

売買契約書の日付と登記簿の更新日が一致していない。加えて、登記簿には誰かが差し挟んだような記録があった。

「この仮登記、見落としてましたかね?」と呟くと、隣の席からサトウさんが小さくため息をついた。

「……それ、仮登記じゃなくて抹消忘れですよ。しかも第三者の登記が後から乗ってます」

記録された過去

登記簿謄本の過去の記録を洗い直すと、一度所有権移転が行われていた痕跡が出てきた。だが、それは現依頼人とは無関係の人物の名だった。

書面だけでは追えない部分がある。私は一度、法務局へと足を運ぶことにした。

古い記録の山に囲まれながら、自分の元野球部の根性を呪った。高校時代も書類仕事が苦手だったのだ。

古い登記簿の中身

閲覧室の片隅、埃の被った古いファイルの中に目的のページはあった。そこには、手書きの申請書と押印された契約書が綴じられていた。

「平成十五年、乙区第六号……」と読み上げたとき、脳裏に稲妻のような直感が走った。

申請人の欄に記された名前が、現在の依頼人の父の名と一致していた。

相続か売買か

確認の結果、父親名義での贈与による仮登記が残っていたが、それが抹消されずに本登記が別人に移転されていた。

つまり、贈与契約が無効になったまま、第三者への売却が進んだということだ。

これは通常の手続きではありえない。何者かが意図的に抹消手続きを止めたとしか思えなかった。

サトウさんの推理

事務所に戻ると、サトウさんはすでに別件の書類を片付けていた。その隙間に滑り込むように、ファイルを差し出す。

「これ見てください。前の登記の申請書に使われた住所、固定資産台帳と違ってます」

サトウさんの指摘で、点と点が線になった。登記は偽造まがいの内容で進められていたのだ。

整理された書類の中に

事務所のスキャン済みフォルダの中に、過去に相談だけで終わった同姓同名の人の記録があった。

それを開いてみると、まさに今回の登記に使われた住所と筆跡が一致していた。

「名前を騙ったのか……」背筋が寒くなる。登記は、法の裏をかけば意外に脆い。

塩対応からの鋭い一言

「結局これ、詐欺ですよね」とサトウさんがぽつりと呟いた。

「警察にも連絡した方がいいと思いますけど……まぁ、巻き込まれると面倒ですね」

彼女は机の書類を片付けながら、すでに次の案件に気持ちを切り替えているようだった。

消えた所有者の謎

本来の所有者である依頼人の父は既に亡くなっていたが、名義移転ができないまま土地は放置されていた。

その間に、別人の名義で登記が進み、不動産業者の手で転売されていた。

だが、その最初の登記の申請人――そこに本件の鍵が隠されていた。

戸籍の空白

戸籍を辿ると、依頼人の父には実は一度離婚歴があったことが分かった。離婚前に認知していない子どもが存在していたのだ。

その人物こそ、名義を使って不正登記を行った張本人だった。法律上の相続権がなかったことで、正式な登記が難しかったのだろう。

そこで、まるで某怪盗漫画のように、他人になりすまし書類を提出したのだった。

法務局でのひと悶着

再調査の申出を提出しに法務局へ向かうと、偶然にも、そこには別件で来ていた件の人物がいた。

「あ……」と目が合った瞬間、彼は逃げ出そうとした。元野球部の意地で、私は咄嗟に追いかけた。

やれやれ、、、まさか登記で追いかけっこをする羽目になるとは思わなかった。

地元の噂と真実

件の土地は、昔から「売ると呪われる」と噂されていた。誰が言い出したかは分からないが、転売が繰り返される土地だったのだ。

だが、呪いなどではない。単に登記に瑕疵があり、所有者がはっきりしないまま売られていたからだ。

真実を追う司法書士がいなければ、いつまでもそのままだったろう。

隣人の証言

隣家の老婆が語った。「あの土地は、昔っから揉めてるんだよ。お父さんのときも、なんだか知らない人が出入りしてたよ」

その証言で、私は点を繋げる最後のピースを得た気がした。

不正は、代を超えて続くことがある。そして、それを断つのは紙の上ではなく、現場の証言だった。

赤い屋根の記憶

土地の上には、今は使われていない古民家が一軒だけ建っていた。赤いトタン屋根がひどく錆びていた。

その屋根の色が、何故か依頼人の記憶に強く残っていたという。それは、幼いころ父に連れられて来た場所だったからだ。

その記憶だけが、書類に勝る証拠となった。

書類の裏側

司法書士は紙を扱う仕事だ。だが、その裏にある人の想いや記憶を無視してはいけない。

今回の件は、まさにそれを痛感させられた。

紙だけ見ていたら、誰も救われなかったかもしれない。

旧様式の登記申請書

当時の登記申請書は、まだOCR対応前の旧様式だった。署名や押印が生々しく残っている。

筆跡鑑定を行えば、今回の人物が書いたものではないことも証明できるだろう。

そこまでくれば、警察の出番である。

筆跡に残る過去

文字というのは面白いもので、書いた人の心まで透けて見えるような気がする。

不正を働いた人物の筆跡はどこか焦りが滲み、依頼人の父の文字は、穏やかなカーブで丁寧だった。

登記簿には、それぞれの人生が刻まれている。私はそう信じている。

司法書士の直感

うっかりが多いと言われるが、それでもやるときはやるのだ。今回も、なんとか最後まで辿り着いた。

「やれやれ、、、」と呟きながら、私は机に突っ伏した。肩が重い。

それでも依頼人の安堵の表情を見れば、すべてが報われる気がした。

元野球部の勘が冴える

登記簿の走査は、野球でいう守備位置の読みと似ている。

相手がどこに打ってくるかを予測し、あらかじめ一歩先に動く。今回も、あの一歩が真相に近づく鍵だった。

やっぱり、経験というのは無駄にならないものだ。

あのときのうっかり

最初に見落としかけた仮登記。あれをスルーしていたら、きっと今頃何も解決していなかった。

結局、うっかりも活かし方次第、ということか。

少なくとも、今日の俺は、サトウさんに少しは見直されただろうか……たぶん、してないな。

静かに幕を閉じる午後

午後四時、事務所に静けさが戻る。外はまだ明るいが、空気はもう秋の気配を含んでいた。

事件は終わった。だが、また次の依頼がやってくる。それが司法書士という職業だ。

紙と記憶と、そして少しの勇気。その三つがあれば、真実には手が届く。

コーヒーの香りと報告書

サトウさんが無言で差し出したコーヒーは、ほんの少しだけ甘く感じた。

報告書を書きながら、また「やれやれ、、、」と呟く。だが、どこか満足げな声だった。

この静かな午後が、少しだけ好きになれた。

次の依頼が鳴るベル

電話のベルが鳴る。まだ今日という一日は終わっていないらしい。

さて、今度はどんな登記簿が待っているのか。

私は背筋を伸ばして、受話器を取った。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓