はじまりは一通の問い合わせ
午後のコーヒーを淹れようとしていた時、一本の電話が事務所にかかってきた。 声の主は、中年の男で物件の名義変更について相談したいという。 内容自体はよくある話だが、その声には妙な緊張感が混じっていた。
古びたアパートの名義変更
対象となるのは、郊外にある築五十年の木造アパート。 登記簿を見る限り、所有者は数年前に死亡していた。 依頼人は甥にあたるらしく、「相続の登記をしたい」と言っていたが、どこか歯切れが悪かった。
依頼人の微妙な態度
事務所に現れた男はスーツ姿だったが、サイズが合っていないようで落ち着きがない。 書類を差し出す手も少し震えていた。 こちらがいくつか確認の質問をすると、彼はすぐに話を逸らそうとした。
説明を避ける男の影
「いえ、あの、細かいことは後ほど……」と男は目を泳がせた。 それでも提出された戸籍や固定資産税の資料に不備はない。 不審に思いつつも、手続きは進めざるを得なかった。
サトウさんの冷静な指摘
「あの書類、ちょっとおかしくないですか?」とサトウさんが言った。 彼女が指差したのは、戸籍の一部、死亡日が二通の記載で微妙に異なっていた。 「これは…写しの取り違え?」と私がつぶやくと、彼女は無言で肩をすくめた。
提出書類に潜む不自然な痕跡
さらに調べると、提出された住民票にも不自然な空欄があった。 紙の端に薄く、消されたような印字が浮かび上がっている。 誰かが書類を加工していた痕跡だった。
不審な所有権移転の履歴
過去の登記簿を辿ると、所有者の移転が数回繰り返されていた。 とくに気になるのは、一度名義が移った後、再び元に戻っている点だった。 その理由を尋ねると、依頼人は「事情が複雑でして」と答えるばかりだった。
三年前に消えた前所有者
当時の登記原因には「相続」とあったが、対象の人物は戸籍上、まだ生きていた。 実際に訪ねた近所の住人も、「確かにあの人、引っ越しただけですよ」と言った。 つまり、死亡ではなかった。誰かが嘘をついている。
シンドウの足取りと聞き込み
何年ぶりかで現地に足を運び、アパート周辺の住民に話を聞いた。 隣の酒屋の店主によれば、「登記が変わった頃から、変な人が出入りするようになった」と言う。 元所有者の消息をたどるうちに、彼が身分を隠して暮らしているとの噂が出てきた。
元居住者の証言に揺らぐ事実
アパートの元住人からは、「本当の大家さんはもっと若かった」との証言が出た。 写真を見せると、依頼人ではなく、別の男を指差して「この人だ」と言う。 名義の背後に、誰か別の人物の存在が浮かび上がってきた。
サザエさん式の偶然
事務所に戻る途中、立ち寄ったコンビニで妙な光景を見た。 コピー機の前で、件の依頼人が焦りながら書類を操作していたのだ。 その手元には、戸籍の原本と何枚もの白紙の用紙があった。
コンビニで出会った鍵を握る人物
彼は私に気づくと一瞬硬直し、そして逃げようとした。 咄嗟に「司法書士のシンドウですが」と名乗ると、観念したようにうなだれた。 彼の口から出たのは、戸籍の偽造と、仮登記の悪用についての告白だった。
明かされる仮登記の正体
彼は、実際には相続権のない立場だった。 過去に一度だけ短期間、所有者の委任を受けて管理していたことを盾に、仮登記を入れた。 それを盾に、相続人を騙して手続きを進めようとしていたのだった。
偽装相続と二重登記のトリック
問題は、その仮登記が未だに効力を残していたことにあった。 法的には不安定な状態ながらも、それを逆手に取った巧妙な手口だった。 やれやれ、、、まるで『怪人二十面相』の変装トリックのようだ。
サトウさんの一撃
「これ、仮登記入れた際の登記原因証明情報、見てください」 サトウさんは冷静に一枚のコピーを差し出した。 その記載内容により、仮登記が形式的に無効となる余地が見つかった。
登記簿の端に残された一文字の謎
「登記の目的」の欄に、本来あるはずの漢字が一文字抜けていた。 申請者の偽造であっても、形式の不備は見逃されない。 それがすべてをひっくり返す決定打となった。
仮面の下の真実
依頼人は実は遠縁でも何でもなく、元所有者の元交際相手の弟だった。 その関係性を隠してまで不正登記を試みた理由は、過去の金銭トラブルだった。 登記簿に忍び寄っていた仮面は、ようやくはがされた。
名義変更の裏にあった過去の罪
三年前の所有権移転も、当時の公証人を騙していたとわかった。 その件で再捜査が入り、依頼人は警察に引き渡された。 私たちは静かに書類を綴じ、少しだけ深いため息をついた。
事件の結末と静かな午後
その日の午後は、いつになく風が涼しかった。 事務所にはクーラーの音と、キーボードを叩く音だけが響いていた。 シンドウは椅子に深く座り直し、コーヒーをすすった。
窓の外の空だけはいつもと同じ
サトウさんが静かに言った。「やっぱり、あの一文字がポイントでしたね」 私は苦笑しながら頷いた。「ホント、油断も隙もないね」 窓の外には、変わらない青空が広がっていた。