序章 後見人の訪問
朝一番の依頼人
薄曇りの朝、事務所の扉が静かに開いた。杖をついた年配の男性が、やけに几帳面な足取りで入ってくる。 「すみません、後見人のことで相談がありまして」 その一言で、今日がまた長くなることを直感した。
封筒に書かれた名前
男性が差し出した封筒には、旧字体で書かれた「宮下カツエ」の名前。 「私の義姉なんです、後見人を立てていたのですが、どうも最近様子がおかしくて」 厚手の封筒には戸籍、登記、医療記録らしきものが雑然と詰め込まれていた。
奇妙な依頼内容
失踪した被後見人
「施設に行ったらいなかったんです。施設の人も、家族に連れて行かれたとしか…」 後見人が動かせる範囲を超えて、勝手に被後見人を連れ出すことはできないはず。 にもかかわらず、施設側の反応は妙に曖昧だった。
後見人が語った不安
「自分が何も知らされていないのはおかしい」と依頼人は言う。 だが、成年後見人の名前は別の人物に変更されていた。しかも家庭裁判所の記録では適切な手続きを踏んでいる。 何かが噛み合っていない、そんな気配が濃く漂っていた。
調査のはじまり
戸籍と住民票の謎
戸籍を追うと、カツエさんは数か月前に転籍していた。転籍先は全く知らない住所、見覚えもない市町村。 住民票の履歴も急に空白期間がある。「そんなこと、あるか?」とサトウさんがつぶやく。 うん、これは一筋縄ではいかない気がする。
不在者財産管理との境界線
成年後見制度と不在者財産管理の境目を、僕は何度も見直した。 「制度のすき間を使われた可能性がある」とサトウさんが資料をめくる手を止めない。 悪意ある第三者が制度を“合法的に”利用したとしたら——?
消えた財産目録
空欄の帳簿
旧後見人の提出していた財産目録には、不可解な空欄がいくつかあった。 特に、土地の登記簿が抜け落ちていたのは不自然だ。誰かが意図的に除外した形跡がある。 こうなると、サザエさんの「タマ」が消えたくらいの騒ぎではすまない。
銀行口座の異常
残高証明を取り寄せると、残高が異常に減っていた。 しかも定期預金が解約され、現金で引き出された痕跡がある。後見人に許可はあったのか? これは怪盗キッドの仕業かと疑いたくなるほど鮮やかな消し方だ。
サトウさんの推理
成年後見の落とし穴
「たぶん、任意後見契約からのスライド利用ですね」 サトウさんの分析は鋭い。任意後見から法定後見へ切り替わった瞬間、書類上の整合性だけが残った。 あとは家庭裁判所の監督が形骸化した隙を突いた形だ。
家族の不在が語るもの
カツエさんには子がなく、夫もすでに他界していた。 つまり、財産を相続する者がほとんどいない状況。 逆に言えば、後見人が「相続に影響しない範囲」で動ける余地が広いということだった。
真実への手がかり
古い保管庫の鍵
依頼人が持っていた古い鍵。それがすべてを変えた。 とある不動産登記簿に記された住所には、かつての「名義預かり」の痕跡があった。 開けてみると、そこには封印された契約書と旧名義の通帳が残されていた。
もう一人の後見人
実は、任意後見人として登録されていた人物がもう一人いた。 それはカツエさんの遠縁にあたる男で、登記上は「後見人候補」として一度だけ登場していた。 今やその人物は、複数の高齢者名義の不動産を管理していることが判明する。
沈黙する施設職員
偽名で登録された人物
施設の記録を追うと、入所名簿に「宮下カツエ」の名前はなかった。 しかし、似た名前の別人として登録されていた。しかも後見人の証明書類は後日差し替えられていた。 やれやれ、、、完全に後見制度の裏をかかれた格好だ。
後見制度を悪用する者
悪意ある者にとって、後見制度は格好の舞台になる。 「本人の意思」を確認できない場面で、書類だけが先に走ってしまう。 正義感や善意だけでは防げない仕組みが、ここにはあった。
明かされる過去
後見人の動機
調べ上げた資料を家庭裁判所に提出し、ようやく後見人の行為に不正が認められた。 動機は単純。本人名義の土地を自分の法人に貸し出し、収益を得るためだった。 だがその計画は、法と手続きの網で崩れていった。
封じられた遺産分割協議書
保管庫から出てきたもう一つの書類、それが決め手となった。 遺産分割協議書に押された印影が、カツエさんの意思によるものではないと鑑定された。 後見制度の正しい運用が、ようやく一つの嘘を暴いたのだ。
決着の日
やれやれ、、、ひと仕事終えた
書類を閉じ、深く椅子にもたれる。 「これで少しはカツエさんも報われるでしょうか」 「そんな感傷、似合いませんよ」と、サトウさんが塩対応で返す。
サトウさんの一言
「でも、こういう制度のすき間を悪用する人って、絶えないんですね」 その一言に、背筋が少し寒くなる。 正義を行うには、法の知識と、現場の勘が要る。僕らはその境界を歩く者だ。
静かなる微笑
成年後見人のその後
後見人は、資格停止処分を受け、名簿から抹消された。 裁判所の判断は静かだが重い。 だが、どこかでまた別の“踊る”後見人が現れるかもしれない。
誰のための制度か
成年後見制度は、善意の上に成り立つ仮構にすぎない。 それでも、守るべき人がいる限り、僕らの仕事は終わらない。 今日もまた、扉が静かにノックされた。