登記簿が語る断章

登記簿が語る断章

朝の訪問者

その朝はやけに空が青かった。前夜の雨が街の埃を洗い流し、事務所の窓から差し込む光は、いつもより少しだけ眩しく感じた。そんな穏やかな朝に、そいつはやってきた。

スーツにシワ一つない中年の男。手には茶封筒。目元にはうっすらと疲れの影。机の前に腰を下ろすと、彼は封筒を俺の方にそっと滑らせてきた。

「この土地のことを調べてほしいんです。誰にも知られずに。」それだけ言って、男は静かに頭を下げた。

見慣れない男と古びた封筒

封筒の中には、昭和の香りが残る公図のコピーと、かなり古びた登記簿謄本が数枚入っていた。地番は確かに存在しているが、今の地図では確認できない。妙な話だ。

「この地番、現在の地図にはないですね」と告げると、男は苦笑いを浮かべた。「それが気になっているんです」。

登記簿の紙面から漂う埃っぽい匂いが、妙に鼻に残った。サザエさんのカツオがイタズラをして波平に怒られるときのような、不穏な空気が立ち込めていた。

サトウさんの冷静な観察

「この謄本、紙質が古すぎます。電子化前の手書き原本をコピーしたものですね」サトウさんが、茶を啜りながら言った。

彼女の指摘はいつも鋭い。僕が四苦八苦してる横で、あっさり事の核心を突いてくる。まるで怪盗キッドに盗まれる寸前の警備システムのようだ。

「あとこの男、偽名の可能性ありますね。運転免許証のフォントが平成初期仕様」塩対応で冷静無比なサトウさんに言われて、俺は軽く目眩がした。

忘れられた地番

件の地番を調べてみたが、固定資産課税台帳にも、最近の住宅地図にも載っていない。だが、法務局には確かに存在していた。登記簿はあるが、地図にない。それは、法の闇とも言える領域だった。

俺は、かすれた筆跡の登記原因を丹念に読み解くことにした。古い言葉が連なり、まるで暗号のようだったが、そこには何かが隠されている気がした。

土地の所有者は30年前に亡くなっている。しかし、名義は移っていない。つまり、相続登記がされていない土地ということだ。

地図にない土地の記録

「空き家バンクにも載っていませんし、誰も近寄らないようですね」サトウさんがGoogle Earthで衛星画像を引っ張ってきた。そこには木々に埋もれた瓦屋根が、かすかに映っていた。

「この土地、何かあるわよ」とサトウさんがつぶやくと、急に背筋が寒くなった。まるで『名探偵コナン』で犯人がひそかに笑う瞬間のようだ。

土地が語る真実は、時に人より雄弁だ。だがそれを聞くには、我々が相当な覚悟を持って耳を澄ませる必要がある。

廃屋に眠る過去

後日、俺たちは件の土地を訪れた。道なき道を進むと、廃屋が姿を現した。破れた障子、傾いた瓦、そして何より、時間の止まった空気。

土間には古いラジオが転がり、茶の間には新聞が山積みにされていた。最後の住人がそのまま時間を止めて出て行ったようだった。

俺は畳の下に、何かがある気がして、手探りで覗いてみた。そこにあったのは、手書きの手紙だった。

依頼人の不自然な沈黙

再び事務所に戻り、男に見せた手紙。だが、彼はそれを見た瞬間、無言になった。そして長い沈黙の後、こう呟いた。「これ、父の字です」。

妙だ。亡くなった父の名義を継がず、土地の存在を隠していた理由は何なのか。しかも彼はそれを「手続き」として処理しようとしていた。

俺は薄々感じていた。彼は何かを隠している。そしてその「何か」は、この土地に深く関係している。

名前を語らない理由

「免許証の偽造ですかね」とサトウさんがぼそっと呟く。「昔のフォント使うって、逆に目立ちますよ」まったく、今どきの偽装犯罪もレベルが低い。

しかし、名字だけは本物らしい。土地の名義と一致していた。どうやら彼は、土地と共に家系の秘密も継いでしまったようだ。

「やれやれ、、、また面倒な案件だな」俺はため息をつきながら、封筒をそっと引き寄せた。

偽名の裏にあるもの

結局、彼の本名も正体も分かった。かつてこの土地で起きた、未解決の失踪事件。その加害者とされた男の息子だった。

土地を処分したいのは、過去を断ち切るため。しかしそれは、過去の罪を覆い隠すことでもあった。

俺たちは、司法書士として、真実を知りながらも形式に従う立場だ。だが、その形式が意味する重さを、改めて痛感した。

登記簿が語るもの

事件性はなかった。だが、それ以上のものがそこにはあった。土地に刻まれた記憶、封印された感情、そして赦しを求める手紙。

依頼人は土地を寄付するという形で手続きを終えた。何も語らず、ただ静かに頭を下げて帰って行った。あの背中には、少しだけ光が差していた。

「司法書士って、ただの手続き屋だと思ってたけど、たまに小説みたいなこともあるのね」サトウさんが言った。確かにその通りだ。いや、俺たちは裏方の探偵かもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓