登記簿が暴いた沈黙の相続

登記簿が暴いた沈黙の相続

不審な依頼人の来訪

静かに始まる午前の事務所

朝のコーヒーを一口飲んだところで、ドアのチャイムが鳴った。珍しく、予約なしの飛び込み客だ。小柄な男が無言で頭を下げ、椅子に腰を下ろすと、封筒を差し出してきた。

「父が亡くなりまして、相続の登記をお願いしたいのです」――その声には、どこか緊張の色が滲んでいた。

年の割に若く見えるその男は、終始視線を落とし、こちらの目を見ようとしなかった。

サトウさんの冷たい第一印象

そのやりとりを横目に、サトウさんは黙って手帳にペンを走らせていたが、男が帰ったあと、ぽつりとひと言。

「シンドウさん、あの人、ウソついてますね」

断言する口調に、なんとも言えない圧を感じた。根拠を問おうかと思ったが、彼女の言葉はたいてい当たる。

語られた父の死と遺産問題

相続人は私だけですと語る依頼人

再度面談したとき、依頼人は「兄弟はいません」ときっぱり言い切った。提出された戸籍謄本にも確かに他の名前はなかった。

だが、サトウさんはそれを見た瞬間、小さく首をかしげた。「これは、、、ちょっと整理されすぎてる気がします」

登記のプロとしての勘が働いた。私の中でも、微かな違和感が消えずに残った。

疑念を抱かせる妙な間

質問のたびに、依頼人は少し考えるような間を置いてから答えた。その間が不自然なほど長い。

「生前の父と仲は良かったですか?」と聞くと、「ええ、、、まぁ」と曖昧な返事。よくあるパターンだが、何かを隠しているときの典型的な反応にも見える。

怪しい。だが、証拠がなければただの妄想でしかない。

登記簿から見えてきた異変

過去の名義変更に潜む矛盾

父親名義の不動産の登記事項証明書を確認すると、数年前に仮登記が抹消された履歴があった。理由欄には「売買による」とあるが、その記録は戸籍に対応していない。

もし売却していたのなら、なぜ再び父の名義に戻っているのか。

何かある。そう思いながら、手元の書類をサトウさんに渡した。

旧姓で登記されていたもう一人の存在

さらに調査を進めると、数年前に「旧姓・田中」の人物が仮登記の権利者として記載されていたことがわかった。

「田中、、、あれ?依頼人の母方の旧姓ですよね」サトウさんが資料をめくりながらつぶやいた。

戸籍には載っていない、だが記録のどこかに痕跡は残っている。司法書士の目は、こういう違和感を逃さない。

サトウさんの調査が火をつける

法務局職員との冷ややかなやり取り

サトウさんは一人で法務局に出向き、書類の補完記録をあたりはじめた。相変わらずの塩対応で職員とやり合いながら、必要な情報はしっかり入手してきた。

「この番号、前に兄弟らしき人が請求してます」

どうやら、依頼人の言葉に反する動きが既に数ヶ月前にあったようだ。

戸籍の海に沈む手がかり

除籍、改製原戸籍、分籍、婚姻――戸籍の世界は迷路のようだが、その中に「田中清一」という名があった。

依頼人の異母兄。母親が違う兄弟で、しかも父親に認知されていた記録も出てきた。

つまり、相続人はもう一人いる。それを依頼人は知っていたはずだ。

旧宅の近隣住民が語る影

葬儀に来なかった不自然な兄弟

旧宅の近隣に電話をかけて聞き込みをすると、あるおばあさんがこんな証言をくれた。

「そういえば、前に背の高い若い男の人が、お父さんのことで訪ねてきてたよ」

その人物こそ、戸籍から消されていた兄弟に違いなかった。

隠された出生の証言

同じ近隣住民から、「お父さんには、昔付き合ってた人との間に子供がいたらしい」という話も出てきた。

それはまさに「田中清一」の存在と符合する。

依頼人は、この兄弟の存在を隠し、単独で相続を済ませようとしていたのだ。

司法書士としての推理開始

登記簿と戸籍を繋ぐミッシングリンク

ここまでくれば、あとは点と点をつなぐだけだ。戸籍の欠損部分と、登記の仮登記の権利者。

そして父親が再度名義を戻したタイミング。そこにあるのは、後ろめたさと償いの記録だった。

「父は本当は、二人に分けたかったんでしょうね」サトウさんがぼそりと呟いた。

仮登記の不一致が語る真相

父親は最後に仮登記を自ら取り消していた。まるで、全てを清算して白紙に戻したかのように。

それは、相続人同士が向き合って整理すべき課題を、父が先延ばしにしたとも言える。

司法書士としては、感情ではなく事実の整理が役目だ。だが、今回はそれだけでは済まされなかった。

暴かれたもう一人の相続人

消された存在が復活する瞬間

通知書を送ると、数日後「田中清一」本人が事務所を訪れた。優しそうな青年だった。

「兄とは、小さい頃しか会ってません。でも父の死は、、、知ってました」

遺産分割協議は、ようやく本来の形で始まることになった。

依頼人の顔色が変わった理由

もう一人の兄弟の登場に、依頼人は目を見開いた。「あのときの、、、」と呟いた。

戸籍に残らない家族の記憶が、無言で空間に立ちのぼっていく。

やれやれ、、、登記簿より人の記憶のほうが重い時もある。

サトウさんの意外なひと言

「見えてることだけが真実とは限りませんよ」

一連の手続きを終えた帰り道、サトウさんがぽつりとそう言った。

私はうなずきながら、自販機で缶コーヒーを買った。

本当に、そうなのだ。書類では人の過去は語りきれない。

塩対応の中に宿る優しさ

「缶コーヒー、ブラックですか。苦いの、好きですね」とサトウさん。

いつもの塩対応のくせに、なぜかその言葉は妙にやさしく感じた。

この人、ほんとはいろいろ見えてるんだろうな、、、と改めて思った。

司法書士はただ書類を読むだけじゃない

地味で堅実な職務の中にあるドラマ

今日もまた、誰かの「過去」に触れた一日だった。

紙の上だけでは終わらない相続の話。その背景にある人生模様。

司法書士というのは、時に、沈黙の中の声を拾う役目でもあるのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓