ある朝届いた奇妙な相談
その日、事務所に届いた封筒には、手書きの震える文字で「助けてください」とだけ書かれていた。中には仮登記済の土地に関する謄本の写しと、簡単な手紙が添えられていた。
「父が残した土地が売れないんです。仮登記の名義人が、存在しないと言われました。」依頼人は近くの町に住む中年の女性で、疲れ切った表情をしていた。
登記簿をめくると、確かに妙な仮登記がある。しかもその名義人はどの住民票にも戸籍にも見当たらない。不自然な予感がした。
仮登記の名義が存在しないという依頼
仮登記の名義人は「山田嘉一郎」となっていた。だが、その人物の記録がどの住基ネットにも存在しない。法務局に問い合わせても、「旧いデータで不明」とだけ言われる。
「やれやれ、、、これは厄介だな。」思わずつぶやいた。登記が法律の記録である以上、存在しない名義人が記載されているのは、制度の根幹を揺るがしかねない。
この手の謎には、たいてい誰かの嘘と怠慢が混ざっている。それが一番やっかいなのだ。
相談者の態度に潜む違和感
相談者の女性は丁寧だったが、どこか話を避けているようにも見えた。父の名前も明かそうとしないし、登記の経緯にも無関心すぎる。
「お父様が残したって、つまり遺言か相続ですか?」と聞くと、彼女は一瞬間をおいて「はい」とだけ答えた。嘘ではないが、本当でもない表情だった。
こういう時、刑事ドラマなら「嘘をついてるな」と言うのだろうが、こちらは司法書士だ。証拠と手続きがすべてである。
土地の履歴を追いかける
土地の登記記録は昭和の終わりまでさかのぼっていた。途中で一度売買が仮登記されたが、本登記に至らぬまま30年以上放置されている。
仮登記は登記義務者が協力しなければ抹消もできない。だが名義人が架空なら、協力も拒否もできない。これが最大の問題だった。
妙な事例だ。これは単なる忘れられた登記ではない。誰かが故意に仕込んだ「仕掛け」に見えてきた。
昭和にさかのぼる謄本の記録
法務局で古い謄本を手に入れた。手書きの時代の記録に「山田嘉一郎」の名前が登場していた。だが、住所が空欄で、申請人も不明とある。
しかもその欄には鉛筆で消したような跡があった。まるで誰かが、かつての書き換えを隠そうとしたように見える。
「まるで怪盗キッドの置き土産だな。」そうつぶやいたら、横でサトウさんがため息をついた。塩対応にはもう慣れている。
謎の中断登記と消された線
途中に一度、別の仮登記が挿入されていた形跡があった。しかし抹消の記録もなく、現在の謄本には載っていない。
登記の時系列が意図的にずらされたようだった。誰かが仮登記を飛ばして、都合の良い人物の名義を後から差し込んだような操作だ。
「これは、正規の流れを無視した……偽造では?」脳裏にそう浮かんだ瞬間、寒気がした。土地の争いは時に命も奪うのだ。
サトウさんの冷静な指摘
「この謄本、地番が合ってませんよ」サトウさんは当たり前のようにそう言った。よく見ると確かに、地番と住所表記が一致していない。
それは市町村合併によるものかと思ったが、時系列が合わない。つまり、どこかで意図的に「間違えた」可能性がある。
「ということは、これはそもそも“別の土地”の登記を利用したってことか…?」背筋が冷たくなった。
一枚の写しが照らす真実の影
サトウさんが指さしたのは、相談者が持ってきた「原本の写し」だった。なんとそこに、訂正前の地番がうっすらと見える。
そして訂正欄には、登録免許税の証紙の貼り替え痕も。つまりこれは、かつての誰かが不正に地番を“すり替えた”証拠だった。
「つまりこの仮登記は、存在しない名義人ではなく、“存在しない土地”の名義人だったわけですね」とサトウさん。ゾクリとした。
なぜか一致しない地番と番地
昔の住所表記では、番地と地番がまったく異なる。登記は地番単位だが、住民は番地で認識している。ここに大きな落とし穴がある。
「誰も気づかないうちに、違う地番をあてがって、別の土地を奪えるかもしれない」その可能性に気づいたとき、息が止まりそうになった。
これは手続きミスではない。計画された犯行だ。司法書士として、それを見逃すわけにはいかない。
名義人の影を追って
名義人「山田嘉一郎」はどこにも実在しない。しかし、筆跡鑑定と地元の噂をたどると、ある旧地主が浮かび上がった。
彼はかつて地主として複数の土地を所有していたが、昭和の末期に急に姿を消していた。そしてその土地に、今回の仮登記が重なる。
もしかすると山田嘉一郎は、実在したが“別人”として書かれた名前なのでは――。
登記簿以外の証拠を探る旅
旧い地元新聞を読み漁り、ようやく見つけた。「失踪した地主一家、書置きを残して行方不明」そう書かれていた記事。
しかもその書置きの中には、「名義は変えておいた。もう誰にも奪わせない」と書かれていた。意図的な登記か、保身か。
地主は誰かから土地を守ろうとして、自ら仮登記を仕込んで姿を消したのかもしれない。それが現代まで尾を引いていたのだ。
元町役場職員が語る過去の事件
高齢の元町役場職員が語ってくれた。「あの土地は、昭和の終わりにゴタゴタがあってな……。地主の親戚がな、勝手に測量しててな」
そしてその時に、謄本の地番と現地の境界が食い違ったことを誰も修正しなかった。その混乱が、仮登記の怪を生んだらしい。
つまりこれは、司法のミスではなく、行政と家族の“思惑”が作り出した幽霊名義だったのだ。
事件の終幕と名義の行方
司法書士としての調査報告と、元町役場職員の証言、そして筆跡鑑定書をもとに、登記官は仮登記の抹消を受理した。
正式な名義に回復された土地は、依頼人が売却し、手にした金でようやく実家を修繕することができたという。
「サトウさん、お疲れさま。やれやれ、、、今回は本当に一筋縄じゃなかったな」そうつぶやくと、サトウさんはいつもの無表情で、「はい、次の相談者、来てます」とだけ言った。