契約書に潜む影
事務所のドアがギイと音を立てて開いたのは、朝9時きっかりだった。小雨の中、スーツ姿の中年男性が一枚の書類を握りしめて立っていた。手には売買契約書と書かれたファイルがあり、どこか不安げな表情を浮かべていた。
朝の来客と薄暗い依頼
「土地の売買契約書なんですが、なんだか腑に落ちない点があって……」依頼人の言葉に、俺はコーヒーの手を止めた。表面上は完璧に見える契約書だが、見落とせない違和感が確かにあった。こういう時はたいてい、裏に何かが隠れている。
売買契約書のわずかな違和感
契約書の第八条目、備考欄の文末に、手書きで加筆されたような文字があった。「条件付き」と小さく書かれている。それは本来、重要事項説明書で扱うべき内容だ。違和感は、そこに始まりがあるようだった。
サトウさんの冷たい推察
「これ、売主が本当に署名したと思ってるんですか?」と、後ろからサトウさんが低い声で口を挟んだ。いつものように冷静で、どこか他人事のような態度だが、彼女の視点は鋭い。俺の見落としを、さりげなく指摘してくる。
金額のズレとサトウさんの視線
契約金額は土地の時価よりも大幅に低い。しかも支払日は過去の日付になっていた。「ねえシンドウさん、まるでドラえもんの道具で時間を戻したみたいですよ」とサトウさんが呟く。サザエさんの家のカツオもびっくりの無鉄砲な設定だ。
押印欄に残された小さな違和感
押印欄には、確かに売主の名前と印影がある。しかし、押された位置が不自然だった。まるで、紙を後から差し替えたかのように、微妙にずれていた。俺は拡大鏡を取り出し、印影のにじみを確認する。
二重の契約と偽造の痕跡
契約書はどうやら二重に存在していたらしい。一つは真正なもので、もう一つは買主によって改ざんされた偽の契約書。依頼人が持ってきたのは後者で、登記の際に使われたのもそれだった。こいつは一筋縄ではいかない。
土地の所有者は二人いた
さらに登記簿を調べてみると、奇妙な事実が判明した。なんと、同じ土地に対して別の売買契約がもう一件登記されていたのだ。売主が気づかないうちに、偽造された契約で他人に売られていたというわけだ。
不動産屋の沈黙の意味
俺が不動産業者に電話をかけると、向こうはしどろもどろになった。「いや、その……担当者は今、外出中でして……」その声は完全に怪しい。不自然な沈黙は、何かを隠している人間の常套手段だ。
過去の取引と消えた一枚
契約の原本を確認しようとしたが、売主側には存在しなかった。どうやら、買主側が預かっていた書類を差し替えたらしい。コピーだけが残され、しかもそのコピーには肝心の「条件付き」の一文がなかった。
登記簿から消えた証拠
証拠となるはずの書類が、なぜか登記簿の閲覧履歴から消えていた。法務局職員に尋ねても、「その日付にはアクセス記録はありません」とのこと。どうやら誰かが手を回して記録を消していたようだ。
法務局職員の言葉の裏
「でも、電算機の内部記録は残ってるかもしれませんね」と、職員がぽつりとつぶやいた。それはまるで、ルパン三世の銭形警部が事件の核心に気づいた瞬間のような、静かながらも重たい一言だった。
元野球部の本領発揮
「やれやれ、、、」と思わず口から漏れた。だがここからが勝負だ。まるで9回裏2アウトからの逆転劇、俺は一気に畳み掛ける準備を整えた。打てる球は一球しかない、それを確実に仕留めるしかない。
ミスを装った裏の裏
俺はあえて不動産業者にミスを装って再度書類を提出させた。提出された契約書には、前回とわずかに違う記載があり、内容を精査したところ、押印日の不一致が明らかになった。それが決定打になった。
ファウルと思わせてのヒット
誰もが「証拠はない」と思っていたが、法務局の電算機内部記録がそれを覆した。書き換え前の契約情報が自動保存されていたのだ。まるでファウルと思わせてラインギリギリに落ちたヒットのように、逆転の証拠となった。
サインの意味と真犯人
売主のサインは本物だが、別件で使用された紙を貼り付けて複製されていたことが判明。つまり、買主が用意した偽造紙に、過去の真正な印影を貼り付けたのだ。サインの意味が歪められていたわけだ。
鍵を握る契約条項第八条
そして、真実を決定づけたのは第八条の存在だった。消されたと思われたその記載は、コピー機の読み取り履歴に残っていた。「条件付き引渡し」は、売主が契約を取り消す正当な理由となり、すべてをひっくり返した。
やれやれの終幕とコーヒーの香り
「これで登記は無効、詐欺の立証も可能です」そう告げると、依頼人は深く頭を下げた。サトウさんは「やっぱりやればできるんですね」とぼそっと呟くが、目は笑っていない。俺はため息をつきながら、温め直したコーヒーを口にした。