司法書士事務所に届いた一本の電話
午前10時過ぎ、事務所の固定電話が鳴った。留守電にしておきたい気分だったが、サトウさんの冷たい視線に負けて受話器を取る。受話器の向こうから若い男の声。「父の遺した家の登記について相談したいんです」
声にはどこか怯えたような響きがあった。形式的な相続登記の相談かと思ったが、僕の胃は妙な違和感を覚えた。経験がそう告げている。
依頼内容は古い空き家の名義確認
男の名はヒロセ。二十代後半だという。相談内容は、一年前に亡くなった父親名義の空き家について。登記簿を確認してほしいとのことだった。たいした話じゃない――そんな感触で依頼を受けた。
だが住所を聞いた瞬間、僕の手が止まった。そこは、かつて“近寄ると祟られる”と噂された家。サザエさんのオープニングで波平が穴に落ちるがごとく、僕の気も一気に沈んだ。
問題の家に隠された登記簿の異変
法務局の端末で該当の土地と建物の登記簿を取得してみると、奇妙な事実が浮かび上がった。明治時代に所有権が設定されて以来、名義は一度も移転されていなかったのだ。
固定資産税の納付先はヒロセ家になっているのに、法的な名義は百年以上前の人物。しかも、相続登記が一度もなされていない。これはかなり珍しい。
一度も移転登記がされていない謎
まるで時間が止まっていたかのような登記簿だった。通常、誰かが亡くなれば、相続登記を経て名義が更新される。だが、この家は一度も手が入っていない。
名義人は「広瀬太兵衛」。そのまま現代まで来ていることに違和感を覚えた。これは、意図的に放置されたのか、それとも……。
相続放棄か隠された遺言か
ヒロセに話を聞くと、「父から家の話はほとんど聞かされていなかった」と言う。相続人は彼一人ではない可能性もある。遺言書の存在も確認しなければならない。
それより気になったのは、彼が「この家は呪われている」と口にしたことだった。まるで子供の頃に聞かされた怪談のような話だ。
家族間の不自然な断絶
調査を進めるうちに、ヒロセの父が長年兄と断絶していたことがわかった。実家の相続で揉めて以来、完全に連絡を絶っていたらしい。その兄、つまりヒロセの叔父は既に亡くなっているという。
だが、その叔父にも息子がいた。つまり、もう一人の相続人が生きている可能性が出てきたのだ。
近隣住民の証言が照らす過去
僕はサトウさんと一緒に現地へ向かった。家は草に埋もれ、まるで時間が止まっているようだった。隣家の老婦人が声をかけてきた。「あの家、夜な夜な灯りが点くんですよ」
いやいや、幽霊話は勘弁してほしい。しかし、電気は通っていないはず。誰かが無断で使っているのか。気味が悪い。
遺産を巡る兄弟のいざこざ
老婦人は続けた。「あそこのお父さん、亡くなる前に兄さんと揉めてたでしょう。『あの土地は自分のもんだ』って言い合ってたのよ」
なんだかサンデーで連載してたあの探偵漫画みたいになってきた。土地、金、憎しみ。火種はいつも、静かにそこにある。
サトウさんが突き止めた一通の通知
事務所に戻ると、サトウさんが冷静に調査を進めていた。「先生、これ、数年前に差し押さえ通知が出てます」そう言って出してきたのは内容証明郵便の写し。
差出人の名前を見て僕は驚いた。ヒロセの従兄弟――つまり、叔父の息子の名前だった。やっぱり、生きていたか。
その送り主の正体に驚愕するシンドウ
差し押さえの対象は、問題の土地だった。固定資産税の未納によるもので、名義はまだ太兵衛のまま。だが、この通知の裏には明確な「所有意識」が透けて見えた。
彼は「自分こそがこの土地を継ぐ者」だと信じている。となると、事は相当ややこしくなる。
家の中から見つかったもう一つの登記済証
翌日、ヒロセと共に再度現地に入った。封のされていた押し入れの奥から、古びた金庫が出てきた。中には、驚くべきものが入っていた。
それは、戦後すぐに作成されたらしき登記済証。そこには「広瀬次郎」の名前があった。太兵衛の子であり、ヒロセの祖父だった。
記録されていない所有権移転の痕跡
つまり、非公式ながらも一度は名義が変わっていたのだ。それが登記されずに時を越えていたということか。しかも、遺言書のような走り書きのメモまで同封されていた。
「次郎へ、この土地はお前に託す」――簡素な一文だったが、意志は明確だった。
やれやれこれは思ったよりも根が深いぞ
登記簿だけを見ていれば永遠に気づけなかった真実が、現場の埃と共に現れた。やれやれ、、、まったく、登記簿ってのは口をきかないくせに、いろんなことを知っている。
法の隙間に置き去りにされた意志。それを紐解くのも司法書士の役割なのだと、僕は苦いコーヒーをすする。
土地と人の記憶が絡み合う謎
土地とは記憶である。書面に現れない関係が、時に重く司法書士にのしかかる。ヒロセは深く頭を下げ、「父の代で終わらせたくない」と言った。
誰も見なかった遺言。それをどう扱うかは、僕の仕事次第だった。
浮かび上がった亡き父の秘密
調査を終え、僕は一通の相続関係説明図を作成した。そこには誰も知らなかった、もう一人の名が加わっていた。
ヒロセの父は、叔父との仲違いを隠し、最後まで一人でこの家と土地を守っていたのかもしれない。
登記簿から消されたもう一人の相続人
僕は二人の相続人を立て、共有での登記を勧めた。納得がいかない様子の従兄弟もいたが、「争うより先に向き合うことがある」と静かに語るヒロセの姿に、少しだけ空気が和らいだ。
たとえ登記簿に名が載らなくとも、家族だった時間は確かに存在していたのだ。
司法書士としての最後の仕事
法務局に提出する登記申請書のチェックを終え、サトウさんに「印紙代、立て替えておいて」と頼んだら、「またですか」と冷たく返された。うう、財布が、、、。
だがこれで、ようやく土地は静けさを取り戻すだろう。
登記を正すことで癒える過去
登記簿を正すことは、過去と向き合うことだ。誰かの「想い」を文書として残すこと。それが、僕の仕事だ。
そう信じて、今日もまたひとつファイルを閉じる。
静かに閉じる扉と朝の事務所
事務所に戻ると、朝の光がカーテン越しに差し込んでいた。サトウさんがすでにコーヒーを淹れてくれている。無言で渡され、無言で受け取る。
やれやれ、、、今日もまた、静かな戦いが始まる。
コーヒーをすするサトウさんの一言
「先生、次の依頼、もう来てますよ」
まるで続編を予告する探偵漫画のように、サトウさんは告げる。僕はため息をつきながらも、パソコンを立ち上げた。
僕はまた地味な日常へと戻る
派手な活躍はない。誰にも気づかれない小さな謎を、今日もひとつ解いていくだけだ。それが司法書士という仕事だ。
やれやれ、、、だが、悪くない。