依頼人は口を閉ざしたまま
朝一番の来客
朝の事務所に、スーツ姿の中年男性が現れた。名乗りもそこそこに、彼は一枚の登記事項証明書を差し出してきた。顔色は悪く、目の下には深いくまが刻まれていた。
不自然な相談内容
「この家の登記を確認してほしい」とだけ依頼し、なぜそれが必要なのかの説明を一切しようとしない。遺産でも相続でもない様子で、明らかに何かを隠している。こちらが何を尋ねても、「とにかく調べてください」の一点張りだ。
サトウさんの冷ややかな視線
その様子を見ていたサトウさんが、カップに注いだコーヒーを机に置きながらぽつりとつぶやいた。「ああいう人って、大体なんか隠してるんですよね」——まるで何かを見透かすような視線だった。
過去の所有権移転に潜む違和感
登記簿の中の空白
登記簿を確認してすぐに、おかしな点に気づいた。数年前に所有者が変わっているはずなのに、その痕跡が曖昧なのだ。書類の整合性は取れているが、何かが不自然に整いすぎていた。
数字が語る矛盾
売買金額が妙に低すぎる。固定資産税評価額の三分の一程度しか記載されておらず、まるで誰かに形式上の移転を急がされたような形跡があった。これは、よくある“相続隠し”の一環かもしれない。
古い印鑑証明の不思議な動き
さらに調べていくうちに、過去の所有者の印鑑証明書が使用された日付に注目した。なんとその印鑑証明は、交付日と登記申請日が一か月以上ずれていた。普通はこんなに間が空かない。
近隣住民の証言
あの日見た黒い車
現地確認のためにその家へ足を運んだ。周囲の住民に話を聞くと、数年前の夜中に黒塗りの車が停まっていたという証言が複数あった。引っ越しというより、何かから逃げていたようだったという。
昔の所有者との確執
さらに近所のおばあさんが、「前の持ち主と息子さん、しょっちゅう怒鳴り合ってたよ」と言った。その“息子”というワードに引っかかりを覚えた。登記簿に載っていない人物の存在が見えてきたのだ。
サトウさんの調査が突破口に
役所での手がかり
サトウさんがこっそり市役所に問い合わせた。すると、現在の所有者が転出した後も、その住所にしばらく郵便物が届いていたという情報を得た。つまり、誰かが住み続けていたということだ。
同姓同名に潜む罠
調べを進めると、所有者と同姓同名の人物が別の市に存在し、しかも同じ誕生日だった。ただし、字が一文字違う。これは、故意の偽装か?「これは、、、名探偵コ●ンなら即見抜くパターンですね」と、思わずつぶやいた。
司法書士の勘が働くとき
元野球部の観察眼
過去に何度も詐欺登記の修正に関わった経験が役に立った。フォームや筆跡、印鑑の押し方に微妙な違いがある。打席に立った時の投手のわずかな癖を見抜くように、違和感は確かにあった。
やれやれ、、、やっと繋がった線
手元の資料を睨みながら思わず口から漏れた。「やれやれ、、、」——登記上の所有者は実在するが、実際に家にいたのは彼の弟だった。しかも、その弟が兄の名を騙って契約書を交わしていたのだ。
事件の核心
沈黙の理由
依頼人は、実はその“弟”だった。兄はすでに亡くなっており、土地を売却するには名義を変える必要があったが、それをせずに兄の名を語って売却していた。発覚すれば刑事事件になりかねない。
隠された真実
動機は単純だった。借金。家を売って金を作らなければ、自分も家族も路頭に迷う。彼は悩んだ末に兄の名義を使ってしまった。しかし、それがバレることを恐れ、ずっと沈黙を続けていたのだ。
すれ違う親子の想い
司法書士が届けた手紙
事件が明るみに出た後、私は一通の手紙を息子に届けた。それは亡き兄、つまり依頼人の父からのもので、死の直前に書かれた遺言書の写しだった。「何があっても、弟を責めないでくれ」と記されていた。
再会と告白
その手紙がきっかけで、絶縁状態だった親子が再会した。事務所の帰り道、公園で語り合う姿を遠くから見ながら、少しだけ救われたような気持ちになった。
依頼人の選択と決断
法の上での贖罪
依頼人は自主的に告白し、罰を受ける決意をした。虚偽登記の訂正申請書類を、震える手で私の前に差し出してきた。「これで終わらせたいんです」と静かに語った。
家族を守るということ
結果的に刑事処分は軽微なものとなったが、家族の信頼を取り戻すには長い時間が必要だろう。それでも、彼はようやく“正しい場所”に戻ってきたようだった。
サトウさんのひとこと
それでも私は仕事ですから
すべてが終わったあと、サトウさんがぽつりと呟いた。「まぁ、犯罪者でも書類が必要なら、それが仕事ですから」冷たいようでいて、どこか人間味を感じさせる言葉だった。
今日もまた書類の山の中で
静かな終わりと日常の再開
事件が解決しても、日常は変わらず続いていく。書類の山は減らず、サトウさんの塩対応も相変わらず。でも、今日だけはコーヒーがほんの少しだけ、温かく感じられた。
次の事件はもう始まっているかもしれない
時計の針が午後を告げる頃、玄関のチャイムが鳴った。「またかよ、、、」とぼやきながら立ち上がった。やれやれ、、、これが俺の運命らしい。