依頼人は朝一番で現れた
まだコーヒーも淹れていない朝8時。ドアのチャイムが鳴ったかと思うと、やけに腰の低い中年男性が事務所に滑り込んできた。「父が亡くなりまして…登記のことで相談を」と、眉間に深い皺を寄せながら言ったその顔は、どこか切羽詰まったものだった。
「予約は…してませんよね?」と私が言いかけたそのとき、後ろからサトウさんの冷たい視線が突き刺さる。「朝の飛び込みはあなたの仕事ですよ、シンドウ先生」と、言外に責任を押し付けられた気がして、思わずため息が出た。
古びた茶封筒と震える手
依頼人が差し出した茶封筒には、「遺言」とだけ書かれた紙が入っていた。だが、開けてみると中の文面はプリントアウトされたものと、後から付け足したような手書きの一文が混在している。署名と印鑑も、微妙にインクの種類が違っていた。
「この“追記”部分、なんだか怪しいですね」とサトウさんがぽつりと言う。その声に、依頼人の手がさらに震えた。
登記簿に残された不審な履歴
対象の土地建物の登記簿を取り寄せてみると、過去数年の間に何度か所有権移転が行われていた。しかも、一部は同一人物に戻っていたりして、どうにもスッキリしない流れになっている。
普通の相続ではありえない動きに、私は思わず机を指でトントンと叩いてしまう。直感が告げている。この件には、何か裏がある。
持ち主の変遷に隠された矛盾
登記名義人のうち、ある1名だけが短期間で複数の不動産を相続し、またすぐに名義を戻していることに気づいた。これは典型的な“ダミー相続人”のパターンだ。税逃れか、それとも家族内の揉め事か。
「この動き、カツオが波平のハンコ勝手に使ってたときと似てますね」と、うっかり口に出したら、サトウさんが冷たい目でこちらを見ていた。
亡き父の遺言と謎の追記
原本と思われる遺言には、「長男にすべての財産を相続させる」とある。だが、その末尾に手書きで「次男にも土地を一筆分け与える」と書かれていた。日付は変わっていないが、筆跡が微妙に違う。
この手の改ざんは、下手をすれば無効になる。サトウさんが筆跡鑑定の資料をネットで調べている隣で、私は「これは一杯食わされたかな…」と唸った。
日付の不整合が指し示す真実
プリントアウトされた部分は明らかに旧式のフォントだったが、追記の筆跡は新しすぎた。しかも日付は「令和3年4月1日」。ちょうど新元号に切り替わってから2年目。だが、依頼人の話では父はその年の1月に倒れて寝たきりになっていたらしい。
「つまり、書けるわけないってことですね」とサトウさんが言う。やれやれ、、、このままだと事件の香りがしてきた。
サトウさんの冷静なひと言
「登記を急がせたいというわりに、証拠がガバガバです」そう冷静に言い放ったサトウさんの言葉に、依頼人の顔色がさらに青くなる。机の上に置かれた茶封筒をそっと引き寄せる仕草が、逆に怪しさを際立たせていた。
「ところでこのハンコ、朱肉じゃなくてスタンプ台じゃないですか?」とサトウさんが追い討ちをかけた。私の代わりに完全に探偵役だ。
司法書士事務所の裏探偵
こういうときのサトウさんは、まるで『金田一少年の事件簿』の美雪ポジションだな、と思う。私はどちらかというと、被害者の第一発見者あたりだ。
だけど今回は違った。登記簿の動きと依頼人の供述に矛盾があった。それに気づいたのは、元野球部の観察眼のおかげ…ということにしておこう。
隠された第二の相続人
調査を進めるうちに、亡くなった父には認知していなかった異母兄弟がいることがわかった。役所に保存されていた戸籍の付票が、その事実を静かに告げていた。
そしてその人物こそ、今回の“追記”によって土地を得ようとしている次男だったのだ。
遺産を狙う影の存在
その次男は、過去に別の相続でもトラブルを起こしていた前歴があった。私は古い新聞記事のデータベースを漁りながら、「やっぱりね」とつぶやいた。
「この手口、まるで怪盗キッドですね」と言ったら、「キッドは偽物じゃなくて予告してくるだけマシですよ」とサトウさん。うん、たしかに。
法務局での違和感
法務局に出向いた私は、以前に提出された遺言の写しを確認した。だが、どう見ても現在手元にあるものとは別物だった。筆跡も、印鑑も、紙質までも。
「偽造だな」そう確信した瞬間、背中に冷たいものが走った。司法書士として、これを見逃すわけにはいかない。
一枚のコピーが告げるもの
昔の遺言書のコピーには、「相続させる」ではなく「与える」と書かれていた。これは相続ではなく遺贈扱いになる。つまり登記の申請には別の書類が必要なのだ。
この違いを突いたのが、まさに今回の“仕掛け人”だった。
現場検証に同行する羽目に
「現場を見ておきたいんです」と依頼人が言い出した。私は断りかけたが、サトウさんに「先生、いつも机にいるだけじゃ運動不足ですよ」と軽く背中を押された。
というわけで、久々にスーツで田んぼ道を歩く羽目になった。
空き家に残された証拠品
空き家に入ると、そこには手書きメモと判子が入った引き出しがあった。日付の走り書き、書きかけの遺言案。どれも依頼人が語っていた父の“遺志”とは一致しない。
むしろそれは、別人による偽造の準備書類だった。
手書きのメモと三文判の秘密
机の上には、どこにでもある三文判が転がっていた。だが朱肉が違う。現在の追記部分と全く同じスタンプインクがそこにあった。
「これが証拠ですね」私はスマホで撮影しながらつぶやいた。「遺言の改ざんは、あなたですよね?」
昭和の香りがする改ざんの跡
紙の端には、うっすらと新聞の写り込みがあった。昭和の時代の広告だ。これは古い紙を使った「偽装遺言」の典型パターンだった。
ああ、これで確定だ。依頼人は何も言わずに立ち尽くしていた。
やれやれ俺の出番か
「シンドウ先生、これ警察行きですよね」とサトウさん。私は頷きながら書類をまとめた。こんな朝に、こんな事件に巻き込まれるとは。やれやれ、、、ほんとに俺は司法書士なんだろうか。
だが、その場をまとめるのもまた仕事の一つだ。私はゆっくりと依頼人に向き直った。
失敗と泥まみれの中に閃き
警察への通報と供述録取、そして登記の無効申請手続き。地味だが大事な作業は、まさに私たち司法書士の本領だった。
「先生、さっきのカツオの話、ちょっとウケました」サトウさんがぽつりと笑った。…珍しい。
静かに涙を流す依頼人
数日後、改めて事務所にやってきた依頼人は、泣きながら頭を下げた。「自分の愚かさに気づきました…本当にすみません」
その姿に私は何も言わず、お茶を差し出した。サトウさんも無言でうなずいていた。
父の本当の想いを知って
戸籍を遡ると、父は生前に次男とも手紙のやりとりをしていたことがわかった。その中には「財産は渡さないが、恨まないでほしい」と書かれていた。
本当に伝えたかったことは、遺言ではなく、手紙の中にあったのかもしれない。
帰り道サトウさんの一言
「先生、また靴下片方裏返ってましたよ」帰り道、サトウさんに指摘されてハッとする。やれやれ、、、事件より自分の生活のほうが心配かもしれない。
でも、そんな日常が少しだけありがたく感じた。
「次はちゃんと靴下揃えてください」
サトウさんの言葉には、優しさと小さな笑いがあった。私は返事をせずに、空を見上げた。
その空は、事件が片付いた午後の、静かで穏やかな青空だった。
事務所に戻ればまた山積みの書類
机には新しい登記相談の資料が山積みだった。「今度は共有物分割ですって」とサトウさんがつぶやく。
…やれやれ、、、日常という名の未解決事件は、今日も終わらない。
日常が一番の難事件かもしれない
司法書士という仕事は、派手ではない。だが、そこには人の感情と過去と未来が詰まっている。
私は机に向かい、静かに次の事件簿を開いた。