序章 静かな依頼
ある朝届いた封筒
朝の事務所に、茶封筒が一通届いていた。差出人はなく、表には「至急」とだけ書かれている。封を切ると中には、相続登記の依頼書と共に、古びた登記事項証明書の写しが一枚入っていた。 それだけなら、よくある仕事だ。ただ、依頼人欄に記された名前がすでに死亡している人物だったという点を除いては。
サトウさんの無言の圧力
「また変な仕事持ち込まれてますよ」 隣から低い声が飛ぶ。サトウさんが書類を睨みながら、プリンターの前に立っていた。言葉の温度は冷たいが、何かを見抜くような目をしている。 やれやれ、、、今日もまた平穏には終わらないようだ。
疑念の登記簿
旧土地台帳との違和感
受け取った資料を片手に法務局へと走った。閲覧室のパソコンで旧土地台帳を確認した途端、僕の背筋に冷たいものが走る。 昭和五十二年に所有権移転登記がされたはずの土地に、その直前に一度名義が戻っている形跡があるのだ。 しかも、その名義人もまた、依頼書に記載された「故人」と同じ人物だった。
昭和の謎を追う司法書士
昔の登記簿は手書きで、読み取りに苦労するが、それでもそこには“二度目の所有者”の名前が確かに記されていた。 これはただの相続ではない。昭和の時代、何かが仕組まれていた可能性がある。 こうなると、司法書士というより、ほとんど探偵のような気分だ。
亡き依頼人の影
登記名義人の死亡時期の矛盾
戸籍を追っていくと、名義人は平成四年に死亡していた。だが、問題の土地には平成六年にも本人名義での登記申請がされている。 これは明らかに矛盾している。つまり、死んだ人間が登記申請したということになってしまう。
司法書士が聞いた町の噂
かつての所有者は、地元の名士だった。だがその死には不審な点も多く、土地を巡って親族同士の争いも絶えなかったという話だ。 まるで、サザエさんの三河屋さんのように、どこにでも顔を出していたらしいが、その裏では何かを隠していたようだ。
怪しい相続人
兄とされる男の証言
名義人の「兄」だと名乗る男が現れた。 「弟の生前に委任されていたんですよ」と男は笑って言ったが、その目はどこか泳いでいた。 委任状は確かに存在した。だが、印影が微妙に違う。僕のような司法書士なら見逃さない細かな違いだった。
戸籍から浮かび上がる嘘
調べを進めるうちに、男と名義人は血縁関係がなかったことが判明した。戸籍には“養子”としての記載すらない。 つまり、この男は赤の他人。それなのに、相続を主張しているのだ。
サトウさんの推理
冷静な視線が暴く意図
「委任状、偽造ですね」 サトウさんが淡々と言った。「筆跡も、印影も、時間帯もおかしいです。どうせコンビニの印刷機で作ったんでしょう」 彼女の指摘で、偽造の確証がほぼ固まった。僕が地道に戸籍を追っていた間に、彼女は真実にたどり着いていたのだ。
元野球部の勘が冴える瞬間
ただ、決定打は僕だった。男の供述を聞いているうちに、ふと気づいた。 「登記簿に出てくる筆跡、昔どこかで見た気がするな」——高校野球部の部誌で見た筆跡と一致していたのだ。 まさか、かつての同級生がこんな形で関わっているとは。記憶のグラウンドが蘇った。
真相と結末
過去に仕掛けられた罠
結局、男は過去に一度だけ土地を所有していた同級生だった。当時、登記の知識を持っていなかった彼は、名義を戻すことができなかった。 だが、名義人の死を知ったとき、思いついたのだ。偽装委任と偽装相続という二重のトリックを。
最後に笑ったのは誰か
男は告発され、不動産は本来の法定相続人に戻された。依頼者が誰だったのかは、最後まで不明のままだった。 だが、封筒には薄く、墨で「正義」とだけ記されていた。まるでルパン三世の置き手紙のように。 僕は書類を綴じながらつぶやいた。「やれやれ、、、これだから司法書士はやめられないよ」