午後に鳴った電話が心の静けさを全部持っていった日

午後に鳴った電話が心の静けさを全部持っていった日

午後の電話がもたらした静かなパニック

その日もいつも通り、机の上には書類が山のように積まれていた。時計は午後二時を指していて、事務員の彼女は隣で郵送書類を封筒に詰めていた。静かで、やや眠気を感じるくらいの午後だった。そんな時、電話が鳴った。嫌な予感というのは本当にあるんだなと思う。受話器を取った瞬間、こちらの名乗りが終わるよりも早く怒鳴り声が飛び込んできた。怒っているのはわかる。でも、どうしてそこまでの言い方をされなければいけないのか。体は静かに凍りつき、胸の奥がドクドクと音を立て始めた。

いつも通りの午後に鳴った一本の電話

司法書士をやっていれば、いろんなタイプの依頼者と出会う。怒りっぽい人、泣きそうな人、あっけらかんとした人。でも、あの日の電話は特別だった。「何やっとんねん」と開口一番に怒鳴られた時、頭が真っ白になった。まるで金属バットで急に肩を殴られたような衝撃だった。元野球部の感覚で言えば、真夏のノックで脱水寸前の時に急に全力疾走をさせられる、あの感覚に近い。思考が止まり、ただただ相手の怒声に耳を傾けるしかなかった。

怒鳴り声に反応したのは心臓だった

その内容は確かにこちらのミスも一部あった。でも、それを確認する前に感情の嵐が押し寄せてきた。こっちは怒鳴り返すわけにもいかず、ただ謝り、受け止めるだけ。頭では冷静になろうとしても、身体は正直で、心臓がバクバクと音を立てていた。まるでマウンドに上がったばかりの新人ピッチャーのように、コントロールも定まらず、何を投げてもど真ん中にいかない。そんな感覚だった。声を絞り出すのが精一杯だった。

電話を切った後もしばらく息が整わない

電話が終わっても、胸の高鳴りは一向に収まらなかった。事務員の彼女が心配そうにこちらを見ていたが、言葉が出ない。トイレに立つふりをして洗面所の鏡を覗いたら、顔がこわばっていて、ひどく疲れた顔をしていた。こういう日は書類なんて頭に入ってこない。でも、仕事は待ってくれない。深呼吸をして、席に戻る。まるで何事もなかったかのように、パソコンに向かって。

司法書士という職業に向いていないかもしれないと思った瞬間

あの午後、ふと「自分にはこの仕事、向いてないんじゃないか」と思った。人の感情に振り回されて、冷静さを失うようじゃ務まらない。そう自分を責める声がどこからともなく湧いてくる。資格を取った頃は、もっと自信があった。でも現実は、理不尽な言葉を浴びながらも我慢し続ける日々。理論や正しさだけでは片づけられない世界だ。

人の感情に左右される自分が嫌になる

強くなりたいと思って司法書士になったわけじゃない。でも、いま求められているのは「強さ」なんだと思う。怒鳴られても動じない心、過剰に反応しない図太さ。でもそれがない自分が、情けなく思えることがある。こんな時、強くなれない自分をまた責めてしまって、負のループに入る。感情のセンサーが人より敏感なんだろう。それが長所になることもあるとわかってはいるのだけれど。

「慣れれば平気になるよ」と言われたけれど

先輩の司法書士に相談したことがある。「そういうの、慣れるよ」って。確かに長年やっていれば感情を切り離す術を覚えるのかもしれない。でも、慣れるというのは、鈍感になることなんだろうか。私はまだその境地に至っていないし、そもそもそれが本当に良いことなのかもわからない。正直、慣れて麻痺するのが怖いとも思う。

本当にそれでいいのかと自問した午後

怒られて慣れて、反応しなくなる。それで心を守れるのなら、それも一つの答えかもしれない。でも、それって本当に自分のやりたかった仕事なんだろうか。依頼者の感情に寄り添いたいと思って始めたこの仕事で、自分の心を麻痺させてしまったら、本末転倒だ。そんなことを延々と考えていた午後。結局、答えは出なかった。

気持ちの切り替えができない日の業務日誌

午後三時、まだ胸のあたりが重い。書類の内容が頭に入らない。軽い動悸は収まったけれど、集中力が戻らない。こういう日はとにかくしんどい。昔のように、体を動かして汗をかけば切り替えられたのかもしれない。今はそうもいかない。じっと机に座って、内側の混乱と向き合いながら、手だけは動かす。

書類は進まないけれど時計だけが進んでいく

いつの間にか外が暗くなっていた。書類は朝とほとんど変わらない場所に積まれたまま。進んだのは時間だけ。仕事の成果が見えない日は、特に虚しくなる。でも、それも司法書士の一日にはよくあることだ。焦っても、悩んでも、結局やることは変わらない。明日もまた朝から始まるだけだ。

誰にも言えないまま終わる一日

事務員に愚痴るわけにもいかず、友人もみな別の世界にいる。怒鳴られた話なんて、誰に聞かせても盛り上がらないし、ただの愚痴で終わる。それでも誰かに聞いてほしい気持ちがあった。だから今こうして、文章にしているのかもしれない。誰かに伝えることで、少しだけ自分の中が整理されるような気がして。

自分にだけ優しくするという難しさ

結局のところ、一番難しいのは「自分に優しくする」ことかもしれない。他人には「気にしなくていいよ」と言えるのに、自分にはそれができない。ずっと頑張ってるんだから、たまには立ち止まってもいいのに。それがなかなかできない。でも今日は、せめて早く風呂に入って、ゆっくり寝ようと思った。

それでも続ける理由を考える時間

辞めたいと思う日もある。でも続けているのは、やっぱりどこかに「誰かの力になっている」と思える瞬間があるからだと思う。書類一枚でも「助かりました」と言われると救われる。怒鳴られる日もあるけれど、感謝される日もちゃんとある。それが支えになっている。

独立してからここまでやってきたこと

もう十年以上になる。開業したばかりの頃、仕事がなくて手帳が真っ白だった日々を思い出す。それに比べれば、今は怒られてでも頼まれるというだけでありがたいのかもしれない。つらいものはつらい。でも、自分なりに歩んできた道のりが、今日も少しだけ自分を支えている。

昔の野球部の監督の言葉を思い出す

「しんどいのは、ちゃんと勝負してる証拠や」。高校時代の監督がよく言っていた言葉だ。ベンチにいて楽をしていたら、しんどいことなんてない。マウンドに立つから、しんどい。今の自分も、たしかにしんどい。でも、それは今も誰かと向き合って、ちゃんと仕事をしている証拠なんだと信じたい。

しんどいのは勝負してる証拠や

もう一度この言葉を胸に刻んで、明日を迎えたい。心が揺れることはある。でも、それだけ誰かと真剣に向き合っているということでもある。怒られても、揺らいでも、また立て直していく。それが司法書士という仕事の、裏側にあるリアルなんだと思う。

誰かの共感が救いになると信じて

この文章が、同じように苦しい午後を経験した誰かの心に届いたら嬉しい。司法書士じゃなくても、誰かと向き合う仕事をしている人なら、きっと同じような思いを抱えたことがあるはず。私もまた、そういう誰かの文章に救われてきた。だから、今度は自分がそうなれたらと願っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。