朝の法務局、異様なほどの静けさ
いつもは多少なりとも人の出入りがあって、「ああ、今日も始まったな」という気配があるのが法務局の朝。しかし、たまにあるんです。出勤していつも通り書類を持って行ったら、「……あれ? 今日は休みだったっけ?」と本気でカレンダーを確認するような、そんな異常な静けさ。地方の小さな法務局だからこそ起こる現象なのかもしれませんが、何年やってても慣れないこの違和感。朝のコーヒーが冷める前に、すでに胸の内はざわざわしています。
「今日って休みだっけ?」と本気で確認する瞬間
入口の自動ドアが開く音すらなく、受付にも誰もいない。備え付けの申請書類すらまったく動いていない――そんな様子を目の当たりにすると、本気で「あれ? 祝日? いや、違うよな」とスマホのカレンダーを確認してしまう。普段、バタバタと提出に来る人たちの動きがまったくない。休日明けの火曜日のはずが、時間が止まったような空間。自分だけが時空を飛び越えてきてしまったような、そんな妙な孤独に包まれるんです。
職員の声がまったく聞こえない恐怖
法務局って、奥で何か話し声やら、書類を整理するガサガサ音やらがしていると安心するんですよね。でも、そういうのが一切聞こえないと、逆に不安になるんです。「あれ、地震とかあったっけ?」「警報?」「もしかして閉鎖?」なんて頭をよぎる始末。特に朝イチで行ってこの静けさだと、なんだか受付に声をかけるのも怖くなってしまう。職員さんの「おはようございます」が聞こえた瞬間、やっと自分の存在が肯定されたような、そんな妙な安心感すら覚えます。
コピー機の音がやたら響く
あの静まり返った空間で、唯一響くのがコピー機の「ウィーン」という音。普段なら気にも留めないのに、今日はやけに重たく耳に残る。何枚か続けてコピーを取っていたら、背中から誰かの視線を感じて振り返ってしまったり。自意識過剰なのは分かってるけど、静けさが逆に気配を際立たせてしまうんですよ。こんな時に限って紙詰まりを起こすし、トナーも切れてたりする。いつも通りがどれだけ大切だったか、しみじみ思い知らされる午前です。
来庁者ゼロのロビーに立ち尽くす
ロビーの長椅子がずらりと並んでいて、誰も座っていない。その光景が何ともいえないプレッシャーを与えてきます。特に、書類提出後に確認待ちをしているとき。無音の空間で、自分だけがポツンと座っていると、「何か間違ったことをしているのでは?」という謎の罪悪感すら湧いてくる。時計の秒針だけがやけに大きく聞こえて、落ち着かないったらありゃしない。そんな状況でも、外に出るわけにもいかず、ただただ耐えるしかないんですよね。
あの喧騒が懐かしいと思う日がくるとは
普段は「うるさいな」とすら感じていたロビーのざわめき、子どもが走る音、番号札をめぐってもめる人たち。あれがないだけで、ここまで寂しくなるとは思いませんでした。人の声や動きって、こんなにも空間に意味を与えていたんだなと痛感します。そういう意味で、喧騒は安心の証。静けさは異常のサイン。まるでホラー映画の序盤みたいに、何か不吉なことが起こる前触れに思えてくるのは、ちょっと職業病かもしれません。
「今日は何かあったのか?」と疑う心
あまりに人がいないと、ついTwitterで「法務局 休み」と検索したり、地元ニュースをチェックしたりしてしまう。しかも、誰にも聞けない時間帯だと、余計に不安が増幅するんです。何か自分だけ知らされていない重大な変更があったのかも……と。こういう疑心暗鬼の中で仕事するのは本当に精神衛生に悪い。だけど、誰もいない法務局でそれなりに作業を進めて、帰る頃にようやく人が増えてきたりすると、「今日も乗り切ったな」って変な達成感があったりもします。
静けさがもたらす妙な焦燥感
司法書士って、ルーティンで動いてる部分が多い仕事なんですが、そのリズムが崩れると一気に不安定になるんです。法務局が静かだと、心のどこかで「今日は動きが鈍い=何かトラブルの前兆では?」と感じてしまう。事実、静かな日に限って急なトラブルが発生したり、補正の連絡が一斉に来たりすることもあるんです。だからこそ、静かすぎる午前には、どこか「嵐の前の静けさ」のような不穏さを感じてしまうのです。
本当に提出できる雰囲気か自問自答
窓口に行くと、職員の方が手持ち無沙汰な表情で待っていることがあるんです。普段はバタバタしていて申し訳なさそうに応対してくれるのに、今日は逆にこっちが気まずくなる。提出する自分が、空気を乱してるんじゃないかと錯覚するほどの静寂。そんなことないって頭では分かってるんですが、感情がついてこない。何度も「この書類、今日出す必要あったかな……」と自問してしまう。誰もいない空間って、思考がどこまでも深くなるんですよ。
書類を出す音すら罪悪感になる朝
封筒を開ける音、ホチキスを外す音、申請書をトレイに置く音――すべてがやけに響く午前の法務局。まるで図書館か、厳粛な会場にでもいるような錯覚。こんな時に限って、必要以上に大きな音が出てしまって、「うわ、うるさっ!」と内心ツッコミを入れる羽目になる。静けさって、快適さとは限らない。音があることに慣れてるからこそ、その不在がここまで不安にさせるんだと気づかされます。まさに、音の反作用ですね。
なぜか疲れる“静かな午前”の正体
騒がしいわけでもない、誰にも話しかけられない。そんなはずなのに、昼前にはどっと疲れている。静けさの中にある緊張感が、じわじわと精神を削っていたんでしょうね。おそらく、人の存在がない分、自分の意識がフル稼働している。だから、何もしていないのに気づけば肩が凝っている。静かな午前って、実はとてもエネルギーを消耗するんです。わかってくれる人、いますか?
仕事が進むはずなのに、逆に集中できない
「静かな方が仕事はかどるでしょ」と言われそうだけど、そんなことないんです。ある程度の雑音があってこその集中力ってあるんですよ。無音すぎると逆に集中できない。周囲の様子をうかがってばかりで、内側に向くべき意識が外に向かってしまう。結果、全然集中できてないのに疲れだけが溜まっていくという、最悪のパターンに陥る。静けさって、適量があるんだと思います。
静寂=安心、というわけではない
一般的には「静か=平和」と捉えられがちですが、それはあくまで基準があってこその話。毎日が慌ただしい現場で、突然の静けさはむしろ異常。たとえば、家の近所でいつも子どもが遊んでいたのに、ある日ぱったりいなくなったら心配になりますよね。それと同じ感覚なんです。安心を与えてくれるのは“いつもの日常”であって、“異常な静けさ”ではないということを、身をもって感じます。
それでも通う、司法書士という職業の矛盾
どんなに不安でも、どんなに静かでも、結局は法務局に足を運ぶ。それが仕事。たとえ孤独を感じても、怖くなっても、進めなければならない業務がある。それが司法書士という仕事の現実であり、矛盾でもあります。「こんな思いしてまでやる仕事か?」と思う日もありますが、そう思いつつも今日も法務局に向かう。そんな繰り返しの中に、プロ意識って芽生えてくるのかもしれません。
誰かが来るのを待ち続ける日々
事務所に戻れば、事務員さんがポツンと電話を待っていたりする。電話も鳴らない、メールも来ない、来客もない。そんな日もあります。でも、それでも座って、パソコンの前に向かって、帳簿を開く。そんな日々を支えてるのは、「次こそ何かあるかもしれない」という淡い希望だけ。司法書士の仕事って、根気と希望のバランスが取れていないと本当にやっていけない仕事だなと感じます。
この孤独に共感できる人がどれだけいるか
同じ司法書士でも、忙しくて毎日人に囲まれてる人もいるでしょう。でも、地方の個人事務所でやってると、この“誰にも気づかれない孤独”に包まれることが多い。声を出しても響かない感じ。自分の存在が社会から見えなくなる感覚。それでも、こんな話に「わかる」と言ってくれる誰かがいたら、それだけで今日一日が少しだけ報われたような気がするんです。