地元の友達とはもう話が合わなくなった

地元の友達とはもう話が合わなくなった

変わってしまったのは自分か、相手か

地元に残って司法書士を続けていると、ふとした瞬間に感じる違和感があります。学生時代を一緒に過ごした友人たちと久しぶりに再会しても、笑うポイントがズレていたり、共通の話題が見つからなかったり。相手が悪いわけではない。自分だってきっと、変わったんだと思います。お互いの歩んできた人生が違えば、考え方も価値観も違ってくるのは当然。でも、それがこんなに壁になるとは思わなかった。いつの間にか「話が合わないな」と感じるようになったのは、きっとお互いの変化に気づかぬふりをしてきた結果なんだろうと思います。

同じ話題を笑えなくなった瞬間

昔は、くだらないことで大笑いしていた友人たちと、いまは何を話しても笑えない。それがどうしようもなく寂しい。あるとき、飲み会でパチンコやアイドルの話題で盛り上がっている彼らに、全然ついていけなかった自分がいました。仕事のことや人生の悩みなんて、ここでは話す空気じゃない。だから黙って笑っていたけど、帰り道、なんとも言えない虚しさがこみ上げてきました。「もう無理して笑わなくていいんじゃないか」と思ったのは、その夜が初めてだった気がします。

飲み会での違和感が教えてくれたこと

地元の飲み会って、変な安心感もあるけど、変化を許してくれない空気もあるんですよね。「昔のままでいてほしい」という期待を押し付けられているような気がする。実際、司法書士になってから自分の話をしようとすると、「えらくなったな」って茶化される。そう言われるのが嫌で、仕事の話はしないようにしてきたけど、そうすると今度は話すことがない。結果、ただ酒を飲んで、愛想笑いだけして帰ることになる。それが本当に「友達」と言えるのか、自問自答するようになりました。

司法書士という仕事が距離を生んだ

司法書士って、ある意味では人の深いところに関わる仕事です。不動産、相続、登記、日々の生活とは無縁じゃない。でも、一般的にはなじみが薄いし、話してもあまり興味を持たれない。むしろ堅苦しい話をしているように思われて敬遠されがちです。結果的に、自分の大部分を占めている仕事の話ができなくなり、会話の幅が極端に狭くなる。それが、地元の友人との間に、見えない壁をつくってしまったように思います。

懐かしいのに、懐かしさだけじゃつながれない

再会すれば、一瞬で昔に戻れる——そんな幻想を持っていた時期もありました。でも現実は違っていて、懐かしいだけでは長く話は続かない。共通の話題があっても、それは過去に属するものであって、今を共有できていない。今の自分を語るとき、相手の興味や理解が追いつかないのを感じて、気まずくなって話題を変える。そんなことが何度もあった。たとえ思い出は同じでも、それだけでは絆にはならないということに、ようやく気づき始めたのかもしれません。

地元愛と現実のギャップ

「地元に残った人は幸せじゃない」と言いたいわけじゃないんです。実際、地元に家族を持ち、仕事をして、地域に根差して生きている友人もいる。けど、自分はというと、司法書士としての仕事に忙殺され、毎日締切と登記簿と格闘している。地元の話題、地元の常識、それらがだんだんとピンと来なくなってきているのも事実です。地元愛がないわけじゃない。でも、それが今の自分の毎日とどう交差するのか、正直わからなくなってきているのです。

「変わらないね」は褒め言葉ではなかった

昔の友達に「変わらないね」と言われることがあるけど、最近はそれが少し辛い。自分としては、苦しみながらもなんとか前に進んできたつもり。でも、彼らからは「昔のまま」だと思われている。努力や変化が見えていないのか、見ようとしていないのか。たまに、自分の人生って誰にも伝わらないものなのかなって虚しくなる。変わってしまったのは自分かもしれないけど、それを受け入れてくれる関係って、本当に貴重なんだと痛感します。

孤独か自由か、選べない日々

地元の友達と話が合わなくなった今、ふと気づくと独りでいる時間が増えました。誰かと群れることはなくなったし、休日も一人で過ごすのが当たり前。でも、それが寂しいかと言われると、そうでもない。ただ、たまに「この先もずっと一人なのか」と思うと、少し怖くなる瞬間がある。自由と孤独は表裏一体。司法書士という仕事は責任も重く、気軽に愚痴れる相手も少ない。だからこそ、地元の友達とは違う、今の自分を受け入れてくれる関係を求めているのかもしれません。

地元に残ったことへの後悔と誇り

地元に残って仕事をしていると、「都会に出ればよかったのかな」と思うこともあります。同期の中には東京でバリバリ稼いでる人もいるし、広い人脈を活かして事務所を大きくした人もいる。それに比べると、自分は何をしているのかと落ち込むこともあります。でも一方で、地元に根ざして困っている人を助ける仕事ができていることは、誇りでもあります。後悔と誇りが交錯するこの場所で、今日も仕事を続けている。それだけは、誰に何を言われても揺るぎません。

なぜこの道を選んだのかを思い出す

司法書士になった理由は、単純でした。家族の相続問題をきっかけに「こういう仕事をする人になりたい」と思った。それだけ。でも、現実の毎日は、登記や書類、電話対応、事務処理に追われる日々で、自分が最初に抱いた志なんて忘れてしまいそうになります。ふと立ち止まって、なぜこの仕事を選んだのかを思い出す時間が必要なんだと思います。それが、自分を支えてくれる軸になる。友達と話が合わなくなった今だからこそ、自分自身と向き合うことが必要なのかもしれません。

誰にもわかってもらえない「しんどさ」

司法書士という仕事は、誰にでも理解される仕事ではありません。「忙しそうだね」と言われても、その忙しさの中身までは伝わらない。孤独でしんどい時も、誰にも言えずに飲み込むしかない。だからこそ、友達と話しても心が満たされない。話が合わないというのは、表面的なことではなく、深いところでの「理解されなさ」が積み重なった結果なのかもしれません。でも、それでもいいから、誰か一人にでも「大変だね」と言ってもらえたら、それだけで少し救われる気がします。

年賀状とSNSだけがつなぐ関係

年に一度の年賀状、そしてSNSでの「いいね」。それだけが、今の地元の友達とのつながりになっている。昔は「また今度飲もうな」と言えば本当に会っていたのに、いまはその言葉すらもう出てこない。SNSでの近況報告を見ては、「ああ、元気そうだな」と他人事のように思う。それでも、完全に切り離す気にはなれない。あの頃の思い出が、自分の中でまだ生きているから。たとえ会話が弾まなくても、過去のつながりが完全に消えるのは、どこか怖いのかもしれません。

本音を語る相手がいない世界

どれだけ人と会っていても、本音を語れる相手がいなければ孤独です。司法書士という立場上、なかなか本音をさらけ出せる場がない。仕事上の立場、依頼者との距離感、地域社会とのつながり、すべてに気を使っていると、自然と自分を押し殺す癖がついてしまう。気がつけば、誰にも弱音を吐けない状態に陥っていた。それを「話が合わない」と感じてしまうのは当然かもしれません。結局、安心して本音を話せる相手がいるかどうかが、人との距離を決めるのだと思います。

共通の思い出はあっても、今の共感はない

中学や高校の頃、一緒に部活をして、帰り道を歩いた友人。あの頃の思い出は色あせない。でも、今の自分が抱えている葛藤や疲れを話しても、それに共感してくれることは少ない。思い出を語り合うことはできても、今を共有できない。つまり、地元の友達とは「過去を語る相手」にはなれても、「今を語る相手」にはなれないんだと気づいたとき、静かに距離が生まれました。共感がない関係は、優しくてもどこか虚しいものです。

新しい居場所を探すのも悪くない

昔の友達と話が合わなくなったからといって、それが「終わり」ではないと思いたい。むしろ、それは新しいつながりを探すきっかけになるのかもしれません。同業者や、似たような悩みを抱える人との出会いが、自分を救ってくれることもある。年齢的にも出会いは限られているけれど、それでも「今の自分」をわかってくれる人がいるかもしれないという希望を持っていたい。地元の友達との関係にこだわりすぎず、柔らかく新しい関係を築いていくこと。それもまた、大人の生き方なんだと思います。

同業者とのつながりが救いになることもある

業界の勉強会や研修会で知り合う同業者の中には、驚くほど共感してくれる人がいます。「わかる、俺もそうなんだよ」と言ってもらえるだけで、どれほど気持ちが軽くなることか。話題も仕事の悩みも通じるし、無理に笑わなくても済む。その安心感は、地元の友人との関係では得られなかったものでした。大人になってからの友情は、昔とは違う形だけど、だからこそ今の自分にフィットするものだと実感しています。

愚痴を言える相手の大切さ

「愚痴をこぼせる相手がいるかどうか」って、人生の幸福度に大きく関わると思います。仕事の愚痴、生活の悩み、誰かに話して笑ってもらえるだけで、救われる。司法書士という仕事は、責任も重く、人に話せないことも多い。でも、同じ業界にいる人なら、細かい説明をしなくても通じる。それが本当にありがたい。自分の弱さを出せる相手がいることは、何よりの支えになります。

わかってくれる人は、どこかにいる

地元の友達とは話が合わなくなっても、それを「失った」と捉えるだけではなく、「変わった」と受け止めることができたら、少し気持ちは楽になります。そして、新しいつながりがどこかにあるはずだと信じることも大事。司法書士として、独りで戦っているような気持ちになる日もあるけれど、それでも「わかってくれる人は、きっとどこかにいる」。そう思えるだけで、もう少し前を向いて頑張れる気がしています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。