書類の不備が人生を狂わせる瞬間

書類の不備が人生を狂わせる瞬間

完璧な書類なんて存在しないけれど

司法書士という仕事に携わって十数年。日々、数えきれない書類と向き合っていると、完璧を求めること自体がどれほど神経をすり減らすか思い知らされる。だが現実には、「完璧じゃないと許されない」ことばかりだ。たった一つの不備、それもごく些細な記載ミスが、依頼人の人生を大きく狂わせることがある。そしてその責任がこちらにのしかかってくるとき、自分の人生すらおかしくなっていく気がしてならない。

朝一番の電話で凍りつく

朝の一報。それは、まるで警報のように全身に緊張が走る瞬間だ。いつものように事務所の電話が鳴り、受話器越しに聞こえる「ちょっと、これどういうこと?」という怒り混じりの声。眠気は一瞬で吹き飛ぶ。書類に不備があったのだ。しかも、すでに役所に提出済み。ミスの原因は些細な確認不足。前日の疲れと焦りで、見落としてしまったのだ。

「印鑑証明が期限切れ」から始まる悪夢

そのときのミスは、印鑑証明の有効期限が切れていたことだった。日付を確認し忘れたという単純なミス。しかし、その影響はあまりにも大きかった。不動産の名義変更手続きが遅れ、依頼者は引っ越しの予定を変更せざるを得なくなった。その場で土下座でもしたくなるほど申し訳なかったが、信頼を回復するのは容易ではなかった。

依頼者の怒りと信頼の崩壊

電話の向こうの怒声は、ただのクレームではなかった。「あなたに任せたのが間違いだった」と言われたとき、胸の奥がずんと重くなった。こちらに悪意がないのは当然だが、依頼者にとっては「結果」がすべて。過去にどれだけミスなく仕事をしてきたとしても、たった一つのミスで積み上げた信頼は音を立てて崩れていく。自己嫌悪がその日一日、重くのしかかった。

気づいた時にはもう遅い

書類の確認作業はルーティンになりがちだ。しかし、ルーティンという言葉の裏には「油断」が潜んでいる。注意しているつもりでも、慣れが判断を鈍らせ、やがて痛恨のミスを引き起こす。気づいたときにはすでに遅く、修正も後手に回る。そんな時、自分の存在価値すら疑ってしまう。誰のために、何のために働いているのか、ふと考えてしまう。

訂正が間に合わない現場のリアル

一度提出してしまった書類は、簡単に訂正が利かない。再提出、再押印、再手配…。それにかかる時間と労力は計り知れない。しかも、依頼者にも再手続きの協力をお願いしなければならず、その度に「面倒な人」と思われてしまう。この「申し訳なさ」と「やるせなさ」の板挟みの中で、言葉では言い表せないストレスが蓄積していく。

書類一枚で葬られる信頼関係

かつて、何度も仕事を依頼してくれていた不動産業者がいた。だが、ある日こちらの記載ミスで重要な契約が遅れたことをきっかけに、その業者からの依頼はぱったりと途絶えた。説明も謝罪も尽くしたが、「一度やった人はまたやるかもしれない」という不信感は、言葉では取り戻せないのだ。信頼関係とは、積み上げるには時間がかかるが、崩れるのは一瞬だった。

「たった一箇所」のミスが引き起こす連鎖

「この部分、空欄でも問題ないですよね?」という確認を怠っただけで、大きな手戻りになることがある。一つの不備が、別の不備を誘発し、気づけば手続き全体が瓦解していく。書類というのは、一枚の紙ではなく、複雑な歯車の集合体のようなもの。どこか一つが狂えば、すべてのバランスが崩れてしまう。そしてその矛先は、いつだってこちらに向かうのだ。

お役所仕事とこちらの責任の狭間で

役所に提出する書類は、彼らのルールに従うしかない。しかし、そのルールは時に曖昧で、解釈に幅がある。こちらとしては「この程度なら通るだろう」と思っても、窓口担当者の一存で突き返されることもある。その曖昧さに振り回され、依頼者に説明しても理解されない。「役所のせいで…」とは言えず、結局こちらが矢面に立つしかないのだ。

誰のせい?いや、誰も悪くない現実

書類の不備が起きたとき、原因を探すのは簡単だ。だが、それを突き詰めたところで解決にはならない。事務員が確認ミスをしていたとしても、自分が最終確認していれば防げたかもしれない。逆に、自分が見落とした点も、誰かが気づいていれば…。結局、「誰も悪くない」という逃げ道のない現実に行き着き、ただ虚しさだけが残る。

でもクレームの矛先は決まって自分

どんなに組織内で責任を分担していても、最終的に責任を取るのは自分だ。依頼者にとっては「司法書士の○○さん」に頼んでいるのであって、事務所の中の誰がやったかは関係ない。理屈ではわかっていても、そのたびに心がすり減っていく。何度も繰り返される「自分がもっとちゃんとしていれば」の思考が、精神をじわじわと蝕んでいく。

事務員の一言が運命を分ける

ある日、提出前に事務員が「この書類、大丈夫ですよね?」と軽く確認してきた。自分は忙しくて、ろくに目を通さず「うん、平気だと思う」と答えた。しかしその書類に重大な記載漏れがあり、結果的に依頼者に多大な迷惑をかけることになった。事務員を責めることはできない。最終判断を下したのは、自分だからだ。その日から、「大丈夫」は禁句になった。

「確認しましたよね?」の破壊力

ミスが起きたとき、事務員が「私、ちゃんと確認しましたよ?」と言った。言葉に悪意はなかったが、その瞬間、背筋に冷たいものが走った。確認はした、でも間違っていた。そこに「確認済み」という一言が加わるだけで、責任の所在が見えなくなり、誰も救われなくなる。仕事の中で交わす言葉の一つひとつが、どれほど重いかを痛感した瞬間だった。

謝るしかないが、釈然としない夜

最終的には、こちらが頭を下げるしかない。原因がどこにあろうと、結果的に責任を取るのは自分だからだ。でも、心の中では「本当に自分だけのせいなのか?」という思いが渦巻く。そんな釈然としない夜を何度も過ごしてきた。寝る前に何度も頭の中でやりとりを再現し、ため息をついて、ようやく眠りにつく。司法書士という職業は、孤独な戦いの連続だ。

この仕事に「ミス」は許されない

どんなに経験を積んでも、どれだけ慎重に確認しても、ヒューマンエラーは避けられない。しかし、この業界ではそれが許されない。失敗が人生に影響を及ぼすことが多すぎるからだ。ミス一つで信頼を失い、依頼人だけでなく自分の人生も狂いかねない。そんな緊張感の中で、今日もまた机に向かい、震える手で書類を確認する日々が続いていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。