笑顔が不自然だと言われてしまった日のこと
「なんか、笑顔が不自然だね」――その一言が、思いのほか心に響いた。相手に悪気がなかったのは分かっている。でも、言われた瞬間、心の中で何かが崩れた。司法書士としての仕事柄、笑顔で対応することは基本だ。クライアントに安心感を与えるためにも、感情を表に出しすぎないよう努めてきた。それでも、こんなふうに指摘されると、自分の「ふつう」がずれているような気がして、どこに立てばいいのか分からなくなってしまう。
その言葉が胸に刺さった理由
たかが一言、されど一言。普段は気にも留めないような言葉が、なぜかこの日は鋭く刺さった。たぶん、それは自分でもうすうす気づいていたからだ。最近、無理やり笑っていたことに。業務の合間に冗談を言われても、心から笑えなかった。クライアントとの会話も、どこかよそよそしい。それなのに、自分では「ちゃんとやってる」と思っていた。その思い込みを見透かされたような気がして、余計に傷ついたのだろう。
笑顔すら演技になっていたかもしれない
司法書士として長くやっていると、感情を抑えることが当たり前になる。怒りも悲しみも、喜びすらも顔に出さない。それがプロの態度だと思っていた。けれど、それが行き過ぎると「演技」になってしまう。ふと、テレビのドラマで見た登場人物が、営業スマイルを貼り付けたように笑っていたのを思い出した。あの時の僕の笑顔も、あれと同じだったのかもしれない。演技だと分かる笑顔ほど、見ている側にとっては気まずいものはない。
誰のために笑っていたのか、ふと立ち止まる
笑顔は、相手を安心させるためのもの。だけど、いつの間にかそれは自分を守るための鎧になっていた。仕事での失敗を隠すため、疲れをごまかすため、「大丈夫です」と言いながら笑っていた。本当はしんどいのに、無理やり笑ってごまかしていた。誰のための笑顔だったのか。ふと立ち止まり、自問してみる。少なくとも、心からの笑顔ではなかったことだけは確かだった。
そもそも、司法書士って笑ってる暇あるの?
同業者なら共感してくれると思うけど、司法書士の業務って冗談抜きで地味だし、神経をすり減らす仕事が多い。登記の手続きひとつにしても、書類の不備があれば一発アウト。法務局とのやりとりも気を抜けない。しかも、スケジュールはいつもタイト。そんな中で「笑顔を大切に」なんて理想論に聞こえてしまう。心から笑える余裕なんて、正直、年に何回あるか分からない。
登記ミスは笑えない、笑う余裕もない
一度だけ、登記申請の中で日付のミスがあったことがある。小さなミスだったけれど、クライアントは不安になり、信頼を揺るがせた。その日から、僕は余計に慎重になり、慎重すぎて言葉も表情も硬くなっていった。笑ってごまかすような余裕はなくなり、結果、余計に「不自然な笑顔」になっていたのかもしれない。笑えないって、こういうことを言うんだと痛感した。
クライアントの前では「平静」が求められる
感情を表に出さず、常に冷静であること。それが信頼につながると信じてきた。確かに、不安そうにしている司法書士より、どっしり構えている人のほうが頼りになる。けれど、冷静さと無表情は違う。僕はいつしか、後者に偏りすぎていたのだと思う。感情のないロボットみたいな接客。クライアントから見たら、それは「怖い」とか「距離を感じる」とか、そういう印象につながっていたのかもしれない。
仕事と感情の距離が開きすぎていた
気づけば、自分の感情がどこにあるのか分からなくなっていた。感情を押し殺して、仕事だけに集中してきた結果、笑顔すらぎこちなくなる始末。これでは本末転倒だ。クライアントとの距離感もつかめなくなり、話しかけづらい雰囲気をまとってしまっていた。気づいた頃には、もう随分と自分を遠くに置いてきてしまったように感じた。
気づけば表情が貼りついた仮面みたいだった
ある日、ふと鏡を見たとき、自分の顔がものすごく無表情だったことに驚いた。疲れていたのか、ただの老け顔だったのかもしれない。でも、それ以上に、「これが他人から見た自分か」と思った瞬間、ぞっとした。あまりにも他人行儀な自分。仮面をかぶっているような感覚に陥った。笑っても目が笑っていない、と言われたことを思い出し、その意味がようやく腑に落ちた。
自分を守るために無意識に笑っていたのかも
笑顔は武器でもあり、盾でもある。けれど、それが無意識のうちに「隠れ蓑」になっていたのだとしたら、それは本物の笑顔じゃない。疲れをごまかすため、弱さを見せないため、無意識に作った笑顔。それが、誰にも届かなかったのなら、むしろ逆効果だったのかもしれない。もう少し、自分に正直になってもよかったのかもしれない。
だけどそれが「不自然」と言われたらもう逃げ場がない
がんばってるつもりでも、評価は相手が決めるもの。自分が「きちんと対応できている」と思っていても、「不自然」と言われてしまえば、それまでだ。特に笑顔なんて、正解があるわけじゃないから難しい。だからこそ、その一言に救いようのない絶望を感じた。何をどうすれば正解なのか、もう分からない。逃げ場がないとは、こういう感情のことを言うのだろう。
笑顔が不自然な人間に人は相談しない?
司法書士という仕事は「信頼」がすべて。書類の正確さはもちろんだが、最終的には人間性がものを言う。そう考えると、「不自然な笑顔」は致命的なのかもしれない。信頼できない人に、大事な相続や登記を任せたいと思うだろうか。そう思うと、自分のことながら「このままではいけない」と焦る気持ちが湧いてきた。
信頼って、表情にもにじみ出るものらしい
人は、言葉よりも表情やしぐさで相手を判断する。どんなに丁寧な言葉を使っても、表情がぎこちなければ、安心は得られない。信頼って、そういう「にじみ出るもの」で成り立っているのだと痛感する。だからといって、笑顔の練習をしてどうにかなるものでもない。根本的に、自分の中にある不安や疲れを取り除かなければ、笑顔の質も変わらないのかもしれない。
それでも自分を責めすぎないようにしたい
誰だって、ずっと自然な笑顔でいられるわけじゃない。疲れた日には、表情が硬くなるのは当たり前だ。だから、「不自然」と言われたからといって、自分を否定しすぎてはいけない。むしろ、その一言に気づけたことがありがたいのかもしれない。これを機に、自分の心の状態にも目を向けていくべきなのだと思う。
機械的な対応が必要な時期だってある
繁忙期なんかは、笑顔どころか、顔を上げるのも億劫な日が続く。そういうときに自然な対応なんて求められても無理な話だ。そんな時期は、ある程度割り切って「機械のように」処理していくのも一つの手段だと思う。ずっと笑顔でいようとするのは無理がある。そういう現実を、もっと認めてもいい。
人間らしさを取り戻すにはどうしたらいいのか
司法書士という職業に「人間味」を取り戻すのは簡単ではない。制度や書類に囲まれた日々の中で、どこか感情を置き去りにしてしまいがちだ。だけど、少しずつでも、自分の感情と向き合う時間を作っていくことが大切なのかもしれない。笑顔を取り戻すためには、まず「笑わなくてもいい時間」を自分に許してあげるところから始めるのがいい。
疲れた日は、無理に笑わなくてもいいのかもしれない
誰だって、疲れているときはある。だから、笑顔が不自然になってしまう日もあって当然だ。そんなときは、無理に笑おうとせず、淡々と過ごすのもいい。そうすることで、自然と気持ちも整ってくることがある。笑顔は、出そうとして出すものじゃない。あふれてくるものだ。
優しさを持ちつつ、無理しない距離感で
笑顔が出ない日も、態度に優しさをにじませることはできる。言葉遣いや声のトーン、丁寧な所作。それだけでも、相手は「この人は信頼できる」と感じてくれる。無理に笑わなくても、伝わるものはある。だからこそ、自分の体調や気持ちに正直でいてもいいのだと思う。
それでも人と関わり続ける司法書士という仕事
人間関係を避けられない仕事。それが司法書士だ。だからこそ、表情も言葉も、相手に与える印象が大切になってくる。でも、それに縛られすぎても、自分が壊れてしまう。バランスを取りながら、自分らしさを失わずにやっていくこと。それが、この仕事を続けていくうえでのコツなのかもしれない。