本音を言えば、もう限界だった

本音を言えば、もう限界だった

本音を言えば、もう限界だった――そう感じた日のこと

「限界」って言葉、簡単に使いたくなかった。でもある朝、本当に動けなくなった。司法書士として日々の仕事に追われ、誰かに頼られることに応えようと必死だったけれど、気づけば自分がすり減っていた。なんとか笑顔でこなしていたけれど、それは「ちゃんとしなきゃ」という呪いに近かったのかもしれない。もう少しだけ休ませてほしい、と心の中でつぶやいたあの日を、今でも忘れられない。

朝、布団から出られなかった理由

その朝、アラームは何度も鳴った。でも体がまるで動かない。頭の中では「今日の登記の締切、午前中に確認しなきゃ」と焦るのに、体が布団に縫い付けられたように沈んでいく。スマホを手に取ることすら億劫で、「ああ、やっぱり限界だったんだ」と、ぽつんと独り言を漏らした。疲労だけじゃない、心も完全に摩耗していた。そんな自分が情けなくて、悔しくて、涙が滲んだ。

スマホの通知に怯える毎日

普段からスマホが鳴るたびにビクッとするようになっていた。クライアントからの急ぎの連絡か、役所からの修正依頼か。通知音は、もはや爆弾の導火線みたいに感じるようになっていた。休日でも通知を切る勇気はなく、「出ないとまずい」という不安が常に付きまとう。身体は休んでいても心は休まらず、どんどん気力が削られていく。便利さの裏にあるプレッシャーは、意外と誰にも理解されない。

「今日もまたか」と呟いた朝

目覚めて最初に出た言葉が「今日もまたか」だった日、もうこれは危ないなと思った。前は「よし、やるか」と思えていた仕事が、今ではただただ「こなすだけ」になっていた。通勤といっても自宅兼事務所だから移動時間はゼロ。でもそのぶん、気持ちの切り替えができない。仕事に対する期待も喜びも薄れていく。これが“限界”の始まりだったのかもしれない。

自分の感情を隠すことに疲れていた

「先生、いつもお元気ですね」なんて言われるたび、心の中で「いや、全然元気じゃないよ」と叫んでいた。クライアントの前では常に冷静沈着、相談者の前では穏やかに。そうやって何年も「役割」を演じ続けてきた。でも本当は、不安でいっぱいだったし、弱音も吐きたかった。だけど司法書士って、そういうの出しちゃいけない空気がある。不器用にでも笑ってごまかす毎日は、想像以上にしんどい。

「先生は強いですね」に返す言葉が見つからない

ある日、依頼者の方に「先生はメンタル強いですね」と言われた。あの時、どう返したか覚えていない。でも内心は「そんなことないのに…」と苦しくなった。強いわけじゃなく、弱いところを見せられないだけ。独立してやっていく以上、誰かに頼ることが恥ずかしい気がしていた。だけど、強がることが習慣になってしまうと、自分でも本音がわからなくなることがある。

優しさが仇になる瞬間

事務員さんやお客様に「無理しなくていいですよ」と言いながら、自分にはその言葉を一切かけてこなかった。どこかで「自分は我慢して当然」と思い込んでいたのかもしれない。優しさがあるぶん、周囲に気を使いすぎて、自分を後回しにする癖がついてしまっていた。そして気づけば、誰にも助けを求められない人間になっていた。自分を大事にするって、実は一番難しい。

誰にも言えない「限界」という本音

限界なんて言ったら、負けな気がした。でも、本音を言えばもう何度も折れそうだった。誰かに相談したくても、「忙しいのは皆同じだよ」と返されるのがオチで、それが怖くて黙っていた。だからせめてここでは、自分に正直になりたい。司法書士だって人間だ。弱音を吐いたっていい。そう思えるようになったのは、ようやく最近のことだ。

事務所のドアを閉めたあとにこぼれる溜息

一日が終わって、最後に電気を消す瞬間、誰にも見られない場所でようやく「疲れた」と声に出せる。たった一人の事務所。ドアの向こうは真っ暗な夜。誰もいない空間に、自分の孤独だけが響く。こんな日は、ふと「何のために頑張ってるんだろう」と思ってしまう。依頼人のため? 生活のため? 誰かに褒めてもらいたいわけでもなく、ただ、責任だけが残っている。

一人の時間が怖い理由

仕事が終わって自由になるはずの夜。一人の時間は、本来なら癒しのはずなのに、なぜか怖くなることがある。考えなくていいことまで頭に浮かんできて、自分を責めてしまう。「あの対応、間違ってたかも」「ちゃんと伝わったかな」そんな反省が止まらず、眠れない夜もある。誰にも頼れない孤独は、静かに体を蝕む。

誰かと話したくてコンビニに寄る夜

仕事帰りに寄るコンビニ、何も買う必要なんてなかったのに、レジで少しでも誰かと話せたら、と思って立ち寄ることがある。店員さんの「ありがとうございました」が、なぜか妙に沁みる夜もある。誰かとつながっていたい、そんな小さな欲求が、日々の中で積み重なっていく。司法書士って、思っている以上に孤独な仕事かもしれない。

「辞めたい」と思った瞬間の数

「辞めたい」と思ったこと、数え切れない。登記がうまく通らなかった日。クレームを受けた日。報酬よりもストレスの方が大きく感じた日。どれもが「もう無理だ」と感じるには十分だった。でも、それでも続けてこれたのは、不思議なもんで「自分にはこれしかない」と思い込んでいたからかもしれない。気づけば、他の道が見えなくなっていた。

登記の締切と心の限界

登記には期限がある。だからこそ、どんなに体調が悪くても、心が疲れていても、やらなきゃいけない。「少しくらい遅れても…」なんて思っても、信頼を失えば終わりだと自分を叱咤する。そんな日々が続けば、当然限界は来る。でも、それを誰かに言うわけにもいかず、また黙って抱え込んでしまう。真面目すぎる性格が、時に自分の首を締める。

孤独に耐える力にも限界がある

独身で、家に帰っても誰もいない。愚痴を言う相手もいなければ、温かい言葉をかけてくれる人もいない。最初は平気だったが、年を重ねるごとにその重みが増してきた。誰かと共有できる時間のありがたさに気づいたときには、もうずっと一人だった。孤独に慣れたつもりでも、やっぱり限界はある。人は、やっぱり一人では生きていけない。

それでも続けている理由

限界だと思ったことは何度もあった。それでも続けているのは、やっぱり「誰かのためになれた」と感じる瞬間があるからだ。たとえ一日一回でも、「ありがとう」と言ってもらえたら、それだけでまた少し踏ん張れる。司法書士という仕事は、決して華やかではない。でも、人の人生に深く関われる、誇れる仕事でもある。

誰かの「助かったよ」に救われる

忘れられないのは、ある高齢の依頼者の言葉。「本当に助かったよ、先生がいてくれてよかった」と言われたとき、泣きそうになった。自分の存在が誰かの役に立てたんだと実感した瞬間だった。その一言が、また明日も頑張ってみようと思わせてくれる。自分を救うのは、結局、人とのつながりなんだと改めて思う。

電話越しの「ありがとう」が胸に刺さる

メールでもチャットでもなく、電話で直接「ありがとう」と言われると、なぜかそれだけで一日の疲れが溶けていく気がする。言葉の重みって、やっぱり声にのせて初めて伝わるのかもしれない。短い会話の中にも、その人の感謝や安心が滲んでいて、それに触れるたび、自分も少しだけ前を向ける。

事務員さんの一言が支えになっていた

長く一緒にやっている事務員さんが、ふとしたときに言ってくれた。「先生、疲れてます?無理しないでくださいね」。その一言がどれだけ心に沁みたか。普段は無口で真面目な彼女の、そんな小さな優しさが支えになっていた。誰かが気にかけてくれる。それだけで、もう少し頑張ってみようと思える。

同じように悩む誰かの力になれたら

今、こうして文章にしているのも、誰かに共感してもらいたいからかもしれない。もしこれを読んで、「自分だけじゃないんだ」と思ってくれる人がいたら、それだけで意味がある。この仕事は孤独だけど、きっと全国のどこかで同じように踏ん張っている人がいる。限界を感じても、誰かと想いがつながれば、きっとまた歩き出せる。

「限界だった」から伝えられること

限界を知った人間にしか語れないことがあると思う。弱さを知っているからこそ、誰かの苦しさにも寄り添える。だからこそ、この経験も、無駄じゃなかったと信じたい。「もう無理だ」と感じる日があっても、それは逃げではなく、心のSOSだ。自分に正直であること、それが何より大事だ。

次の一歩が怖くないように

正直に「もう限界だった」と認めたことで、少しだけ楽になれた。誰かの期待に応えることより、自分の心を守ることが最優先だと気づいたから。これからもきっと、つらい日はある。でも今なら、少しだけ心に余裕を持てる気がする。次に限界が来たときは、ちゃんと休もう。そう思えるようになっただけで、前に進めた気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。