朱肉に沈んだ記憶

朱肉に沈んだ記憶

依頼人は口を閉ざした

開かれた封筒と一枚の申請書

机の上に置かれた封筒には、見慣れた不動産登記の申請書が入っていた。差出人は市内のとある高齢女性。だが、何かが引っかかる。封筒の糊付けが甘い。わざと開けやすくしてあったようにも見えた。

紙面に残る赤い跡

申請書の右下、委任状の欄に目をやると、微かににじんだ赤いハンコの跡。正しく捺された印影の右側に、わずかにずれたもう一つの朱色が重なっていた。「二度捺しか……?」

登記申請と不自然な日付

古びた印鑑証明の謎

添付されていた印鑑証明は有効期限内だが、発行日は3年前。明らかに過去の書類を使っている。しかも、それにしては保存状態が良すぎる。普通なら紙がもっと黄ばむはずだ。

相続登記に潜む矛盾

申請書に書かれた死亡日が、戸籍謄本の記載と一日ずれていた。わずか一日の違いが命取りになる。申請人はなぜそのまま提出してきたのか。これはただのミスではない――何かを隠している?

サトウさんの沈黙が破られる

捺印の筆跡が示す違和感

サトウさんが何も言わずに赤ペンを走らせる。「これ、重ね捺しされてますね。朱肉の濃度が違う。」そう言って拡大鏡を取り出し、印影をじっと睨みつけた。「それに……文字の枠線が潰れてます。」

「これ、重ね捺しされてますね」

彼女の指摘に背筋が凍る。印鑑は同じでも、朱肉の乾き方が違う。それは、誰かが後から偽装した証拠だった。やれやれ、、、また厄介なことに巻き込まれた気がする。

やれやれ、、、朱肉の匂いはもう嗅ぎたくない

昔の事件と今の書類

ふと10年前の事件を思い出す。同じように印鑑を使って不動産を勝手に処分された事案。そのときも朱肉のにおいが鼻について、何日も食欲がなかった。まるでトラウマの再来だ。

昭和の印影が令和に語る

印鑑自体は昭和のものだ。だが、今回の事件では新しい捺印がその上に乗っている。つまり、古い印鑑を誰かが再利用した可能性が高い。問題は、誰が、そして何のために。

不動産の所有者は誰なのか

名義人の死亡時期に注目

登記名義人の死亡日は令和4年。だが、提出された戸籍には「令和3年12月31日死亡」とある。一年の開きは致命的だ。というより、書類のどれかが偽造されている可能性が濃厚だ。

二通の戸籍が示す食い違い

再度取り寄せた戸籍には、正確な死亡日は令和4年1月2日と記載されていた。つまり、提出された戸籍は古いものであり、かつ意図的に削除されたページがあるように見えた。

真犯人は誰が何を偽装したのか

印鑑の持ち主は生きている?

印鑑証明の登録は抹消されていなかった。つまり、持ち主が死亡しているならば、何らかの手続きミスか、あるいは故意の見逃しがある。さらに調べると、印鑑を使っていたのは第三者だった。

隠された委任状の存在

もう一枚の委任状が、申請書の下敷きから出てきた。日付が一週間前であり、しかも筆跡がまったく異なる。これは同一人物の捺印を複数の文書に使っていた証拠であり、まさに偽装そのものだ。

真実は机の引き出しにあった

誤記ではなく偽装だった

机の奥から出てきたのは、依頼人が提出しなかった「本物の戸籍」。そこには、死亡日の訂正印が押されていた。つまり、依頼人は不利な内容を知っていながら、古い書類で申請したのだ。

捺印の順番が語る真実

サトウさんがぼそりと呟いた。「順番、おかしいですよね。下の紙の方が先に押されてます。」つまり、二枚の書類を重ねて一度に押印したが、後から順番を変えて組み合わせた可能性がある。

サトウさんの淡々とした一言

「こういうの、昔読んだ漫画にありました」

「サザエさんの波平さんが、ハンコで勝手に契約されて怒る回、知ってますか?」そう言ってサトウさんは淡々と処理を続ける。皮肉と現実が混ざり合ったその空気に、シンドウはため息をついた。

シンドウのうっかりが功を奏す

つい印鑑を押し間違えたときのコピーを取っていた。それが、逆に「真の順序」を証明する鍵になった。結果的にそれが、事件解決への一手となった。「うっかりも、たまには役に立つか……」

警察と法務局への報告

通報か職権かの狭間で

刑事事件か、登記の職権抹消か。司法書士としては判断が難しい場面だ。だが今回は、偽造の証拠が明確であり、法務局に通報するしかなかった。あとは彼らの出番だ。

法の外にいた不動産業者

背後には、地元の不動産業者がいた。登記の空白期間を利用し、所有権を移そうとしていたようだ。だが、今回のような印鑑のトリックまでは想定していなかったようだ。

朱に染んだ記憶を洗い流して

シンドウの帰り道と独り言

事務所の灯りを落とし、夜道を一人歩く。蝉の声が耳にまとわりつき、朱肉の匂いが鼻に残る。「また印鑑か、、、もうやだよ」と思わず口にしていた。

「また印鑑か、、、もうやだよ」

帰宅途中、コンビニのガラスに映る自分の顔を見て苦笑いする。「やれやれ、、、司法書士ってのは、朱肉の海で泳いで生きてるようなもんだな」シンドウはそうつぶやいて、明かりのない自宅へと帰っていった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓