ふと振り返ったあの日の一言
最近、何気ないやり取りの中で、ふと昔の出来事を思い出した。あの時、事務員の彼女が少しだけ困った顔をしたのを、僕は見過ごしてしまったのかもしれない。いや、見ていたのに、見なかったことにしたんだろう。自分の仕事のことで頭がいっぱいだったから。「そんなの当たり前でしょ」っていう、つい口から出てしまった一言が、彼女の心をどれだけ冷やしたか、今になって思い知らされている。
忙しさに紛れていた無意識の態度
毎日、登記の書類、電話対応、役所回り…慌ただしい日々が続く中で、自分の態度がどうだったかなんて省みる余裕もなかった。いや、正確に言えば「余裕がない」という言い訳で、気遣いを放棄していた。たとえば、彼女が何か確認したいことがあって声をかけてきたとき、「今、それどころじゃない」と返したことが何度もある。別に怒鳴ったわけじゃない。でも、その一言が毎日積もれば、だんだんと無言の圧力になる。
「そんなの当たり前だろ」と言ってしまった自分
あの日の会話はよく覚えている。簡単な不動産登記の住所表記を間違えた彼女に対して、僕は「こんなの基本中の基本だろ」と言ってしまった。確かに内容としてはそうかもしれない。けれど、初めての作業だったことも、前日に僕が説明を省いたことも、あとから思えば要因だった。冷静に話せばよかったのに、その時の僕は、「またやり直しか…」という苛立ちでいっぱいだった。自分の都合で怒りの感情をぶつけただけだった。
本当はただ余裕がなかっただけなのに
怒っていたように見えたかもしれないが、実際は焦っていた。仕事が立て込み、納期が迫っていたこともあり、自分の中にある「ミスをしたくない」というプレッシャーに押し潰されそうになっていた。それをそのままぶつけた結果、彼女に「怒られた」「責められた」と思わせてしまった。僕は「ただ忙しかっただけ」と思っていたが、相手にとってはそうではなかった。優しさって、結局“相手の受け取り方”で決まるのだと思い知らされた。
気づいた時には関係が変わっていた
しばらくして、彼女の表情に違和感を覚えるようになった。目を合わせなくなり、報告も簡潔になっていった。「あれ?」とは思ったが、そのときは深く考えなかった。今思えば、あれは警告だったのだと思う。僕の態度に、少しずつ距離をとるようになったのだろう。それでも僕は、まだ「忙しいから仕方ない」と自分を正当化していた。今ならわかる。忙しいときこそ、優しさを忘れてはいけなかったのだと。
事務員の表情が少しずつ変わっていった
ある日、彼女が提出した書類に小さなミスがあった。以前ならその場で相談してくれていたのに、そのときは何も言わず、提出後にこっそり訂正しようとしていた。それを見た瞬間、「あ、信頼が薄れてるな」と気づいた。僕は彼女に「なんで相談しなかったの?」と聞いたが、「忙しそうだったので…」と静かに返されて、言葉を失った。彼女の目は、以前のように輝いていなかった。
信頼よりも緊張感が先に立つ空気
職場に必要なのは、ピリピリした緊張感じゃない。一定の張り詰めた空気は仕事に集中するためには必要かもしれないが、それが常態化してしまうと、人は息が詰まってしまう。信頼関係のうえにこそ、業務の正確さも効率も成り立つ。けれど、僕の言動は、彼女にとって「怒られないように動く」ことを優先させてしまったのだと思う。それは、チームとしては最悪の状態だった。
優しさとは何かを考えさせられた瞬間
何気ない一言が、後々まで尾を引くことがある。僕は「そんなつもりじゃなかった」で済ませてきたけれど、相手にとってはその一言で、その日の気分も仕事への向き合い方も変わってしまうことがある。優しさって、意識していないとすぐに手放してしまうものだ。ふとした会話の中で、相手がどんな気持ちでそれを聞いているのか、そこにまで思いを馳せること。それが、僕にとっての今の課題かもしれない。
叱ることと怒ることの違いを忘れていた
「これは違う」と伝えることは大切だ。でも、「なんでこんなこともできないの?」という態度で接すれば、それは怒りでしかない。僕は叱るつもりでいたのかもしれないが、実際は怒っていたのだと思う。自分のストレスをぶつけるだけの、ただの感情のはけ口。そうなると、相手には何も残らない。ただ、自己肯定感が傷つくだけだ。教えることと怒ることはまったく違う。その基本を、僕はすっかり忘れていた。
伝えるべきことが伝わらない苦しさ
自分の中では「こうしてほしい」という意図があった。でも、その言い方がきつくなると、受け手は委縮してしまい、真意が伝わらない。言葉の選び方ひとつで、相手の受け取り方は180度変わる。特に職場では、関係性が変わるとコミュニケーションの質にも影響が出る。指摘しても伝わらないことが増えてきて、「なんでわかってくれないんだ」とまた苛立ち…。でも、結局は僕の伝え方に問題があったんだと、今は思う。
自分の言葉で人を追い詰めていなかったか
ある日、彼女がぽつりと「すみません、私には向いてないかもしれません」とつぶやいた。衝撃だった。ああ、ここまで追い詰めていたんだ、と。それは彼女の問題じゃない。僕のせいだ。もっと言葉を選んでいれば、もっと余裕を持って接していれば、そんな言葉を言わせることはなかったかもしれない。仕事ができる・できない以前に、人として、相手を追い込むような言い方をしてしまった自分を深く反省した。