恋人と会う時間って言葉が消えて久しい
気づけば、もう何年も「恋人と会う時間」なんて言葉を口にしていない。いや、そもそも手帳にもスマホのカレンダーにも、そんな予定を書いた覚えがない。自分の人生から、恋愛という感情がどこかへフェードアウトしていったような感覚だ。昔は金曜の夜になるとそわそわして、週末のデートを楽しみにしていたはずなのに、今は「完了済」マークが並ぶToDoリストが恋人のような存在になってしまっている。
ふと気づいた孤独なフレーズ
ふとした瞬間に、「あれ、最後に『恋人と会う時間』なんて言葉を使ったのはいつだろう」と思った。仕事の帰り道、ラジオから流れるラブソングに不意を突かれた。恋愛ドラマを見るたびに、なんとも言えない空虚さを感じるようになった。まるで自分とはもう無縁の世界の話を見ているような気分になるのだ。気づけば、恋人と呼べる存在も、恋人と呼んでくれる人も、人生から消えてしまっていた。
予定表には「会議」「相談」「登記」ばかり
Googleカレンダーを見返すと、「会議」「お客様訪問」「抵当権抹消」「遺産分割協議」……そんな予定でびっしり埋め尽くされている。空きがあればそこに「書類整理」や「月末集計」が滑り込む。そこには“人間らしい”ぬくもりはなく、ただ効率と義務のリストだけが並ぶ。そりゃ、恋人との時間なんて入る余地があるわけがない。
「恋人と会う時間」って書いた記憶がもうない
手帳を見返してみても、「恋人と会う」なんてメモを書いたのはいつだったか思い出せない。正確に言えば、「付き合っていた人」すらいたかどうか、あやふやになってくるレベルだ。仕事を理由に誘いを断り続け、気づけば相手も諦めたように去っていった。あの時、もう少し時間を作れていれば、今ごろは違ったのかもしれない。だけどその“もしも”は、もうカレンダーのどこにも載っていない。
恋愛よりも「期限」の方が大事になる現実
司法書士という仕事は、常に期限との戦いだ。登記申請には法的な期限があり、遺産分割には相続税の申告期限がある。恋人の誕生日を忘れても誰も死にはしないが、登記の期限を過ぎれば信用問題に直結する。だからこそ、いつからか優先順位が逆転していった。「恋人との時間よりも申請期限」──そんなの、聞こえは悪いけど事実だ。
毎月やってくる法務局への申請期限
法務局に提出する書類は、遅れればお客様に迷惑をかけてしまう。しかも、どれも急ぎの案件ばかりだ。依頼者の方だって切羽詰まって連絡してくるのだから、こちらも全力で対応するのが当然だ。そうやって月末に向けて走り続けているうちに、気づけば土日も資料作りに費やしていた。恋人と映画?旅行?冗談じゃない。スーツ姿のままコンビニ弁当を食べてるほうが、よっぽど現実的だった。
恋心より焦るのは顧客の問い合わせ返信
スマホに届くLINE通知が恋人からではなく、「先日の登記の進捗ですが…」というお客様からの連絡だというのが、今の私の日常だ。返信を後回しにすれば信頼を失う。だからすぐ返す。結果として、恋人候補に既読スルーしたこともあった。そういう一つ一つの積み重ねが、たぶん自分の「恋愛力」を奪っていったのだと思う。
恋をする余裕はどこへ消えたのか
恋をしたくなかったわけじゃない。ただ、日々の業務に追われるなかで、恋愛は「贅沢品」みたいなものに感じるようになってしまった。誰かとちゃんと向き合うには、心の余裕と、時間と、多少の冒険心が必要だ。だけど、そのすべてが日常業務に吸い込まれていった。気づけば「余白」なんて言葉がスケジュールに存在しなくなっていた。
司法書士という仕事が奪っていったもの
この仕事に誇りはある。困っている人の力になれるし、誰かの節目に立ち会える尊い仕事だ。けれど同時に、何かを差し出さないと成り立たない職業でもある。私の場合、それが「恋愛する時間」だったのかもしれない。学生時代、野球部で彼女が応援に来てくれていた頃の記憶が、もう遠い世界のものに感じる。今はただ、依頼を待つだけの日々だ。
ただでさえ人がいないのに仕事は増える
うちの事務所は小規模で、事務員さんが一人。彼女もフル稼働だ。そこに新しい案件がどんどん舞い込む。頼ってもらえるのはありがたい。けれど、手が足りない。ミスは許されない仕事だから、結局は自分が夜遅くまでチェックを続けることになる。そうしてまた、恋人を作る余裕が遠のく。まるで自分が作った沼に、自分で沈んでいくようだ。
土日が休みと限らないこの業界の現実
「土日なら会えるよ」って、よく言われた。でもこっちは土日に面談が入ることも多い。特に平日に休めない依頼者からの相談は、週末に集中する。そういう現場の実情を説明しても、「本当に忙しいの?」と疑われたりもする。疑われるくらいなら、最初から会わない方が楽。そんな風に考えてしまう自分に、恋愛の資格なんてあるのかとさえ思ってしまう。
恋人と過ごす時間がもたらす効能を忘れていた
そんな生活を続けていると、だんだん「恋人といる時間」がどれだけ意味のあるものだったかを忘れていく。癒しとか、安心感とか、そういう感情に触れることすらなくなる。けれど、ふとした瞬間に思い出す。誰かに手を引かれて、肩の力がふっと抜けるような夜があったことを。あの時間をもう一度過ごせたら、今の自分はもう少しやわらかい表情をしていたかもしれない。
あったかもしれない「癒し」や「笑顔」
仕事に疲れて帰った夜、食卓に並ぶ手料理。無言でもそばにいてくれる人。そういう存在がいれば、たぶん今より少しだけ、心に余裕が持てていた気がする。だけど、そんな関係を築くには、時間と気持ちの投資が必要だ。そしてそれは、忙しいふりをして逃げてきた自分には手の届かない世界だった。
話すだけで救われる夜があったかもしれない
一日の終わりに、「今日はどうだった?」と聞いてくれる相手がいるだけで、人間って救われる。愚痴を言える相手がいるだけで、明日を乗り越える力がわいてくる。今の私は、モニターに向かってぼやくだけの日々。それでもこうして文章にすることで、少しだけ心が軽くなるのかもしれない。
帰る場所があるって、どれだけ支えになるか
誰かが待っていてくれる。それがどれだけ力になるか、昔はわかっていなかった。帰る場所があるという実感があれば、多少の無理も乗り越えられる。今は、電気をつけても誰もいない部屋に帰るだけ。けれど、だからこそ支え合う関係の大切さを、強く実感している。
でも自分で選んだこの道
この生活を否定するつもりはない。自分で選んだ道だし、それなりに誇りもある。ただ、選ばなかった道のことを思い出す夜もある。恋人と会う時間、それはきっと“選ぼうと思えば選べた”時間だったんだ。だけどそのとき、自分は仕事を選んだ。それだけのことなんだと思う。
恋愛を捨てたんじゃない 忘れていたんだ
恋を諦めたわけじゃない。恋愛をする余裕なんてないと言い聞かせて、無意識に遠ざけていた。ただ、忘れていただけだ。恋人と会う時間が、どれだけ心を支えてくれるかを。だからこの記事を書きながら、少しだけ心がざわついている。まだ間に合うだろうか──そんなことを思いながら。
多忙の中で感情を後回しにしてきただけ
司法書士の仕事はミスが許されない。だからどうしても、心の余裕よりも正確さが優先される。感情は後回し、気持ちは後回し。そうやっているうちに、恋愛感情もどこかに置き去りにしてしまった。けれど、置き去りにした感情は、ふとしたときに戻ってくる。それが人間というものだと思う。
働くことに真剣だったからこその結果
若いころ、資格を取って事務所を構えて、失敗できないと必死だった。その姿勢は間違っていなかったと思う。だけど、真剣になりすぎて、人生のバランスを崩していたのかもしれない。もしもう一度やり直せるなら、恋人と会う時間を“業務予定”として手帳に書く。今は、そんな気持ちになっている。
それでも誰かに「ありがとう」と言われたい
恋人ではなくても、誰かの役に立てている実感はある。依頼者の「助かりました」という一言に、どれだけ救われたか。だから私は、まだこの仕事を続けていける。たとえ「恋人と会う時間」がカレンダーになくても、それとは別の形で人とつながる時間がある。それを忘れずにいたいと思う。
司法書士として人の人生を支えている実感
誰かの不安を解消したり、人生の転機に関われるこの仕事は、間違いなく人と人をつなぐものだ。恋愛とは違うかもしれない。でも、誰かの役に立っているという実感は、心にあたたかさをくれる。今の私は、そういう関係の中でしか癒されないのかもしれないけど、それでも悪くはないと思えている。
恋愛ではない形で誰かとつながる時間もある
友人との電話、事務員さんとの雑談、依頼者とのやりとり。そういった一つひとつが、私の今の「つながり」だ。恋人ではないけれど、それでも“誰かと関わる時間”があるなら、まだ大丈夫だと思える。もう一度、恋人と会う時間が戻ってくる日があるのなら、その時はもっと大事にしたい。