鏡に映る自分が誰か分からなくなる朝

鏡に映る自分が誰か分からなくなる朝

司法書士という肩書の向こう側

司法書士って、まわりから見ると「しっかりしてる人」「几帳面な人」なんて思われがちなんです。でも実際のところ、そうでもない。少なくとも、私は違う。45歳、地方で一人事務所をやってて、事務員さんひとり。お客さんに説明してる時はそれっぽく見せてますけど、内心では「あの書類、間違ってなかったか…」と毎日ドキドキしてる。肩書が勝手に作るイメージと、自分の内側とのギャップに、いつも引き裂かれそうになります。

スーツを着ているだけで「しっかり者」と思われる

スーツ着て名刺出して「司法書士です」って言えば、たいていの人は「すごいですね」って言ってくれます。でもね、スーツ脱いで鏡の前に立てば、ただの疲れたおっさんなんですよ。寝癖ついたまま書類に押印してた朝なんて、自分でも笑っちゃう。何が「しっかり者」かって。スーツを着てるだけで中身まで整ってると思われるの、こっちはつらいよ。気が抜けなくなるから、結局、ずっと気を張ってる。

でも中身はいつも焦ってる

例えば月末、登記が集中してる時期。依頼者から電話、役所からの問い合わせ、事務員からの確認…頭がフル回転。でも「冷静に対応するのがプロでしょ?」って顔をしてる。本音は「ちょっと黙ってくれ」なんだけどね。焦っても、それを顔に出せないのが司法書士。仕事が終わった夜、鏡の前で「今日も無事バレなかったな」って自分に言うのが日課になってる。

周囲の期待と現実のギャップ

友人や親戚からも、「お前は資格持ってるから安泰だな」なんて言われるけど、何も知らないんだろうなって思う。実際は、お金の心配もあるし、精神的にしんどいことも多い。登記ミスひとつで信用を失う世界。ギリギリのところで踏ん張ってるのに、「安心してるでしょ?」みたいな目で見られるのが、一番つらい。だからつい、鏡に向かってつぶやく。「誰が安泰だよ」ってね。

「先生」と呼ばれることの重みと空虚さ

「先生、お願いします」「先生、頼りにしてます」…そんな風に言われると、正直、悪い気はしない。でも、裏では「こんな先生で大丈夫か?」って自分を責めてる。呼ばれ方と自分の実態が噛み合わない。プレッシャーだけが増えていって、心の中は空っぽになっていくような感覚に襲われることがある。先生って、そんなに立派じゃないんですよ。

自分を律する鎧にもなるけれど

「先生」と呼ばれることが、自分を保つための装備になる時もある。弱音を吐かずにいられるのは、そのおかげかもしれない。けれど、それって一種の仮面でもあるんです。家に帰って、誰も見てない場所でスーツを脱いだ瞬間、急に疲れが押し寄せてくる。仮面を外せる場所がないのは、本当にしんどい。

鎧の下でくたびれている自分がいる

「先生らしく」あろうとすればするほど、本当の自分が擦り減っていく。元気そうにふるまっても、鏡の前で見える顔は、どう見てもくたびれてる。肌のハリも目の輝きも、年々失われていく感じがする。仕事に誇りはあるけど、「人間としての余白」がどんどん削れていってる気がするんです。

朝の洗面所で気づくこと

毎朝、顔を洗って髭を剃って、鏡を見る。でも、最近ふと思う。「この人、誰だっけ?」って。昨日の疲れを引きずっている目、無精髭、少し曲がったネクタイ。これが司法書士?これが“私”?そう思うと、ふと我に返ってしまう。まるで他人を見てるみたいに。洗面所って、一日の始まりなのに、心がずしんと重たくなる場所でもあるんです。

鏡の中の自分にびっくりする瞬間

先日、特に忙しかった週の金曜日。朝起きて、顔を洗おうとして鏡を見た瞬間、「誰これ?」って声が出そうになった。目の下には深いクマ、頬も少しこけていて、自分なのに自分じゃない。まるで“疲れのかたまり”が人の形をしているようだった。これが、誰かの大事な登記を任される人間の顔か?って思ったら、ちょっと情けなくなってしまった。

目の下のクマとどこか他人顔

クマって、疲れの象徴みたいなものでしょう。睡眠時間が短い日が続くと、目の周りが真っ黒になる。おまけに肌も荒れてるし、どこか表情もこわばってる。そんな自分を見ると、「もっとちゃんとしなきゃ」と思う一方で、「もう無理だよ」って気持ちも湧いてくる。まるで他人の顔を見てるみたいに、自分と距離ができていくんです。

「昨日の疲れが今日に残る」日常

昔は一晩寝れば回復してた。野球部時代なんて、どれだけ走っても翌日は普通に練習できた。でも今は違う。昨日の疲れが、今日の朝もベッタリ張りついてくる。鏡を見るたび、それがはっきりわかる。年齢だけじゃない、心の疲れも身体に出るようになったのかもしれない。これが司法書士のリアルなんです。

一人事務所のリアルな孤独

地方の一人事務所って、思ったより孤独です。事務員さんがいてくれて本当に助かるけど、やっぱり相談できないことも多い。しかも責任の所在が全部自分。誰かに「ここどう思う?」って聞ける相手がいないって、こんなにもしんどいものかと思います。誰かと対話しているようで、実際はずっと自分とだけ会話してる日々なんですよ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。