それ司法書士の仕事ですか?

それ司法書士の仕事ですか?

「ちょっと聞いていいですか?」の罠

何気ない日常に潜んでいる「罠」って、実はこういうところにあるんですよね。コンビニでおにぎりを手に取った瞬間、後ろから「あっ先生、今いいですか?」と声をかけられる。まさかの相談スタート。こっちは仕事モードじゃないのに、急に脳みそを切り替えなきゃいけない。しかもその内容が、ちょっとした雑談ではなく「相続で揉めてるんだけど…」とか、重たいものだったりする。ありがたいと思わないわけじゃないけど、正直しんどいです。

コンビニで話しかけられる日常

地方の司法書士あるあるだと思いますが、コンビニや病院、果ては温泉施設でも話しかけられることがあります。町の小さな法律家だからこそ、地域の人と顔を合わせる機会も多いし、名前も知られてしまっている。悪いことじゃない、むしろ信頼されている証だとは思う。でも、いつどこで相談が始まるか分からないというのは、常に気が休まらないということでもあります。土日も、休憩中も、何となく気を張ってしまっている自分がいます。

「遺産って兄弟でもらえるんですか?」の破壊力

これは実際にあった話ですが、コンビニのレジに並んでいるときに、「先生、うちの兄が遺産を全部もらおうとしてるんですけど、兄弟って平等にもらえるんですよね?」って言われたことがあります。いやいや、レジ前でそんなテーマ出さないで…と心の中で叫びながら、「あくまで一般論ですけどね」と前置きしつつ説明。5分もない会話で、誤解を解くのって無理があるんです。それでも答えなきゃいけない空気がある。断ると「冷たい人」って思われそうで、つらいんです。

その場では答えられない、でも断りきれない

本来、専門職である以上はきちんとした場で、資料を見ながら、依頼者の背景を聞いたうえで答えるべきです。でも現実は違う。「ちょっと聞きたいだけだから」「時間取らせないから」と言われると、こちらも断りきれない。気がつけば、無料で法律相談を受けてる。しかも、その場では何の記録も残らない。責任も取れない。なのに、もし後でトラブルになったら「先生がこう言ったから」って言われかねない。こんなの、どこまでが仕事でどこからが“サービス”なのか、わからなくなります。

気づけば何でも屋みたいな仕事になっている

司法書士として独立してから、最初のうちは「依頼があるだけありがたい」と思っていました。でもある日、ふと気づいたんです。「これ、司法書士の仕事じゃなくないか?」と。役所に同行を頼まれたり、年金の相談をされたり、果ては親の介護の話まで。依頼者が困っていて、助けたい気持ちはある。でも、いつの間にか“何でも屋”になってるんですよね。それって本当にいいことなのか、わからなくなります。

「役所に聞いたら司法書士にって言われました」

このセリフ、何度聞いたかわかりません。役所や銀行が面倒ごとを司法書士に投げてくる。たとえば、相続届の書き方や家族構成の証明、さらには納骨やお墓の手続きまで。「それは司法書士じゃなくても…」と思いつつも、相手が困ってる姿を見ると無下にできない。でも、そういう案件に時間を取られると、本来の登記や裁判書類作成の仕事が後回しになる。悪循環なんです。

それ、本当に司法書士の管轄ですか?

境界線が曖昧になると、自分の業務の範囲がどこまでか分からなくなります。とくに高齢者の方やご遺族は、何でも「先生に聞けば何とかなる」と思っている節があります。信頼してもらえるのはありがたい。でも、税金の申告や行政手続き、医療関係まで持ち込まれると、さすがに「それは違います」と言いたくなります。…が、言えない。結局、頼られることが悪いような気がしてしまう。優しさと限界の間で揺れています。

親切心が業務を侵食していく瞬間

一度「親切」でやってしまうと、それが“前例”になるんです。「前にお願いしたときもやってくれたじゃないですか」と言われたら、断りにくくなる。しかも口コミで広まって、「あの先生は何でもやってくれる」となれば、どんどん変な依頼が舞い込んでくる。悪意のない期待と、断れない性格が合わさると、本来の仕事の質が下がっていく。それに気づいたとき、自分が何のために司法書士になったのか、わからなくなりました。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。