余白に残る名前

余白に残る名前

謎の契約書が届いた日

それは梅雨のじめじめした午後のことだった。事務所のポストに投げ込まれた分厚い封筒の中には、なぜか他人名義の売買契約書が入っていた。依頼された記録もなければ、差出人も不明。ただ一つ、契約書の隅にうっすらと鉛筆で書かれた「メモのような名前」だけが気になった。

「これ、変じゃないですか?」とサトウさんが言った時、すでに嫌な予感がしていた。書類の山に埋もれていた僕の肩に、さらに重たいものが乗った気がした。

一枚のコピーに違和感

最初は何の変哲もない売買契約書に見えた。印紙も貼ってあり、署名押印もそろっている。だがコピーを取っていると、最終ページだけフォントが微妙に違うことに気がついた。

細かい部分を気にするのは司法書士の職業病かもしれない。でもこの“違和感”を見逃してはいけないと、どこかで直感が叫んでいた。

依頼人の挙動に潜む影

封筒には「至急登記依頼」と雑に書かれたメモが入っていた。電話をかけても「本人は不在」と繰り返すだけ。留守電に残された声は、不自然に抑揚がなく、まるでAIボイスのようだった。

依頼人の素性を探るうちに、過去の登記記録にも同じ名義が複数回登場していることが判明する。しかもそのすべてに、ある不動産会社が関与していた。

売買契約の落とし穴

契約書は一見、正規の様式に見えた。だが「以上」の下、わずかな余白にだけ、妙なスペースがあった。まるで誰かが後で何かを書き足すために空けておいたかのように。

余白の幅は統一されておらず、最後の行だけ行間が空いている。しかもその箇所だけ、コピーでは読みづらい滲みがあった。

文末の空白行

この空白には意味がある。契約書において「以上」で終えるのは定型だが、その直後に書き加えられた文言が、たとえ一文でもあれば、それは内容を一変させる可能性がある。

拡大鏡で確認すると、消された痕跡がうっすらと見えた。「買主に○○を引き渡すこと」と読めなくもない。だが、それが真実かどうかは証拠が足りない。

契印の向きが示すもの

さらに契印の位置も不自然だった。普通はページ中央を貫くように押されるものが、わずかに右にずれていた。まるで誰かが後からページを差し替えたかのように。

「ページが違うってことですか?」とサトウさんが聞く。うなずきながら、僕はコピー機の前に座り直した。

サトウさんの冷静な指摘

「これ、消しゴムで消した跡じゃないですか?」サトウさんがルーペを使って拡大した紙面を指差した。たしかに、インクの下に擦れた繊維が見える。

消したのではなく、コピーの段階で意図的に“薄く写した”という可能性が浮かぶ。つまり、原本にはまだ何かが残されている。

筆跡と時系列のズレ

署名の筆跡を過去の記録と照らし合わせると、1年前の登記と微妙に筆圧が違うことが分かった。人間の筆跡は変わるが、ここまで一貫性がないのは不自然だ。

サザエさんのマスオさんもこんな時は「ええっ、ちょっと待ってよ〜」と叫ぶところだろう。まさか、筆跡偽装までしているとは。

登記簿に映らない所有権

本来あるはずの登記が、地番検索で見つからない。おかしい。これは「存在していない不動産」か、「存在していても登記を避けられた不動産」か。

やれやれ、、、また一つ、面倒な仕事が増えた。書類一枚の中に、こんなに嘘が詰まっているとは。

忘れられた当事者

空白にうっすらと見えた名前は、「アキヤマ」。過去に登記をしたはずの、だがなぜかどの契約書にも現れない人物だった。

調べていくと、彼はすでに亡くなっていることがわかる。しかし死亡の登記はなされておらず、そのまま契約が進められた形跡があった。

第三の署名者の痕跡

コピーに残された微かな筆跡を元に、原本を依頼人に求めると、渋々出された書類の最終ページには、確かに「アキヤマ」の名があった。

しかしそれは鉛筆で薄く書かれたもので、消しゴムでこすったような痕もある。第三の署名者は、最初から消される運命だったのだろうか。

売買代金の奇妙な動き

銀行口座の履歴を確認すると、売買代金は一度「アキヤマ名義」の口座を経由している。その口座はすでに凍結されているはずだった。

どこかにアキヤマの名義を使える人間がいる。そうでなければ、これほど綿密に仕組まれた取引は成立しない。

司法書士シンドウの推理

すべてのピースが揃った。余白に書かれ、消され、再び浮かび上がった「アキヤマ」という名。それが今回の鍵だった。

取引を主導していたのは、依頼人を装っていた不動産業者で、アキヤマの遺族が知らぬ間に名義を悪用されたのだ。

余白に隠された意思

契約書の余白は、アキヤマの遺志だったのかもしれない。彼は自分の死後、この契約に加担してほしくなかった。その一言が、誰かにとっては邪魔だったのだ。

だからこそ消された。そしてその痕跡が、すべてを暴いた。

訂正印が語る真相

最終ページの訂正印。そこには別の事件で使われた印影と同じ形があった。つまり、不動産業者は過去にも同様の手口を使っていたのだ。

法務局に報告し、刑事告発へとつなげる書類を整える。今日は、ただの紙一枚が事件になる日だった。

やれやれ静かじゃいられない午後

「これ、今週三件目ですよ」サトウさんが冷たく言い放つ。コーヒーはすっかり冷めていた。

「やれやれ、、、平和な午後ってのは、存在しないのかね」思わず口をついて出た独り言に、誰も答えなかった。

サトウさんの一言が決め手に

「余白が気になるって、たいてい何かあるんですよ。特に、男が書類で嘘をつくときはね」

そのセリフ、どこかで聞いたような気がする。まるでキャッツアイの瞳のように、見透かされた気分だった。

浮かび上がる真犯人

取引を仕組んだ不動産会社の社長は、数日後に任意同行された。登記情報の不正操作や名義貸しに関与していたことが明るみに出た。

そして「余白に残された名前」は、被害者の声なき声となって、ようやく法の下に届いた。

署名欄の下にあった証拠

紙一枚の裏に隠された真実。まるで怪盗キッドのトリックのように、目の前にありながら見落としていた。

「最後に勝つのは、地味だけど正直なヤツだよ」そう心の中でつぶやきながら、僕はそっと契印を押した。

契約書が語る裏切り

あの日の売買契約書は、ただの不動産取引ではなかった。そこには、人の欲と嘘、そして名を奪われた一人の存在が詰まっていた。

契約とは、信頼の証であると同時に、最も巧妙な裏切りの道具にもなるのだ。

結末とその余白

事件が終わり、また通常業務に戻った。依頼人の顔は変わらず、書類の山も変わらない。

でも今日からは、余白一つにも目を凝らす。そこにこそ、誰かの声が隠れているかもしれないから。

正義の登記と不正の痕跡

法務局に提出された訂正申請書には、アキヤマの名が正式に記載されていた。遺族のもとには、正式な書類が届けられることになった。

それだけで、この仕事も悪くないと思えた。たとえ報われなくても、誰かの名を正しく残すために。

今日も書類と格闘する日々

やれやれ、、、また明日も紙との戦いだ。ペンのインクは切れそうだし、プリンタは紙詰まりだ。

でもまあ、今日も僕は生きている。名前を、そして余白を、ちゃんと見つめながら。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓