紹介が来ない日々に感じる焦り
以前は、特別に営業しなくてもぽつぽつと紹介が舞い込んできていた。正直、「司法書士って紹介だけで食べていける仕事だよな」なんて、どこかでタカを括っていたのかもしれない。でも気づけば、その紹介がピタリと止まり、そして久々に来たかと思えば「やっぱり別の先生にお願いしました」とやんわり断られる始末。何がいけなかったのか、自分の何が変わったのか、いや、何も変わってないはずだ。でも変わっていないこと自体が問題なのかもしれない。そんなふうに、朝のコーヒーをすすりながらぼんやりと考える日が増えた。
以前は「紹介される側」だったのに
独立して数年経った頃、「あの先生に頼めば安心だよ」と言ってもらえたことがあった。地元の不動産屋さんや税理士さんからちょこちょこと仕事を紹介されて、そのたびに「よかった」と胸をなでおろしたのを覚えている。でも今は、その声が聞こえてこない。むしろ、紹介してくれていた人からの連絡もめっきり減った。別にケンカしたわけでもないし、対応でトラブルがあったわけでもない。けれど、自然と距離ができてしまったような、そんな曖昧な終わり方だ。
なぜか途切れてしまった紹介の流れ
紹介というのは、信頼があってこそのものだ。だからこそ、紹介が減るということは、その信頼が揺らいでいるということなのかもしれない。思い返せば、ここのところ忙しさにかまけて、依頼に対してやや機械的な対応をしてしまっていた気もする。「次のお客さんもいるから」と時間を気にしながら話を切り上げたこともあった。そんな一つひとつの積み重ねが、紹介を止めてしまった原因なのかもしれない。
変わったのは自分?相手?それとも時代?
昔は、紹介が当たり前だった。でも今は、みんなネットで検索するし、若い士業もSNSで積極的に情報発信している。何より、紹介する側も「誰に紹介しても同じだろう」と思っているフシがある。つまり、司法書士個人に期待しているというより、サービスの均質化が進んで、選ぶ意味すら薄れている。変わったのは時代か、相手か、あるいは自分自身か――答えの出ない問いが頭の中でぐるぐると回る。
「あの先生にお願いしてみたら」は過去の話
「あの先生に頼んだら安心だよ」という一言が、どれほどありがたかったか。最近ではそれも聞かなくなった。誰かに頼るよりも、自分でGoogle検索して選ぶ人が増えたし、紹介する側も「変な責任は負いたくない」と言う。紹介されることが、逆にリスクと捉えられてしまうこともあるらしい。時代が変わったといえばそれまでだが、紹介のありがたみを知っているだけに、その喪失感はなかなか拭えない。
地域の信頼は移り変わるもの
田舎の小さな町では、一度信頼を得られれば長く続く……そんな幻想を抱いていた。でも実際には、信頼というのは移ろいやすい。たった一つのミスや、ちょっとしたタイミングのズレで、人の気持ちは離れていく。特にこの業界では、口コミひとつで仕事の流れが変わってしまうこともある。だからこそ、日々の丁寧な仕事と、人との関係の手入れが欠かせない。放っておけば、すぐに草が生えるのが人間関係だ。
紹介を断られたときのあの胸のざわつき
「知り合いの司法書士さんがいるんですけど……」「あ、でも今はちょっと他を当たってるんで」――そんな一言が何気なく放たれるとき、胸の奥がキュッと締めつけられる。期待していた分、落胆も大きい。紹介が来る前提で待っていた自分が情けないとすら感じる。断られることに慣れるなんてことはない。慣れたいとも思わない。でも、それが今の現実だと受け入れなきゃいけないのかと、心がどんよりしてしまう。
「今ちょっと忙しくて…」の裏側を想像してしまう
紹介を断る言い訳として、一番よく使われるのが「今ちょっと手が回らなくて…」という言葉。でも本当にそうなのか。裏では「この人には頼みたくない」という気持ちがあるんじゃないか、なんて疑ってしまう。本当に忙しいのかもしれない。でも、紹介することに価値を感じてもらえなくなったとしたら、それはやっぱり自分の責任だと思わざるを得ない。
本当に忙しいのか、断られているのか
相手の本心なんて、結局のところわからない。でも、人間というのはネガティブに考えるようにできている。特に、自信が揺らいでいるときは、すべてが否定的に聞こえてしまうものだ。「忙しい」は便利な言葉だけど、その裏にある感情までは読み取れない。だけど、紹介されなくなったという事実だけは、否応なく突きつけられる。それが何よりつらい。
自信を揺さぶられるひと言
「紹介しようと思ったけど、やっぱり別の人に頼んじゃった」――こんな言葉を聞いた日は、その夜なかなか眠れない。頭の中で、いろんな場面を再生しては「どこが悪かったんだろう」と自問自答してしまう。たった一言で、自分の存在価値すら疑いたくなる。でも、それでも仕事は続けなきゃいけない。そんな日は、気持ちを切り替えるより、ひとまずしっかり落ち込むことにしている。
期待して待っていた分、落差も大きい
誰かに紹介されたと聞けば、こちらもそれなりに準備をして待つ。プロフィールを見直し、これまでの対応事例を振り返り、「今回はしっかり印象を残そう」と気合も入る。だからこそ、「今回は他の人にお願いしました」と言われた時の落差がきつい。準備していた分、空振りのショックが倍増する。まるで、ラブレターを渡そうとしていたのに相手が転校していた、みたいな脱力感がある。
紹介が来る前提が間違いだったのかもしれない
いつの間にか、「紹介されて当然」という気持ちが自分の中に芽生えていたのかもしれない。それは、傲慢だったとも言えるし、依存だったとも言える。紹介というのは、相手の善意に乗っかって成り立つもの。自分の努力ではコントロールできない部分も大きい。だからこそ、「紹介がない=自分の価値がない」と短絡的に結びつけるのはやめようと思う。とはいえ、そう簡単に切り替えられないのが本音だけれど。