気がつけば「何をすればリフレッシュできるのか」さえ曖昧に
司法書士という仕事は、常に気を張ることの連続だ。依頼者対応、書類作成、登記のミスを恐れての確認作業……それが終わっても、事務所の経営や事務員との関係にまで気を遣う日々。気が抜ける時間が本当にない。だからこそ「気分転換」が大事なのは重々承知しているのだけれど、最近その“転換”の仕方がわからなくなってきた。何をしても心が動かないし、楽しいと感じる瞬間が減ってきたように思う。かつて気晴らしになっていたものが、今はただの作業にすり替わってしまっている。
昔は楽しかったことが、今はただの義務
20代や30代の頃は、忙しい仕事の合間をぬってドライブに出かけたり、DVDを借りて夜更かしして映画を観たりと、気分転換がうまくできていた。疲れていても、好きなことをすることで少しずつ心が回復していくのを感じていた。でも45歳になった今、その“楽しい時間”が心に入ってこない。なんなら、休みの日に何かをすること自体が面倒になってしまう。これが老化なのか、精神的な摩耗なのか、それとも仕事に染まりすぎているのか、自分でも判断がつかない。
趣味だったドライブも疲れるだけになった
以前は、軽く車を走らせるだけで心がスッと軽くなった。お気に入りの音楽をかけて、海沿いの道を走るだけで、「また頑張ろう」と思えたものだ。それが最近では、ハンドルを握ること自体が億劫になってしまった。道路の混雑、駐車場の心配、何をしに出かけるのかもわからない自分。結局、車を出す気力も湧かず、気がつけば休日も家でゴロゴロしているだけになってしまった。気分転換のはずのドライブが、ただの体力消耗イベントに変わってしまったのが悲しい。
映画や音楽も心に入ってこない
Netflixを開いても、何を観ればいいのか分からない。かつては楽しみにしていたシリーズ物も、今では再生ボタンを押す気力すらない。音楽も同じで、通勤中にイヤホンから流れるメロディが、ただのノイズのように感じることもある。感動したり、共感したり、笑ったり泣いたりという感情の起伏がなくなってきた。気分転換のはずだったコンテンツが、ただの“消化”になっている感覚。心の奥がずっと冷えたままで、それを温める方法が見つからない。
「休みの過ごし方」がわからないまま週末が終わる
土曜の朝、「今日はなにをしようか」と思ってから、気づけば夕方になっていたということが最近増えてきた。午前中はなんとなく布団の中でスマホを眺め、昼ご飯を適当に済ませたあとはテレビをBGMにしてぼーっとする。以前なら「もったいない」と感じたはずなのに、今は「これでいい」と納得してしまっている。でも、週末が終わるころには、なぜか虚しさだけが残る。「休んだのに全然休めてない」そんな気持ちが、次の月曜日をより憂鬱にしていく。
寝て終わった休日に自己嫌悪
何もせずに過ごす休日は、確かに体は休まる。でも、心が回復していない。結局、「何かしたほうが良かったんじゃないか」と後悔し始める。そしてその後悔が自己嫌悪に繋がり、「自分はダメな人間だ」と思ってしまう悪循環。実際、事務員が「先生は休みの日何してるんですか?」と聞いてきた時に、答えるのがすごく恥ずかしかった。何もしてない。それを言えない自分が、ますます自分を追い込んでいる気がする。
人と会うのも億劫で孤独に逆戻り
昔の友人に連絡を取ろうかと思っても、返信が億劫だ。誰かと食事に行けば、それなりに楽しいとは思うけど、準備やスケジュール調整、会話の間の気遣いを考えると、やっぱり気が重くなる。「一人でいる方が楽」と思ってしまうが、そうやって孤独を選び続けてきた結果、今では孤独が苦しい。でも、誰かと関わるのもしんどい。この矛盾にどう折り合いをつけていいのか、自分でもわからない。だからまた、静かな部屋に閉じこもる週末が繰り返されていく。
司法書士という職業の「抜け出せなさ」
司法書士の仕事は、良くも悪くも“常に現場”だ。ミスが許されない仕事、代わりのきかない責任、感情よりも制度に従う現実。オンとオフの切り替えが非常に難しい。自分の事務所で働いていると、境界がどんどん曖昧になる。出かけていても、ふと「あの書類提出したっけ?」と頭によぎるし、休日でも電話が鳴れば一気に現実に引き戻される。心をオフにするボタンがどこかにあればいいのにと、本気で思うようになった。
気を張る日常が続き、オフの切り替えができない
平日はもちろんだが、土日祝も何かしらの予定や問い合わせが入るのが現実だ。「完全に休む」ことが非常に難しい職業だと感じている。気を抜いてる時に限って、トラブルやイレギュラーな相談が入る。だから自然と「常に気を張っておく」クセがついてしまっている。仕事をしていない時間にも、頭の中では「もし〜があったらどうするか」と仮想対応を考えてしまっている自分がいる。まるで常時スリープできないPCみたいに、どこかで稼働し続けている。
電話が鳴るだけで現実に引き戻される
自宅でゆっくりしていても、電話の着信音が鳴った瞬間、全身が一気に緊張する。番号を見て「役所? 依頼者? クレームかも…」と頭の中で色んなパターンをシミュレーションし始める。電話一本で休日が一気に仕事モードになり、気分は元に戻らないまま終わってしまうこともある。たとえ出なくても、その不在着信が頭に残ってしまい、何をしていても集中できなくなる。こうして、わずかな休息時間すら削られていく。
心が休まる時間がどこにもない
本を読んでも、頭に入らない。テレビをつけても、内容が入ってこない。それは、心がずっと「どこかの不安」を抱えているからだと思う。「あれ、ちゃんとできてたかな」「明日の準備、大丈夫かな」——そんな心配が、休むべき時間にまで侵食している。だから、休んでいるのに、休めない。そんな状態が続けば、当然気分転換の効果も薄れていく。一体、自分はいつからこうなったのか。休み方すら忘れてしまったような気がする。