朝イチの電話が怖かった—新人司法書士が震えたあの日

朝イチの電話が怖かった—新人司法書士が震えたあの日

あの一本の電話で、すべてが揺らいだ

司法書士として事務所を構えたばかりの頃、毎朝かかってくる電話が、まるで死刑宣告のように感じていた。事務所の電話が鳴るたびに、心臓がバクバクして、手が震えていた。依頼人からの一言が、何か取り返しのつかない失敗につながっているのではないか、そんな不安に駆られていた。まだ経験も浅く、知識も中途半端。そんな自分が人の大事な手続きを預かっているという現実に、押し潰されそうだった。

事務所の電話が鳴る音が怖かった

朝イチの電話。それがいちばん怖かった。机の上に手を置いていても、電話のベルが鳴るとビクッと体が跳ねる。事務所にまだ誰も来ていない時間に鳴る電話は、なぜか決まって何かしら問題を抱えている人からだった。通知のランプが点滅するのを見ながら、「お願いだから別件であってくれ」と祈る。そうして恐る恐る受話器を取るのが、毎朝のルーティンだった。

「出たくない」が口癖だった新人時代

とにかく電話に出たくなかった。事務員さんに「電話お願いしていいですか…」と何度も頼んだことがある。でも結局、事務員さんも不安そうに僕を見返してくる。新人司法書士なのに、誰よりも臆病だった。電話はただの会話のツールではなく、僕にとっては試練であり、戦場だった。今思えば笑い話だが、当時は本気で「もう司法書士やめようかな」と思ったこともある。

名前を名乗るだけで精一杯だった

「はい、○○司法書士事務所の○○です」——この一言が本当に言えなかった。声が震える。噛む。何度練習しても、いざ本番になるとうまくいかない。相手が無言になるだけで、変な汗が出てきた。「今の名乗り方、変だったかな」「名前のイントネーション、間違ってたかな」そんなことをぐるぐる考えて、内容が頭に入ってこない。あの頃は、名乗るだけで1日分のエネルギーを使い果たしていた。

依頼人の一言が心に刺さる

ある日、電話の相手がこう言った。「本当に司法書士さんですか?」その瞬間、目の前が真っ白になった。自分でもどこか自信がなかったから、その言葉がズドンと胸に刺さった。「すみません」としか言えず、その後の会話もたどたどしいままだった。電話を切ったあと、しばらく机に突っ伏して動けなかった。その一言が、僕にとっての転機だったようにも思う。

「本当に司法書士さんですか?」

その言葉は、今でもたまに夢に出てくる。今なら言い返せる。「はい、司法書士です」と。だけど、あの時の僕には言えなかった。自分の存在自体を否定されたようで、悔しいやら悲しいやら、いろんな感情が一気に押し寄せてきた。仕事を辞める理由にさえなりうる一言だったと思う。でも、あの言葉があったからこそ、自分を見つめ直すきっかけになったのも事実だ。

電話対応=地雷処理みたいなものだった

とにかく、電話は地雷だった。どこに爆弾があるかわからないし、踏んだら最後、爆発してその日一日がダメになる。そんな感覚だった。電話のベル一つで、胃がキリキリと痛んで、手に持っていた書類を落としたこともあった。電話に出るだけで、こんなに神経をすり減らす仕事なんてあるんだろうかと思っていた。

相手の機嫌と感情を読むゲーム

相手が怒っているのか、急いでいるのか、不安なのか。とにかく空気を読みながら会話を進めるのが、電話対応の難しさだった。表情が見えない分、声のトーンや言葉の間から感情を読み取るしかない。でも、そんなこと新人にできるはずがない。毎回が手探りで、毎回が綱渡りだった。「違うんですけど」と言われるたびに、心がざらざらと削られていくようだった。

怒鳴られたらその日一日が終わる

一度、依頼人に電話口で怒鳴られたことがある。理由は些細な確認漏れ。でも、その瞬間、何かが壊れた気がした。電話を切った後、震える手で水を飲みながら、「今日はもう帰りたい」と思った。だけど、帰れない。仕事は山積み。結局、気を張り詰めたまま、その日を乗り切った。でも、心は完全にすり減っていた。

なぜあんなに怖かったのか、今になってわかる

時間が経って振り返ると、なぜあんなにも電話が怖かったのか、ようやくわかるようになった。それは「失敗が怖かった」から。責任の重さに押し潰されそうで、「ミスしたら終わる」という思い込みが強すぎた。でも実際は、終わりなんかじゃなかったし、人はそこから学んでいくものだ。

自信がなかった、というより何も知らなかった

自信がなかったわけじゃない。そもそも知識も経験もなかったのだ。知らないことに対応しろと言われても、無理な話だ。なのに、「完璧にやらなければ」という強迫観念だけがのしかかる。新人のときほど、「わからないことがわからない」状態なのだと、今になってやっと理解できた。

研修やマニュアルでは教えてくれない実務の壁

学校でも研修でも、電話対応のリアルなんて誰も教えてくれない。研修で学ぶのは手続きの流れや書類の整え方。でも、現場で待っているのは、イレギュラーと感情と、予想外のトラブル。そこに、マニュアルなんて通用しない。「ケースバイケース」に対応する力なんて、新人にはないのに、それを求められる。

「常識ですけど?」が一番キツかった

電話越しに「常識ですけど?」と言われたことがある。その瞬間、自分が社会から取り残されているような気がした。そんな「常識」とやらを、どこで誰が教えてくれるんだ。そんな思いが頭をよぎる。でも、電話口では言えない。「」と謝るしかない。悔しかった。情けなかった。でも、そうやって社会に慣れていくしかなかった。

完璧じゃないといけないと思い込んでいた

「司法書士なんだから」「お金をもらっているんだから」そんなプレッシャーが自分を縛っていた。でも、完璧なんて人間には無理だ。少しずつ、わからないことをわからないと言えるようになってから、やっと肩の力が抜けていった。今思えば、あの頃の自分は、自分自身に厳しすぎた。

失敗したらすべてが終わる気がしていた

ミスをしたら信用を失い、依頼人が離れ、事務所が潰れる——そんな極端な妄想に囚われていた。たった一つの書類のミスが、人生を終わらせる気がしていた。でも実際は、そんなことはない。謝ることも、訂正することもできる。時間はかかるが、回復する道もちゃんとある。そう気づいたとき、少し楽になれた。

でも、実際は何も終わらなかった

怒られたって、失敗したって、次の日は来る。電話はまた鳴るし、仕事は山ほどある。何も終わらない。世界はちゃんと続いていく。だからこそ、自分も続けていけた。終わらないなら、やるしかない。それが今の自分の原動力かもしれない。

あの頃の自分に言ってあげたいこと

もしタイムマシンがあったら、新人だったあの日の自分に会いに行って、肩を叩いてやりたい。「よくやってるよ」「十分頑張ってる」って。完璧じゃなくてもいい。震えててもいい。大事なのは、電話を取る勇気、その一歩だった。

震える電話でも、出続けた先にしか見えない景色がある

今でもたまに、電話を取る前に深呼吸する。でも、その深呼吸の回数は、昔よりずっと減った。それだけ慣れたということだろう。そしてその先に、信頼や感謝の言葉があることを知った。震える手で取った電話の先に、温かい「ありがとう」が待っていることもある。それが積み重なって、今の自分を支えている。

慣れるというより、鈍くなる

正直、すべての電話に全力で対応していたら、身が持たない。だから、だんだんと鈍くなる。それでいいのだと思う。感情を鈍らせて、機械的に処理することも、長く働くためのスキルだ。優しさは大事。でも、自分を守るための「無関心力」もまた、必要な力だった。

そして、それでも良いんだと思える

あの頃の僕は、「もっと真剣にやらなきゃ」「もっと丁寧に対応しなきゃ」と自分を責め続けていた。でも今は、適度な温度感で向き合えるようになった。それでも十分やれているし、依頼人は困っていない。完璧じゃなくても、誠実さが伝われば、それでいいのかもしれない。

新人のときに逃げずに電話に出た経験が、今の自分を支えている

逃げ出したい朝もたくさんあった。でも、一度も本当に逃げなかった。手は震えていたけど、受話器は持った。言葉は拙かったけど、声は出した。その積み重ねが、今の自分を作っている。新人時代の自分、ありがとう。震えていても、あの日電話に出てくれてありがとう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。