月曜日の朝に感じるあの違和感
日曜日の夕方まではまだ大丈夫なんです。だけど、夜になると少しずつ胃の奥が重くなってくる。月曜日の朝になると、その重さが痛みに変わっている。こうなるのが分かっていても、週末はあっという間に過ぎる。そんな生活をもう何年も続けています。司法書士として独立して、仕事があること自体はありがたいこと。でも、月曜の朝に感じるあの胃の痛みは、「ありがたさ」では説明できない、別の感情なんだと思います。
休み明けが憂鬱なのはなぜか
学生時代も、社会人時代も、月曜日が嫌いだったけれど、今の「嫌さ」はまた別の種類です。誰かに命令されているわけじゃない。自分で決めた道なのに、なぜこんなに気が重いのか。多分、心と体がちゃんと休まっていないんでしょう。土日も、電話が鳴れば仕事の対応。書類が気になれば、家でも作業。気が付けば「休み」なんて名ばかりで、結局ずっと「構えて」いる。そんな生活が続くと、月曜日の朝に「よし、やるぞ」と思えるはずがありません。
前夜の寝つきの悪さに心当たりは
毎週日曜の夜は、寝ようと思ってもなかなか寝付けない。スマホを見ていても、動画も入ってこない。ただ、心のどこかで「また明日が来る」と思っているだけ。あれこれ頭の中で予定をシミュレーションしすぎて、逆に眠れなくなるんですよね。結局、眠りが浅くて、月曜の朝には疲れが残っている。寝不足のまま朝を迎えて、胃がキリキリしてくる。昔は「寝れば治る」が通じたけど、今は「寝ること」がまず難しい。それが現実です。
目覚めと同時にやってくるプレッシャー
朝、目が覚めた瞬間に「あの案件どうなったかな」と考えてしまう。目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまうのも珍しくなくなりました。休日明けの月曜日は、積み残した案件が脳内でずっと再生される。書類の不備、クライアントからのクレーム予感、役所との連絡調整…。あらゆる懸念が、起きた瞬間に押し寄せてくる。そのプレッシャーが胃にくるのも無理はない。まさに「心の疲れが体に出る」というやつです。
独立開業してからというものの
自分で司法書士事務所を構えてから、気づけば10年以上経ちました。自由なようで不自由な世界。好きなように仕事を選べるわけでもなく、嫌な案件も断れない。そうやってなんとか事務所を維持している。独立前には見えていなかった責任と孤独。それが月曜の朝、胃に重くのしかかってくる。誰かが代わりに動いてくれるわけじゃない。自分が動かなければ、回らない。それが一番しんどい。
自由と責任は表裏一体
「独立っていいですね、自分のペースでできて」。そう言われることがあるけど、実際には「全部自分で抱える自由」です。誰かに愚痴を言う場も少ないし、助け舟もない。相談相手がいればまだいいけど、地方の司法書士事務所ではそういうつながりも希薄。責任が重くなればなるほど、自分の中にしか出口がない。だから月曜の朝に、胃の奥がずっしりと重たくなる。それが、責任と自由の現実です。
仕事の山に追われる一週間の始まり
月曜日にデスクに座った時点で、すでに「今週乗り切れるかな…」と不安になることもあります。週の頭にすべての案件が見えてしまうから。しかも、急な依頼やトラブルが必ずと言っていいほど入ってくる。予定通りにいかないのが日常。対応力は身につくけど、それと引き換えにメンタルは削られる。胃が痛むのは、単なるストレスじゃなくて、「備え」のための体の反応なのかもしれません。
土日も気が休まらないという矛盾
「週末ぐらい休めばいいのに」と人には言われる。でも、急ぎの書類や期限があると、そうはいかない。事務員さんが休みの間にできることは自分がやるしかない。むしろ土日の方が集中できるという皮肉な状態。だからこそ、月曜の朝は「何も終わってない」という感覚になる。休んだはずなのに、全然休めていない。これがずっと続くと、体も心も壊れてしまう。そんな危機感を、胃が知らせてくれている気がします。
一人雇ったことで少しは楽になったのか
事務員さんを一人雇ってから、確かに事務作業の一部は助かっています。でも、それで気持ちが軽くなったかというと、答えは「微妙」です。逆に「任せて大丈夫かな」と心配するタスクも増えて、別のプレッシャーが生まれてしまった。頼れるはずの存在が、新たなストレスになることもある。そんな葛藤も、月曜の朝に胃に響いてくる要因の一つなんです。
期待と現実のギャップに悩む日々
理想では、仕事を分担して効率よく回す予定だった。でも、教えることの難しさや伝えきれないニュアンスの差で、うまくいかないことも多い。自分がやった方が早い…と感じる瞬間は、正直たくさんあります。そのたびに、情けなさと無力感が胃をギュッと締め付ける。任せる勇気と、任せられない不安。その間で揺れているんです。
相談できる相手がいない苦しさ
家庭があるわけでもなく、愚痴を聞いてくれる相手もいない。職場に事務員さんが一人だけだと、どうしても気を遣ってしまう。相談する相手がいないことが、こんなに心を圧迫するなんて思わなかった。昔の仲間とは疎遠になり、同業者との関係も表面的。気軽に「つらい」と言える場がないのは、思った以上に孤独で、その孤独が胃に響く。
この胃の痛みの正体を考えてみる
年齢のせいなのか、ストレスなのか、あるいは生活習慣の乱れなのか。自分でも何が原因か分からないまま、胃の痛みと付き合っている。だけど、ひとつ言えるのは「この痛みは何かを教えてくれている」ということ。無理をしてるよ、気づいてよ、っていうサインかもしれない。だったら、少し立ち止まってみるのも必要なのかもしれない。
過労なのか 不安なのか それとも寂しさか
この痛みが単なる過労なら、休めば治るのかもしれない。でも、たぶん違う。不安とか、焦りとか、寂しさとか、いろんな感情が積み重なって、体が反応しているんだと思う。結婚もしていないし、彼女もいないし、最近は人と笑い合った記憶も少ない。そんな状態で、毎日人の相談に乗って、書類と格闘してるんだから、心が悲鳴を上げても仕方ないですよね。
元野球部の根性論だけではどうにもならない
昔は「根性で乗り越えろ」なんて言ってた側でした。野球部時代は気合で何とかなると思っていた。でも、今は違う。根性だけじゃ体がついてこない。無理をすればするほど、あとで反動がくる。自分の限界を認めるのは悔しいけど、それが現実です。昔の自分を振り返って、「ごめんな、今はもう走れない」と言いたくなるときもあります。
でもたまには誰かに甘えたい
本音を言えば、誰かに「頑張ってるね」と言ってほしいし、「たまにはゆっくり休んで」と言ってもらいたい。そんな小さな言葉ひとつで、心が軽くなるのかもしれない。でも、誰もいないから、自分で自分を励ますしかない。だから、こうして文章にして吐き出してるのかもしれません。胃の痛みはしんどいけど、それが「誰かに気づいてほしい」っていう心のSOSなのかもしれないですね。