登記の締切だけは、なぜか絶対に忘れない
自分で言うのもなんだけど、登記の締切に関しては本当に几帳面だと思う。お客さんの重要な権利に関わる話だから、当然といえば当然なんだけど、スケジュール帳には赤字で強調、スマホには3日前通知、当日は紙でも確認する徹底ぶり。そうやって何度も確認しているうちに、ある意味「体に染みついている」感覚すらある。逆に言えば、そこまでしないと忘れそうなことも多くなってきた年齢なのだろう。悲しいかな、自分の人生のことより、仕事の締切の方が大事に思えてしまう。
手帳にもアラームにも登記のことばかり
いつからだろう、スケジュール帳が「登記提出」「登記完了」「決済立会い」で埋め尽くされている。誕生日?入れてない。むしろ記念日を入れる欄なんて使ったことがない。昔はカレンダーに自分の誕生日を丸で囲んでいたこともあったけど、もう何年もそんなことしてない。ある年なんて、手帳の表紙がボロボロになるまで登記の記録しか残ってなかった。「これが俺の人生の記録か」と思って、少しだけ虚しくなった。
お客様のスケジュールは命より大事
少し極端な言い方だけど、登記の提出期限に関しては本当に命懸けで守っている。相続登記の期限が変わるこのご時世、万が一にも「忘れてました」なんて言える立場じゃない。信頼を失えば、事務所の評判も自分の生計も危うくなる。だから、どんなに体調が悪くても、雨の日も風の日も、締切があれば出かける。事務員さんには「そこまでしなくても…」って言われるけど、自分の中ではそれが普通なんだ。
忘れたら終わる…というプレッシャーが染みついている
登記の締切って、一つ間違えたら取り返しがつかないこともある。特に会社設立や相続の登記は、期日を外すと余計な税金や手続きが発生することも。だからこそ、忘れるという選択肢がない。自然とプレッシャーが染みついて、「覚えておかなきゃ」と無意識に動いてしまう。気づけば、自分のことを置き去りにしていたって、後になってからじゃないと気づかない。
気づけば、自分のことはいつも後回し
登記のことは忘れないのに、自分の誕生日はすっぽかしてしまった。あれは数年前、12月のとある日。朝から相続登記の準備でバタバタしていて、郵便局に提出して帰ってきたときに、コンビニのアプリから「誕生日おめでとうございます」の通知が来た。そこで初めて「あ、今日俺の誕生日か」と気づいた。なんとも言えない感情が押し寄せた。
自分の誕生日に気づいたのは、コンビニのポイント通知
まさか、自分の誕生日を教えてくれたのがローソンとは…。家族もいないし、彼女もいないし、Facebookもやってない。だから、誰にも祝われないのは当然なのかもしれない。でも、せめて自分くらいは覚えておけよ、と自分にツッコんだ。結局、100円引きのクーポンだけが、ささやかなご褒美だった。自分って、そんなに軽かったっけ?
誕生日クーポンよりも大事なのは登記の受領書
登記が無事完了した受領書を見て、「よし」と安心した自分がいた。その安心感の方が、コンビニの誕生日クーポンよりも重かった。誕生日はスルーしても、登記は完了した。その日は一人でラーメンを食べて帰ったけど、誕生日を祝うよりも、登記を終えたという達成感の方が自分には大きかった。こんな人生、どうなんだろうと思いつつも、そこに自分なりの喜びがあった。
「あ、今日俺の誕生日か」って、声にも出なかった
誰にも言わなかったし、言う気にもならなかった。事務員さんに「今日誕生日なんです」なんて言ったところで、気を遣わせるだけだし、気まずくなるのも面倒だった。だから、そっと胸の中にしまっておいた。登記の受付番号だけが、今日という日の証明書みたいになった。誕生日なのに、何も変わらない一日だった。
事務所に祝ってくれる人もいないし
個人事務所だから、事務員さん一人と自分だけ。イベントらしいことなんて基本ない。忙しいときは無言で仕事して、夕方にはそれぞれ帰る。たまに雑談を交わす程度で、誕生日とかプライベートな話題にはほとんど触れない。だから、仮に気づいてくれていても、あえて言わないんだろうな、とも思う。そこに優しさがあるのかもしれない。
事務員さんは気づいてたかもしれないけど、たぶんスルー
過去に一度だけ、誕生日の話をぽろっとしたことがあって、それを覚えてくれていたなら、スルーは意図的かもしれない。でも、スルーしてくれる優しさもあると思う。「気まずいし言わない方がいいだろう」という気配りも、働く上では大事だ。そういう人間関係だから、居心地がいい部分もあるし、ちょっと寂しい部分もある。
仕事中に「今日は特別な日なんですよ」とは言えない
仕事に集中してる中で「実は今日、僕の誕生日なんです」とは言いづらい。空気を壊す感じがしてしまう。年齢的にも、もうそんな歳じゃないしな…という気恥ずかしさもある。20代ならまだしも、45歳のおじさんが誕生日アピールする姿は、あまりに痛々しい。自分で自分の誕生日に触れない理由は、そんなとこにある。
事務員さんに気を遣わせるくらいなら、黙ってたほうが楽
結局のところ、自分の誕生日なんてどうでもいいのかもしれない。ただ、それを祝われないことが、ふとした瞬間に堪えるだけ。誰かに祝ってほしい気持ちよりも、誰にも気を遣わせたくない気持ちの方が強い。それが、自分の生き方なのかもしれない。寂しさに慣れてしまったのかもしれない。