誰かと食べるだけで、ご飯は温かくなる気がした 〜司法書士の孤独と向き合う日々〜
一人で食べるご飯が、ふと虚しくなる夜
仕事が立て込んで帰りが遅くなった夜、ふと感じるのが「このご飯、誰かと食べたらもっとおいしかったのに」という寂しさです。温かい味噌汁を口にしても、心まで温まるわけじゃない。テレビをつけて音だけが流れる部屋の中で、ひとり黙々と箸を動かす自分が映るガラスの窓が、妙に冷たく感じることもあります。栄養を摂ることはできても、心が満たされるわけじゃないというのを、こんな時に痛感します。
温かいはずの味噌汁も、冷めたように感じる瞬間
手作りの味噌汁。具材も出汁も自分なりにこだわって作ったつもりなのに、なぜか味が薄く感じる夜があります。決して味が悪いわけじゃない。でも、「おいしいね」と言ってくれる人がいないと、料理はただの作業になってしまうんだと気づかされます。味噌汁が冷めていくのを見ながら、心の中でも何かが冷えていくような気がして、食欲までなくなってしまうのです。
忙しさの合間に食べるコンビニ弁当
「今日はもういいや」と、帰り道にコンビニで弁当を買う日も増えました。栄養バランスなんて気にする余裕もない。ただ空腹を満たせればいい。そんなふうに割り切っている自分を、どこかで虚しいと感じているのも事実です。冷蔵庫にあるはずの野菜や卵を見るたびに、「ちゃんと作ろう」と思っていた気持ちがしぼんでいくのがわかります。
テレビの音だけが「会話」になっていた
一人暮らしで静かな部屋に帰ると、無意識にテレビをつけてしまう癖があります。ニュースでもバラエティでも何でもいい。ただ「誰かの声」が聞こえていると、孤独が少しだけ紛れる気がするからです。でもその声は、自分に話しかけてくれるわけじゃない。ただのノイズ。でも、それがないと食事の時間がやけに長く感じてしまう。それが現実です。
司法書士という職業の、ひとり飯率の高さ
司法書士の仕事は、とにかくイレギュラーの連続です。急な案件、思わぬトラブル、連絡の行き違い。そうして気づけば、昼を抜き、夜も遅くなり、コンビニ弁当を片手に事務所で食べている。そんな日が当たり前になっていきます。自営業という自由さの裏には、予定をすべて仕事に吸い取られていくという現実もあるのです。
予定はクライアント中心、自分の食事は後回し
例えば、法務局に書類を提出した後に立ち寄ろうと思っていたラーメン屋も、電話一本で吹き飛ぶことがあります。クライアントとの電話が長引けば昼食は夕方になるし、夜の予定なんてあってないようなもの。だから「誰かと食べる」というのは、予定を合わせるどころか「申し訳ない気持ち」になってしまうのが現実です。
気づいたら、夕飯が「カップ麺だけ」なんて日も
疲れ果てて帰宅し、「今日はもういいか」と手に取ったカップ麺。それをすすりながら、「本当にこれでいいのか」とふと立ち止まることがあります。料理をする気力も、誰かと出かける元気もない。そんな自分に自己嫌悪すら覚えてしまう。でも、明日も朝から登記の対応だと思うと、やっぱり手軽な方を選んでしまう。それが現実です。
誰かと食べる「当たり前」が、もはや贅沢
昔は当たり前だった「いただきます」と「ごちそうさま」を交わせる相手。今はそれが、すっかり遠い存在になってしまいました。友人や家族と食事をする機会も年々減り、仕事以外の人との関係性が薄れていくのを感じます。食事という行為そのものが、誰かと過ごす時間であってほしい。それが叶わない現実に、少し胸が痛くなります。
「誰かと一緒に」が、なぜこんなに難しいのか
決して人付き合いが苦手なわけではない。でも、仕事の忙しさにかまけて、誰かとの時間を避けるようになったのかもしれません。誘いを断ることが増え、気づけば自分からも連絡しなくなった。だから「誰かと一緒にご飯を食べる」という、かつては自然だったことが、今はとても高いハードルのように感じます。
婚活アプリを開いても、数分で閉じる理由
何度か婚活アプリを開いたことがあります。でも、プロフィールを書いているうちに「自分に魅力があるだろうか」と不安になって、結局閉じてしまいます。年齢、職業、生活スタイル。すべてを見つめ直すような時間になってしまい、気が重くなってくる。自分で自分の価値を疑ってしまうのが、一番しんどいのかもしれません。
平日の夜に誰かと食事?それ、どうやって?
そもそも、誰かと平日の夜に食事をする余裕がない。予定を合わせるのも大変だし、当日もトラブルがあればすべて吹き飛びます。ドタキャンも気を遣うし、申し訳なさでいっぱいになる。そんなストレスを抱えるくらいなら、最初から誰も誘わないほうが楽だと感じてしまう。孤独はそうして、じわじわと日常に染み込んでくるのです。
だからこそ、今日も頑張っている司法書士へ
この文章を読んでくださっているあなたが、もし同じような気持ちを抱えているなら、それだけで少し救われます。誰かと食べるご飯が恋しくなる夜もある。でもそれは、心がまだ温かさを求めている証拠です。孤独に耐えながらも、真面目に仕事に向き合っている自分を、少しだけ誇りに思っていいのかもしれません。
同じように感じている人は、きっといる
一人で抱える重さは、分け合うことで軽くなります。仕事柄、弱音を吐くことが少ない司法書士の世界ですが、誰かに共感されるだけで心が軽くなることもあります。このコラムが、少しでもそのきっかけになればと思います。「今日も一人でご飯か」とつぶやくその瞬間も、あなただけではないことを、忘れないでください。
誰かと食べるご飯を夢見ながら、もうひと仕事
温かいご飯と、それを一緒に食べる誰か。そのささやかな幸せを夢見ながら、また明日も仕事に向かいます。愚痴りながらでも、忙しくても、心の奥に「誰かと過ごす時間」への希望がある限り、きっと私たちはまだ戦える。そう信じて、もうひと頑張りしてみようと思います。